なぜフランス初陣で初ゴールを決められたのか…鈴木唯人21歳が試みる意識改革「パスで逃げていたら何も変わらない」〈パリ世代インタビュー〉
パリ五輪世代連続インタビュー。今回は大岩剛監督率いるチームの中軸と期待され、フランスの地でついにデビューを果たし、ゴールまで決めた鈴木唯人だ。彼のキャリア、そして21歳にしてヨーロッパを主戦場にして感じることなど、単独インタビューに応じてくれた。(後編も)
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ストラスブール加入から2カ月半。念願のフランスリーグ・デビューを果たした鈴木唯人は、ピッチに立ったわずか14分後、初ゴールまで決めてみせた。
4月16日に行われたアジャクシオ戦のゲーム終盤、イブラヒマ・シソコのパスを受けると、立ちはだかる3人のDFに怯むことなくドリブルを仕掛けて中央に切れ込み、4人目のDFが寄せるよりも早く左足を振り抜く――。
直後、ホームのスタッド・ドゥ・ラ・メノが爆ぜた。
清水エスパルス時代であれば、パスを選択していたかもしれないシチュエーションだが、鈴木は脇目も振らずにシュートへと持ち込んだ。
強引にも見えるプレーはその2週間前、彼が自身に言い聞かせるように、口にしていた言葉そのものだった。
「こっちではゴールに直結する動きをした選手が評価されるんですよ。ある意味、点が取れれば、その過程はどうでもいいというか。自分も強引に行くとか、普段なら選択しないようなプレーをしないといけないなって感じているところです」
デビューはそう遠くないかと思われていたが
4月3日、モナコ戦翌日――。
待ち合わせのホテルのカフェに姿を現した鈴木は、「昨日の試合前、南野(拓実)さんと話す機会がありましたよ」と笑顔を覗かせた。
この日、前日のリーグ戦で出番のなかった選手たちは負荷の強いトレーニングを行ったようで、「今日は疲れました」と苦笑する。
エスパルスからストラスブールへの期限付き移籍が発表されたのは、Jリーグの各チームのキャンプが佳境に入った1月27日のことだった。
2月1日のスタッド・レンヌ戦でさっそくベンチ入りメンバーとなったとき、デビューの瞬間はそう遠くないと思われた。
ところが、その後10試合でベンチ入りしたものの、5人交代の時代にもかかわらず、声はかからない。唯一の出場は3月18日、Bチームの一員として参戦した3部リーグのシルティカイム戦の前半45分間だけ。コンディションの維持を含め、アスリートとして難しい状況に置かれていたのは間違いない。
「サッカーの本質を捉えている」と語る根拠は?
だが、鈴木は「刺激と学びだらけ」とポジティブに受け止めていた。
「フランスリーグって、言葉で表すのは難しいんですけど、シンプルに言うと日本とは真逆で、求められることが全然違う。日本のときのままやっていても評価されないなって。頭をちゃんと切り替えないといけない。でも、日本とは違うサッカーを知れて、自分にはプラスしかないですね」
日本人にとってフランスリーグが身近に感じられるようになったのは、2004年の松井大輔の挑戦からだろうか。
以降、中田浩二、酒井宏樹、長友佑都、植田直通、昌子源、伊東純也、南野、そして今、鈴木のチームメイトである川島永嗣……といった代表戦士たちがプレーしてきた。黒人選手の多さゆえに、フィジカルとスピードがモノを言うリーグという印象があるが、鈴木がさらに深く掘り下げる。
「サッカーの本質を捉えている、という言い方ができると思いますね。それが、このリーグでプレーする選手たちのハングリーさと結びつくのかなって思うんですけど。とにかく結果がすべて。ゴールに直結した動きが評価される。日本だと僕は間で受けてターンして、パスを捌いて出ていく、といったプレーをよくしていましたけど、こっちだと間がないというか。相手はマンツーマンで潰しにくるので、そこでいかに剥がして、ゴールに向かっていくかが求められるんですよ」
“これ”という武器を持ってないとダメだなって
チームを率いるのは、98年から99年にかけてガンバ大阪の指揮を執った経験のあるフレデリック・アントネッティである。若き日の稲本潤一や宮本恒靖を重用した指揮官からは「まずは慣れることが大事だ」と声をかけられているが、慣れるべきはフランスリーグのフィジカルやスピードだけではない。
「自分が何を求められているのか、何をやらなければならないのか、こっちの評価基準に慣れることも大事。傍から見ていて悪くないプレーをこなしていたら、日本だと『徐々に馴染んできたな』っていう評価になると思うんですけど、こっちだとそうはならない。“これ”という武器を持ってないとダメだなって。2トップの一角に入ってトップ下のような役割を担っている自分の場合、ゴリゴリ行って相手を剥がせないといけない。監督に『この選手を使ったら、こういうことが期待できるな』って思わせられるかが大事なんで」
勝利に貢献するのが大前提で、強引に
試合出場から遠ざかっていた日々の中で貴重な場となったのが、3月下旬に行われたU-22日本代表のドイツ戦、ベルギー戦だった。
24年のパリ五輪を目指すこのチームの主力である鈴木にとって、欧州移籍後初の代表活動となったこの遠征で、心に決めていたことがある。
多少強引であってもゴールに向かって仕掛けていく――。
「チームの勝利に貢献するというのが大前提で、自分としてはトライの場だと考えていて。もしかしたらパスをしたほうがいい場面もあったかもしれないですけど、行けると思ったら突っ込んでいく。実戦で突っ込んでみないと感じられないことがあるし、自分はそこで何かを掴みたかった。武器を作っていくためにも、今の自分がどんなものなのかを感じ取るためにも、強引にプレーしました」
直線的にゴールを目指すマインドが奏功したのか、3月27日のベルギー戦ではドリブルでペナルティエリア内に持ち込むと、やや遠めから思い切って右足を振り抜き、ファーサイドネットを射抜いてみせた。
「パスで逃げていたら何も変わらない。行かないという選択を一度しちゃったら、感覚的に行けなくなる。正直、パスを出すことはいつでもできると思っているんで。久しぶりの試合だったから、高望みもしてなかったですし、すべてがうまくいくとも思ってなかった。それでも試合から遠ざかっている中で、あれくらいスルスル行けるなら、試合勘を保った状態なら、前よりもスルスル行けるなって。普段から日本ではやれないようなデッカい選手たちと練習しているぶん、足の出どころとか、体の入れ方とか、言葉じゃうまく説明できないんですけど、体が覚えていましたね」
主張しないと“現状に満足している”って思われる
代表戦をチェックしてくれたアントネッティ監督からはプレーを評価されたが、それでも公式戦での出番は回ってこなかった。
むろん、鈴木も黙々と自己鍛錬のみに励んでいるわけではない。指揮官のもとを訪れ、自己主張を何度も繰り返した。
経験豊富な“最高の通訳”を伴って――。
「今日も永嗣さんに付いてきてもらって、『どうしたらいいのか? 』って聞きに行きました。こっちでは自分の考えを主張しないと、現状に満足しているって思われるんで、しつこいくらい行くようにしています。監督からは『攻撃面でいいものを持っているのは分かっている』と。『パワーやインテンシティをもっと求めたいし、守備でももっと存在感を出してほしい』と言われていて。それは絶対に必要なことだと思うんで、克服していきたいし、攻撃でも淡々とやるんじゃなく、粗くてもいいから自分を出していきたいですね」
エスパルスでの最後は、反省があって
もともと、指揮官に対して自分の意見を主張するタイプだ。エスパルス時代の20年シーズンには高卒ルーキーだったにもかかわらず、ピーター・クラモフスキー監督に「なぜ、使ってもらえないのか」「どうしたらいいのか」と、積極的に聞きに行っていた。
だが、振り返ってみると、ストラスブール加入前の半年間は、そうした姿勢が薄れていた。22年シーズンの後半戦、過去2年半はチームの主力だった鈴木は、ベンチを温める存在になっていた。 「エスパルスでの最後は、自分の中で反省があって。あれを繰り返しちゃダメだなって……」
<後編につづく>