“浪速の黒豹”エムボマ氏が語る、フランスの名門PSGでプレーする重みとは?

■エムボマ氏にとってPSG入団は「誇らしいことだった」

■大阪での思い出はうどん

ガンバ大阪のお膝元である大阪府吹田市出身の筆者は、リアルタイムでエムボマ氏を見ていたが、当時魅せてくれたプレーの数々はとにかくセンセーショナルだった。当時のJリーグで、現役バリバリのアフリカの代表選手がプレーするのはまだ少なく、誰もがエムボマ氏の身体能力やプレーに度肝を抜かれた。それまでのJリーグでは見たことがなかったような想像を超えたプレーの数々を見せつけた。

日本人の感覚では遠い距離であっても、迷いなくシュートを打ってゴールを決めたり、ちょっとしたボディフェイントだけで相手DFを翻弄したり、柔らかいループシュートを決めたり、DFが間合いを取って守っているにも関わらず、お構いなしに一瞬の加速でぶっちぎってゴールしたりと、ガンバ大阪時代のエムボマ氏はやりたい放題だった。”浪速の黒豹”というベタなネーミングと合わせて、ファン、サポーターたちを虜にしてくれたガンバ大阪時代だった。

実は、筆者は偶然にもエムボマ氏が来日する1年前の1996年に、エムボマ氏のプレーをテレビで見ていた。その当時、日本のテレビ局では各国のサッカーの試合が放送されており、地上波で気軽に海外のプレーを見られる時代だった。そして、当時のPSGのメインスポンサーであった自動車メーカー「OPEL」による親善大会「OPEL MASTER CUP」が、なぜかNHK衛星第1テレビ(現NHKBS-1)で放送されていた。

同じくOPELをスポンサーにしていたイタリアのACミラン、ドイツのバイエルン・ミュンヘンとのプレーシーズン大会を、筆者は偶然視聴し、その大会でのエムボマ氏のゴールを目撃した。ただ、ゴールシーン以上に、ゴール時に映った名前「M’boma」が特徴的で(当時のNHKのカタカナ表記は確かエムボマではなく、ムボーマかンボマだったはず)、ガンバ大阪にエムボマ氏が入団した時には「あの時の選手やん!?」と非常に驚かされた。

せっかく本人を前にしたので「実はガンバ大阪入団前のPSG時代のあなたのプレーを見たことあります」と伝えると、エムボマ氏は笑顔で「ACミラン戦でのゴールのことだね」と話し、フランスから遙か彼方の異国・日本に移籍した理由を話してくれた。

「ガンバ大阪に来たのは、もともと自分がこう考えてこうしようと思っていたことじゃなくて、ガンバ大阪から自分にオファーしてくれたことで実現した。その時期(PSGでの1996年・1997年シーズン)は自分にもっとプレーするチャンスを与えてほしいと考えていた時だった。それが実現していなかったところに、ガンバから声をかけてもらった。より自分の能力を出せる、見てもらえる機会が得られるということで、日本に来た」

大阪での生活の思い出を聞いてみると「まず一番は休憩をすることでした。休むことが一番だったし、その時期は子供が小さかった時期で、特に娘は大阪に来て4ヶ月後に生まれたこともあって、子供と家で過ごすことがすごく多かったですね」と振り返ってくれた。

ただ、それでも大阪での生活を満喫していたという。

「例えば難波に行ってお買い物に行ったりしましたよ。記者会見で私は『日本食が好き』と言いましたが、特にうどんが好きでして。初めて大阪に来てうどんを食べた時にすごく気に入って、しょっちゅう『うどんが好き』って言っていたら、ファンの人がうどんを送ってくれるようになりました(笑)」

ガンバ大阪で大ブレイクしたエムボマ氏は、その後1998年のワールドカップフランス大会のカメルーン代表にも選ばれて、大会でも活躍した。そして、大会後にイタリア・セリエAのカリアリに移籍した。2000年のシドニーオリンピックでは、オーバーエイジ枠で代表に選ばれ、カメルーン代表は金メダルを獲得している。また、2002年のワールドカップ日韓大会にも代表の一員として来日した。そして2004年に現役を引退した。

■今回のジャパンツアーで大阪滞在が長いのはエムボマ氏の影響?

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