「本当に才能です」レオザが称賛する19歳の日本人MFとは?「Jリーグでもやれている選手はいる」
Leo the football(レオ・ザ・フットボール)は自身のYoutubeチャンネル『Leo the football TV from シュワーボ東京』で、日本代表や欧州サッカーを中心にリアルタイムで試合分析を配信している。Jリーガーを具体的に挙げてもらい、サッカーの原則を言語化していく(取材・文:加藤健一)
●一流は理論を理解しているわけではない
YouTubeでLeo the football(レオ・ザ・フットボール、以下レオザ)というチャンネルを目にしたことがある方は多いだろう。試合をリアルタイムで分析し、豊富な知識をベースに、試合中に起こる現象を的確に言語化している。鋭い言葉でプレーを“斬る”スタイルは、議論を巻き起こすこともある。 「配信をしていると、応援しているアイドルの人間性を否定しているかのように勘違いされることがある。地下アイドルを応援する感じの温かみを否定しているわけではなく、もっとこうしたら売れる、もっとメジャーに行けるのにという作り方、売り出し方の話をしているんですが」
自身のYouTubeチャンネルでは過去に、西大伍や酒井宏樹、守田英正といった新旧日本代表プレーヤーとも対談している。「代表でもやっている方と話して思ったのが、(自身の理論を)伝えると『確かに』と言われるんですけど、その人自身が意識してやっていたかと言われるとそうではない」
レオザはサッカー未経験ながら、独学でサッカーを多角的に学び、社会人サッカーチーム「シュワーボ東京」では代表兼監督としてチームを運営している。そして、著書『蹴球学』ではサッカーにおける普遍的な理論を8つ取り上げた。
ただ、一流選手はこれを理解して実践しているのではなく、実際のプレーが結果的に理に適っているからこそ活躍し続けられるのだという。歌手になぞらえて一流選手の特徴をレオザはこう表現する。
●音痴な人は気づかない。「才能」の正体とは?
「自然とできている人が一流。歌が上手いからと言って、コード理論を全部知っているとは限らない。でも、才能がある人は自然と理に適った歌い方をしている」
本書には「正対」、「ポイント論」といった原則が出てくるが、一流は必ずしもそれ自体を意識しているわけではない。経験や感覚から理に適った動きができるのが「才能」の正体だという。
「わかっていない人がダメというわけではなく、それに気づけば実力がついてくる。もともと知っていた人に対抗できるようになる。普段の努力があったうえで、努力の方向を間違えないようにするために、原則がある論理化されたサッカーが必要になる」
「音痴な人も自分の音程が外れているのに気づかなかったりする。サッカーも同じで、うまくいっているつもりでもパスコースを読まれている。でも、理論を知っているだけじゃだめで、感覚的にやれるようにならないと強度の高いプロの環境では力を発揮できない」
著書『蹴球学』の中で「ロックの原則」や「正対」を取り上げている箇所がある。前者はクロス時の守備対応、後者はボール保持者についての原則。詳細については本書に委ねることにするが、その2つの原則を例に、2人のJリーガーを挙げてもらった。
●「ツボを押さえている」19歳のJリーガーとは?
「半田陸と山根陸は、『蹴球学』でいう『正対』ができている。Jリーグだとクロス対応が曖昧なチームが多いんですけど、2人はCBの背中をカバーできている頻度が高い」
「ヨーロッパなら主流の考え方ですけど、アーセナル、リバプール、マンチェスター・シティがピンチを防いだシーンと失点につながったシーンを分析すると、(防いだシーンでは)ディフェンスライン全員で視野の外に置かないような対応をしている。それをやれるだけで失点は減るんですよ」
21歳の半田陸はモンテディオ山形の育成組織出身で、今季からガンバ大阪でプレーしている。育成年代ではセンターバックもやっていたが、現在は右サイドバックが主戦場に。3月には出場機会こそなかったが、日本代表にも選出されている。
19歳の山根陸は横浜F・マリノスの育成組織出身で、5月にはFIFA U-20ワールドカップにも出場している。ボランチの選手だが、チーム事情から今季のマリノスでは何度か右サイドバックとして起用されている。慣れないポジションでも原則に沿ったプレーができるのを、レオザは本職ではない左サイドバックでも器用にタスクをこなしたマンチェスター・シティのベルナルド・シウバを例に挙げ、「本当に才能です」と表現する。
「山根のプレーはツボを押さえている。Jリーグでもやれている選手はいる。もっと高いレベルで見たいなと思いますね」
レオザは他にも、ヴィッセル神戸の本多勇喜、名古屋グランパスの中谷進之介の2人の名前を挙げ、「原則にのっとった動きをしているから頼りになる。普通の選手が背中をとられるところをとられない」と評している。
すでに一流と言われるような選手に、原則の話は必要ないのかもしれない。ただ、才能ある選手を言語化することで見えてくるものがある。それに気づくことができれば、才能のある選手に肩を並べられる可能性が生まれる。『蹴球学』はそのような人のためにあるのかもしれない。