【J30ベストアウォーズ】遠藤保仁、Jリーグ一筋の男が画策したブラジル移籍/とっておきメモ
1993年5月15日に開幕したサッカーのJリーグは30周年を迎え、記念イベントが15日に都内で開催された。この30年を振り返る「明治安田J30ベストアウォーズ」として各賞の受賞者が発表され、MVPには磐田MF遠藤保仁(43)が選ばれた。J1で672試合、日本代表で国際Aマッチ152試合と、ともに歴代最多の出場数を誇りJリーグの顔となった。
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遠藤がまだ30代前半だったころ、実は、ブラジルリーグへの移籍を進めたことがある。10年W杯南アフリカ大会が終わった2年後だった。当時31歳。代表活動中に単独で10分程度話す機会があった。ポロッと話し始めた。
「実はさぁ、オレ代理人にブラジルのチームを探すようにお願いしてるんだよ。早ければ今季終了後、遅くても来年中にはブラジルに移籍しようと思っているよ」
「えっ? なんで? ヨーロッパじゃなくて?」と聞き返した。
すると「厳しい環境でやった方が力が伸びるんだよ。環境に恵まれすぎるより、あまり整ってないところの方が生きるための工夫もするし、努力もする。頭も使うからね。オレは新しいのに挑戦するのが好きだし、サッカーがもっとうまくなると思うからね」と淡々と理由を述べた。
すでに家族にも相談済みだったという。
「あまりにもリスクが大きいんじゃないの?」と聞くと、「それだけじゃないでしょ。分からないの? 2年後にはブラジルW杯があるじゃん。日頃からブラジルでやってると、W杯で100%の力が出せるじゃん。慣れるためのトレーニングも必要ないしね。オレは本当にW杯で優勝したいんだよ」。
南アフリカ大会で本田圭佑を中心に「目標はW杯優勝」と掲げたが、それをそのまま信じた人は多くない。「目標はあくまでも目標」との意見が多かった。しかし、多くの選手は本気で優勝を目指していたし、遠藤もその1人だった。敗退翌日の空港ではクールな男が珍しく「負けて初めて泣いたわ」と告白した。
しかし所属していたG大阪が移籍を許可しなかったことや、見合ったクラブが見つからなかったことなどもあり、実際にブラジル移籍は実現しなかった。
「もっとうまくなりたい」。その一念は、現役を続ける限り消えることはないはずだ。【盧載鎭】