浦和ACL激闘ヒストリー 初優勝から苦難の連続…積み重ねてきた経験を糧に史上初・3度目のアジア制覇へ

通算8回の出場を誇る浦和、07年と17年にアジア制覇も過去の苦戦を回顧

3回目のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝を目指してアル・ヒラル(サウジアラビア)との決勝戦に臨むJ1浦和レッズには、アジアの頂点を目指した激闘の歴史がある。2007年の初出場、初優勝から通算8回の出場の過程では、いくつもの象徴的な場面があった。

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05年度の天皇杯を制して07年大会への出場権を獲得した浦和は、前年にリーグ初優勝を果たすなど充実の戦力に、さらに守備的なポジションのポリバレントであるMF阿部勇樹を獲得してアジアの舞台に臨んだ。しかし、グループステージから簡単なゲームはなく、特にアウェーゲームでは大苦戦。シドニーFC(オーストラリア)やペルシク・ケディリ(インドネシア)への長距離、長時間移動を伴うゲームでは、国際大会でホームゲームになると全くキャラクターが変わるチームがいることを実感することになる。

それでも何とかベスト8へと進出すると、韓国勢との連戦に。全北現代を下すと準決勝の城南一和戦はペナルティーキック(PK)戦までもつれ込む大激闘に。第2戦のホームゲームだった埼玉スタジアムでは、PK戦が行われる北ゴール裏にサポーターたちがビッグフラッグを大集合させて相手にプレッシャーをかけて勝ち抜いた。決勝ではセパハン(イラン)を下し、アジアの頂点に立った。

しかし、ここからは苦難の歴史が始まる。翌年は前回優勝チームとしてベスト8から登場するも、準決勝でガンバ大阪との日本勢対決に敗れた。チームが世代交代の過渡期を迎え、あるいは強化方針も二転三転している間に09年から12年までの4シーズン連続でACL出場権を逃した。その間にアジアのサッカー界では「チャイナ・マネー」を背景に中国勢が台頭。13年に久々の出場を果たした浦和だが、開幕戦の広州恒大(中国)相手に0-3で粉砕されるなど苦しい時期を過ごす。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の攻撃的なサッカーでボールを支配するも、能力の高い外国人選手を前線に残してシンプルなカウンターを仕掛ける中国勢や韓国勢の壁を破れない時期が続いた。13年と15年はグループステージで敗退し、16年はラウンド16でFCソウルにPK負けした。

悔しさをバネに17年に2度目のACL優勝も19年大会では決勝でアル・ヒラルに完敗

サポーターとともに東アジアの頂点を勝ち取り3度目のACL決勝戦へ

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