Jリーグ史上最も残酷な結末「長居の悲劇」セレッソ大阪の優勝は試合終了直前の失点で消えた

Jリーグ30周年 忘れられない名勝負

Jリーグが今年30周年を迎えるにあたり、スポルティーバではリーグの歴史を追ってきたライター陣に、30年のなかで忘れられない名勝負を挙げてもらった。第2弾は、原山裕平氏が選んだ2005年の「長居の悲劇」だ。

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【あれよという間に優勝争い。最終節前に首位】

悲劇か、奇跡か。

「忘れられない試合」というテーマに対し、パッと思いついた試合はふたつある。

ひとつは2005年の「長居の悲劇」。そして、もうひとつは2008年の「フクアリの奇跡」である。

どちらも現地で目の当たりにし、大きな衝撃を受けた試合だったが、人間とは喜びよりも、悲しい出来事のほうが強く記憶に刻まれるのだろう。15年以上経って改めて振り返ってみると、スタジアムが歓喜に沸いた奇跡の生還劇よりも、観衆が涙に暮れた残酷なまでの結末のほうが鮮明に思い起こされる。

2005年のセレッソ大阪は、決して下馬評は高くなかった。前年に残留争いを強いられたチームから、エースの大久保嘉人が移籍したことで戦力の低下が懸念されていたからだ。2004年途中より指揮を執りチームを残留に導いた小林伸二監督の下で再起を図ったものの、開幕から3連敗といきなり躓いた。

ところが小林監督が求める堅守速攻スタイルが次第に浸透すると、新加入のブラジル人トリオも徐々にフィット。古橋達弥、下村東美、前田和哉ら若手の台頭も目覚ましく、4節から8戦負けなしと粘り強い戦いを実現すると、19節からは再び無敗街道を突き進み、あれよ、あれよと優勝争いに参戦。

そして終盤に突如失速したガンバ大阪を捕らえ、最終節を前についに首位に立ったのだ。

最終節の相手はFC東京だった。勝利すれば悲願の初優勝を実現できる状況だったが、不安もあった。盤石と思えた堅守速攻スタイルに、次第にほころびが生じ始めていたからだ。

先行逃げ切りの勝ちパターンで快進撃を続けてきたC大阪だったが、32節の大分トリニータ戦、そして33節の横浜F・マリノス戦はともに終了間際に追いつかれて引き分けに持ち込まれている。攻撃を受ける時間が長くなり、耐えきれずに失点する試合が続いていたのである。

さらに3バックの中央を務めていたブルーノ・クアドロスが、出場停止となってしまった。守備の要を欠いたまま最終決戦に挑むことになったのだ。

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