堂安律の”暗黒時代”。腐りかけたガンバ大阪U-23時代に急成長を支えた”修正力”。「頑固なようで柔軟だし、気が強いようで繊細だし、強気な発言もするけど聞く耳は持っている」
サッカー日本代表を背負う堂安律はどのように10代を過ごしたのか? 初書籍『俺しかいない』の3刷重版も決定した堂安律が世界に羽ばたく前、ガンバ大阪で成長した日々を指導者&先輩の証言で振り返る。ガンバ大阪U-23初代監督として堂安律を指導した實好礼忠氏に話を伺った(全4回の第4回)。
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■「練習が終わると、少し寂しい顔をしているというか、どこか不完全燃焼な表情をしていることもあった」
ガンバ大阪U-23が発足し、實好礼忠が同チームの初代監督に就任した2016年。高校3年生だった堂安律も”飛び級”でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
前年度にはすでにユースチーム所属の二種登録選手としてJ1リーグデビューを飾っていたからだろう。「僕の目標はトップチームの試合に絡み続けること」と話していた堂安。またアカデミー時代から飛び級でトップチームに昇格し、活躍していた宇佐美貴史や井手口陽介らを見てきたからこそ、自分もそこに続きたいと決意をにじませた。
ところが、蓋を開けてみれば、堂安はこの年、ほとんどの時間をガンバU-23で過ごす。悔しさは封印し、若い選手が中心のガンバU-23のトレーニングに黙々と向き合っていたのを覚えている。
「サッカー人生のなかでもいちばんの暗黒時代だったと思う。ピッチに立ったら一生懸命やるから、周りにはそう思われていなかったはずやけど、内心、腐っていました」(堂安)
そんな彼に、繰り返し声をかけていたのが實好だった。練習中はもちろん、練習を終えた後もグラウンドに座り込み、話をしている姿をよく見かけたもの。堂安によれば、「プロサッカー選手としての心構えの甘さを指摘されて怒られたことも何度もあった」そうだが、そこには確かな信頼もあった。
「練習はキツかったけど、ノリさん(實好)はいつも僕らに目線を合わせていろんな話をしてくれたし、僕もなんでも話せました。普通、監督に愚痴なんかこぼせないのに、なんならノリさんには愚痴も言えました(笑)。かと言って甘い言葉はかけられなかったですけど、そこで厳しく接してもらったことにすごく助けられた」(堂安) 実は、これは實好が意図的に行っていたコミュニケーションだったという。
「当時のU-23は時に、トップチームに選手が駆り出されると4~5人で練習をする日もありましたから。選手それぞれに思うところはあったはずだし、律自身も悔しさは感じていたと思います。ただ、律はどんな状況に置かれても練習はきっちりやり切るタイプだったので、手がかかったという印象もまったくないです。
そういう意味では、僕がメンタル的なコントロールをする必要はなかったですけど、練習が終わると、少し寂しい顔をしているというか、どこか不完全燃焼な表情をしていることもあったし、グラウンドに居残って一人でボールを蹴っている姿もよく見かけたので。そんな時は『律、最近はどうや?』って声を掛けて、彼のプレーについてはもちろん、海外の試合を参考に話をしたこともありました。
もちろん、今はキャリアも重ねて自分の気持ちのコントロールもできるようになったと思いますが、当時はまだ10代でしたから。ほかの選手もそうですが、僕なりに表情を感じ取って声を掛けることも多かったです。律との会話はほぼ、あいつが一方的に話していた気がしますけど(笑)」
■「周りの指摘を素直に聞き入れて、変化につなげていく力は彼の成長に拍車をかけたんじゃないか」
もちろん、プロキャリアを歩み始めたばかりの堂安のプレーも、鮮明に記憶に残している。「持ち味ははっきりしているけど、それ以外のところは荒削りだな」というのが最初の印象だ。
「左足でスッとボールを収めて、前を向いてドリブルで仕掛けるという、いわゆる今の律にもつながるプレーには光るものを感じたし、彼がそこに自信を持っていることはプレーからも伝わってきました。ただ、ボールを収める部分ではまだまだ荒削りで、ボールが跳ねることも多く、特にゲームになるとロストがめちゃ多かったです。
そういう意味では『収める力』が磨かれて、もっといい状態でボールを受けられるようになれば律の強みがより発揮できるだろうなと思っていました。あとは、トップチームの長谷川健太監督(現・名古屋グランパス監督)が理想とするサッカーから逆算して、ハードワークや守備はまだまだ成長しないといけないなとも感じていました」
指導する中で驚かされたのが、堂安の”修正力”だという。当時、實好は試合を終えると選手ごとに映像を作って課題を指摘していたが、堂安については似たような映像を繰り返し見せることがほぼなかった。
「とにかく飲み込みが早かったです。律には『このシーンではここまで守備に戻れ』『このコースはパスを通せないようなポジショニングで閉めろ』といった守備やポジショニングの指摘が多かったですけど、それを繰り返し言った記憶はないです。中には試合が終わるたびに似たような映像を見せなきゃいけない選手もいましたけど(苦笑)。
それはプレー面以外も同じで……。一度、彼の『舌打ち』を注意したことがあったんです。プレーがうまくいかない時にチェッとやる癖があり、それは自分にもプラスにならないし、仲間へのリスペクトもないからやめろ、と。そしたら彼がガンバを離れるまで2度と舌打ちをしている姿は見ませんでした。そんなふうに周りの指摘を素直に聞き入れて、変化につなげていく力は彼の成長に拍車をかけたんじゃないかと思います」
修正力、飲み込みの早さは、すぐにJ3リーグでの結果に繋がり、開幕戦からスタメンを預かった堂安は、2節・グルージャ盛岡戦でプロ初ゴールを挙げたのを皮切りにコンスタントに得点を重ねていく。だが、21試合で10得点と結果を残しても、トップチームから声がかかることはほぼなかった。
「時間を追うごとにJ3リーグでは簡単に点を取り始めるようになったので、正直、僕としても夏過ぎには『もうこのステージの選手じゃないな』という思いは強くなっていました。本人も内心はモヤモヤしていたとは思います。
ただ、彼がポジションを競うトップチームの選手は二川孝広(現・FC TIAMO枚方監督)や阿部浩之(現・湘南ベルマーレ)でしたから。彼らに比べるとシュート精度は劣ったし、守備力においても、トップチームで求められるレベルには達していないという判断だったんだと思います。それを本人が自覚していたのかはわからないですが、練習で悔しさを態度に出すようなことは一切なかったです。
律はもともと練習をしっかりやる選手で、チーム練習とは別に、シュート練習もめちゃめちゃしていたし、とにかくボールと戯れているのが好きでしたから。キツい内容のトレーニングを課した日も少し自分を回復させてから欠かさずシュート練習もしていましたね。もしかしたらボールを蹴ることで悔しさを晴らしていたのかもしれません」
この時期、實好はよく漫画の『HUNTER×HUNTER』をヒントに『量質転化』の意識を選手に説いていたと聞く。読んで字のごとく「量を積み重ねることで質を生み出す」意識だ。この頃の堂安もまさに、その言葉のままに練習を重ねた時期でもあった。
■「彼の言葉の強さは人の話をしっかり聞く力、自己分析をもとに変化につなげられる力があってこそ」
ガンバU-23でのプレーが続く中で、實好が繰り返し堂安に求めたのが「相手が何人いようと、そこに向かっていける選手になること」だ。戦術重視のサッカーがトレンドになりつつあった時代においてある意味、真逆の要求だった。
「一般的には、仕掛けの際に数的不利の状況なら、チャンスを作り直すのがセオリーとされていましたけど、トップチームで活躍したいなら、そこを突破していける選手になれ、と求めました。
もちろん、闇雲に仕掛けろ、ということではないですが、律にはアカデミー時代から積み上げてきた状況を判断する力が備わっていたからこそ、周りを見て、例えば2対3の状況なら相手を惹きつけながらワンツーで抜けるとか、状況に応じてプレーを変えてチャレンジしろ、と。実際、それを続けているうちに相手が何人いようと恐れずに突破できるようになっていったし、それが明確に得点にもつながっていきました」
実は、實好が求めたこの仕掛けの意識は、堂安が以前、「ノリさんのアドバイスで最も印象に残っている」と話していたことでもある。
「普通、大人になるほど、どの指導者も効率の良いプレーを求めるじゃないですか? でもノリさんには常に、2対2でも2対3でも崩しにいけと求められました。『さすがに2:5なら無理やろうけど2対3ならGOだ。そこでサイドチェンジをするのは簡単だけど、そこで崩し切れたら間違いなくチャンスになるぞ』と。
そういうアドバイスをされたのは初めてだったからめちゃめちゃ新鮮でしたし、10代のうちにそれを学べたのは大きかったです。実際、昨年のW杯カタール大会もそうでしたけど、今の時代はたとえ数的不利でも抜き切れる選手が貴重とされていますしね。ドイツでプレーしている今もそれは常に意識しています」(堂安)
そんなかつての教え子のプレーを、實好は今も時間が許す限り、映像でチェックしているという。
「律のすごさは、カットインからシュートという、ある意味、子供から大人まで誰もがするプレーを、戦う舞台が変わっても、相手のレベルが上がっても同じようにやってしまうこと。
あとはやっぱり、今もU-23時代と同じように、周りのアドバイスや環境を受け入れて、変化につなげていけるところだと思います。
最近は彼の言葉の強さも手伝って、メンタルの強さがクローズアップされていますけど……確かに芯のある選手ですが、ああいう発言ができるのは人の話をしっかり聞く力、自己分析をもとに変化につなげられる力があってこそ。それは今も変わっていなくて頑固なようで柔軟だし、気が強いようで繊細だし、強気な発言もするけど聞く耳は持っている。それが律の成長を支えていると僕は思っています」
さらに實好らしい言い回しで「環境に慣れずにサッカーをしてほしい」とも言葉を続けた。
「自分が置かれている環境に慣れて、なぁなぁでプレーしている律は見たくない。より高いところを目指してガムシャラにサッカーと向き合える律がいる限り、きっと右肩上がりの成長曲線を辿れるはずですから」
そして、實好自身は、そんな堂安の姿を人知れずこっそり楽しみ「ヨシヨシ、やってるな」と思うことが、至福の時間になっているそうだ。
●堂安 律(どうあん・りつ) 1998年6月16日生まれ、兵庫県尼崎市出身。ガンバ大阪、FCフローニンゲン(オランダ・エールディヴィジ)、PSVアイントホーフェン(オランダ・エールディヴィジ)を経て、2020年9月にアルミニア・ビーレフェルト(ドイツ・ブンデスリーガ)へ期限付き移籍。21年には再びPSVアイントホーフェンでプレーし、22年7月にSCフライブルク(ドイツ・ブンデスリーガ)へ完全移籍。18年9月からサッカー日本代表としても活躍中。21年の東京五輪では背番号10、22年のカタールW杯では背番号8を背負った。また、地元・尼崎で実兄の憂とともに、未来の日本代表10番を育成するフットボールスクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を運営中
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