デュッセルドルフU―22日本代表DF内野貴史、1年後に迫るパリ五輪へ「日本の歴史を変えたい」
ドイツ2部デュッセルドルフのU―22日本代表DF内野貴史が、このほどスポーツ報知の取材に応じ、26日で大会開幕まで1年となるパリ五輪への思いを語った。「絶対に五輪で日本の歴史を変えたい」と来夏の本大会へ意気込む。大岩剛監督率いるチームは、9月に五輪1次予選を兼ねるU―23アジア杯予選(バーレーン)に挑む。(取材・構成=小口 瑞乃)
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内野は来夏の大舞台を見据え、力強い言葉を並べた。チームの掲げる目標は、1968年メキシコ市五輪の銅メダル以来となるメダル獲得。表彰台まであと一歩の4位に終わった2021年東京五輪の記憶も新しい。
「欧州の人が五輪に置く重要性は日本人と少しギャップがあるけど、自分は日本で生まれ育って、日本代表がどれくらいの気持ちで五輪に臨んでいるかも見てきた。本当に前回の東京含めてわかっているので、絶対に五輪で日本の歴史を変えたいなって思っているし、こんなチャンスはない。来シーズンは勝負の1年」
東京五輪に出場したデュッセルドルフで同僚の日本代表MF田中碧を身近で見ていることも、内野にとって原動力となった。
「彼の影響はすごく大きい。スペインに(東京五輪準決勝で)負けて帰って来て、ボランチの選手の質やチームの完成度を『全然違う』と話していて、やっぱりその場に立たないと分からないのかなと。そういう相手と対戦してみたい、そういう相手に勝つことに意義があると思ったし、モチベーションは高くなった」
千葉のアカデミーで育ち、高卒で「サッカーだけに集中できる環境に身を置きたい」とドイツ5部リーグのデューレン下部組織に加入。同2部まで一歩ずつ上り詰めてきた。デュッセルドルフでトップチームデビューを果たした22年3月のU―23ドバイ杯で、世代別代表初招集。DF半田陸(G大阪)らとポジション争いをしながら、ここまで右サイドバックとして継続的に活動に参加している。
「初めて電話がかかってきて代表招集された時は頭が真っ白になるくらいビックリしたけど、今では五輪に絶対出たいと思っている」
ただ、昨年7月の左足首負傷で長期離脱したことにより、昨季はもどかしい1年を過ごした。同11月の復帰後も出場は3試合のみ。それでも今年3月、欧州遠征でU―22ドイツ代表と親善試合(2△2)を行った際、試合を見に訪れた元日本代表MF長谷部誠(フランクフルト)からかけられた言葉が胸に響いた。
「『選手として長くやるには、一つの練習、一つのプレーで一喜一憂しちゃダメ。落ち込んでいる時間がもったいないし、毎日どんなにつらくてもやり続けるしかない』ってアドバイスをもらって、自分も難しいシーズンを送っていたところでかけられた言葉だったので、すごく沁みるものがあった。海外でも日本代表でも生き残っている選手のマインドを知って、こういう選手が生き残っていくんだと素直に感じた」
29日にはシーズンが開幕。現在は「攻撃参加だったり、自分のストロングを出すことだけでなく、監督が何を求めているかも今まで以上に考えて練習に取り組むことを意識している」と1分でも長く公式戦のピッチに立ってレベルアップを図ろうとしている。パリ世代は9月、中2日での短期決戦となる五輪1次予選を迎える。競争も激しさを増していくはずだ。
「6月のオランダ戦は引き分け(0△0)に終わって悔しいけど、チームづくりが進んでいる実感はある。チームとしてやるべきことを全員が理解しながら、あとは個の力をつけることはもっと必要。アジアの厳しさはアジア杯(昨年6月)でも経験してわかっているし、チームとして危機感を持たないといけない。なめてたら一瞬で食われる。チームとしての基準を上げて、大会も通じて誰がそこで出ても大丈夫なようにチームづくりをすることが本番に向かう上ですごく大事。自分も少しでもチームの中心となれるよう頑張りたい。去年の悔しさも忘れずに、チームで充実したシーズンを送りたい」