「ソシエダへの興味」は久保建英加入前から…J2徳島・強化本部長が明かす“業務提携の真相”とスペイン路線、選手獲得サイクルの狙い
Jリーグ各クラブはそれぞれ“いかに強くなるか”という命題を突き付けられている。徳島ヴォルティスはスペイン人指導者やレアル・ソシエダとの業務提携など様々なトライをしているが、地方クラブにあってどんな“独自色”を見出そうとしているのか。岡田明彦強化本部長に幅広く聞いた(全2回の2回目/#1も)
【写真】17歳の柿谷がヤンチャそう+「年間たった3勝」しかできなかった徳島が強くなるまでのプロセスを一気に見る(30枚超)
PK戦の末にアルゼンチンがフランスを下し、リオネル・メッシがW杯を掲げた翌日となる2022年12月19日、徳島ヴォルティスが“ラ・レアル”ことスペインのレアル・ソシエダと育成業務提携を締結したことが発表された。
“ラ・レアル”と言えば、22年7月に久保建英が加入したことで日本での知名度が増しているが、徳島の岡田明彦強化本部長がこのクラブを訪れたのは、それ以前のことだった。
「去年(22年)の5月ですね。ただ、“ラ・レアル”への関心はそれ以前からありました」
「ラ・レアルが面白い」という話を耳にした
岡田は17年にスペイン人指揮官、リカルド・ロドリゲスを招聘し、21年には同じくスペイン人のダニエル・ポヤトスに後任を託している。スペインには何度も足を運び、クラブ運営のアイデアやヒントを得るために、ドルトムント(ドイツ)やアヤックス(オランダ)、アンデルレヒトやヘンク(ともにベルギー)なども視察した。
「いろんなところを回りながら、どのクラブの育成が面白いのか、どのクラブが参考にできるのか探していたら、『ラ・レアルが面白い』という話をすごく耳にしたんですよ。それで、『知り合いはいない? 』って繋げてもらって」
レアル・ソシエダはスペインリーグで上位争いを繰り広げ、3季連続してヨーロッパリーグに参戦。チャンピオンズリーグ出場も狙える強豪クラブである。
レアル・マドリーやバルセロナのようなビッグクラブではなく、いわゆる地方クラブ。クラブが拠点を置くバスク州ギプスコア県の人口は約70万人で、徳島の人口とほぼ同じだ。
欧州屈指の育成型クラブとしても知られ、21-22シーズンに欧州5大リーグで最もアカデミー出身の選手を起用したクラブが、レアル・ソシエダだった。
ソシエダとの提携でキーパーソンになったのは?
こうしたデータを示しながら、岡田が熱っぽく説明する。 「都市の規模やクラブ規模、アカデミーの考え方やメソッドの体系、人を大事にするところなど、うちとすごくリンクしているなと。実際に訪れてみても、フィーリングがすごく合ったというか。それで、ぜひ提携したいと」
とはいえ、提携を申し出る海外クラブはたくさんあるはずで、レアル・ソシエダも最初から岡田のアプローチに対して積極的だったわけではない。
「また暇な人が来たな、という感じだったと思います(苦笑)」
そこで大きかったのは、スペイン語が堪能な大谷武文アカデミーダイレクターの存在である。
「僕がアカデミーダイレクターを研修させてもらう段取りをつけて。それで9月に大谷に研修に行ってもらった。そこで彼が我々のクラブのことや考えをスペイン語でしっかりと説明してくれたんだと思います。それを機に、向こうの雰囲気が変わりましたから」
10月にはレアル・ソシエダのインターナショナルフットボールダイレクターやメソドロジーダイレクターが来日し、交流を深めていく。そして12月、提携に漕ぎ着けたばかりか、ベニャート・ラバイン新監督をレアル・ソシエダから迎えることになったのだった。
ソシエダとの育成業務提携内容は、大きく3つ
レアル・ソシエダとの育成業務提携の内容は、大きく以下の3つである。
・若手選手の育成プログラムの強化 ・指導者の能力向上 ・事業全般における国際交流および経営、運営面の情報交換 「トップチームのプレーモデルから紐づけてメソドロジーを構築し、アカデミーの選手を育てていきたい。そのメソッド作りのヒントを得られれば、と思っています。アカデミーの選手たちが向こうに行って、“ラ・レアル”の選手としてトーナメントに出場するという話もあるんです。いいと思う選手がいたら、レンタル移籍させてもらって、将来買い取ってもらうこともあるかもしれない」
指導者も留学や定例ミーティングを通してコーチングスキルを向上させ、ノウハウを学んでいく予定だが、交流はフットボールにとどまらない。
「3月頭には“ラ・レアル”の事業スタッフの方々にも来ていただいたんです。ギプスコア県サン・セバスチャンという地方でどうやって、あれだけの人気クラブになったのか。我々も“徳島にしかできないこと”にこだわりながら、地域に必要とされるクラブになりたいので、ディスカッションしながら互いに高め合っていきたいと思っています」
選手が抜けても戦力を維持できるようにしていく
アカデミーからトップに昇格する選手をコンスタントに輩出していくことを目指しているが、“育成成長型クラブ”としての評価はここ数年で定着している。
17年のリカルド・ロドリゲス監督招聘以降、攻撃的なスタイルを打ち出して20年に2度目のJ1昇格に成功したが、その間に大﨑礼央(現・ヴィッセル神戸)、山﨑凌吾(現・京都サンガF.C.)、渡大生、馬渡和彰(現・浦和レッズ)、広瀬陸斗(現・鹿島アントラーズ)……と、育てあげた若い選手をJ1クラブに送り出してきた。
「重要な戦力を残せないわけで、契約担当者としてはポンコツなんですけど(苦笑)。うちから羽ばたいてくれるのは嬉しいですよ。徳島に行けば成長できるということを証明してくれているわけなので。プロサッカー選手でいられる時間は限られているので、少しでも大きなクラブに行って、自分を披露してもらいたい。選手が抜けても戦力を維持できるようにしていくのが僕の仕事。そういう仕組み作り、環境作りも“ラ・レアル”から学びたい部分です」
羽ばたくという点で言えば、昨夏、岡田にとって嬉しい出来事があった。静岡学園高から18年に加入した渡井理己がポルトガルのボアヴィスタに期限付き移籍したのだ。
「理己は加入したときから将来の海外でのプレーを意識していて。昇格争いをしていたときやJ1に昇格したとき、複数のJ1クラブからオファーが届いたんですけど、それを蹴ってまで『徳島から世界に行きたい』と言ってくれて。戦力面では苦しくなりますけど、そうやってうちから世界に羽ばたく選手を増やしていきたいですよね」
「どっちが強化責任者か」というほどの岩尾の働き
さらにもうひとり、徳島から巣立った選手として、岩尾憲を挙げないわけにはいかない。
16年に水戸ホーリーホックから加入し、リカルド・ロドリゲス監督のスタイルの最高の理解者としてピッチ内外でチームをまとめ、22年に33歳にして浦和レッズへと移籍した。
「集団や組織の作り方を選手ながらにすごく考えてくれて。どっちが強化責任者か分からないくらい(苦笑)。2年目からはキャプテンとして、理想と現実の両方を見ながらチームに働きかけてくれた。悔しい思いもたくさんして、自分の力のなさを痛感したときもあったと思うんですけど、そこで逃げないのが憲。言語化しながら、全体を巻き込む力があって、徳島を応援してくださっている方々に対する発信力は素晴らしかった。クラブの成長にすごく貢献してくれて、クラブを一緒に作ってくれたな、と思います」
「また徳島でやりたい」という選手が増えた
クラブが作り上げたのは選手を送り出すサイクルだけではない。
「また徳島でやりたい」と戻ってきてくれた選手もいる。
12年にガンバ大阪へと旅立ち、15年に復帰した佐藤晃大はその後8年間、徳島でプレーしたのちに昨シーズン限りで現役を引退。2月19日の開幕戦で引退セレモニーが行われた。
18年に巣立った渡もJ1の3クラブで経験を積み、今季6年ぶりに復帰した。
「このクラブのために戦いたいとか、このクラブに戻ってきたい、このクラブで引退したいと思ってもらえるようなものをしっかり作りたい。そこを大事にしていきながら勝てたら、オシャレじゃないですか(笑)」
そして、元日本代表の柿谷曜一朗が今オフ、実に13年ぶりに徳島に帰ってきた。
今季の補強のラストピースであり、サプライズだった柿谷には、単なる戦力にとどまらない期待がかかる。
「去年は相手を押し込む回数は多かったのに、得点が少なかった。エリア近くで違いを出せる選手が必要で、そういう部分での期待が曜一朗にはあります。でも、それだけではないんです。うちで活躍してセレッソ大阪に戻って日本代表になって、W杯にも出て、海外でもプレーしたじゃないですか。そういう経験を若い選手たちに伝えてほしい。曜一朗と一緒にプレーすることで、若い選手に日本代表や海外をイメージしてほしいし、そういうのを目指して若い選手がうちに来てほしい」
僕が強化担当になった頃、予算規模は…
このインタビュー中、岡田は「最も負けている強化担当」「ポンコツ」「頼りない」と何度も自虐の言葉を口にした。
「だって、僕が強化担当になった頃、予算規模は6億円くらいだったんですよ。それが今は4倍の24億円くらい。6億円のクラブで失敗した強化担当が24億円のクラブの一番上をやっている。ヤバくないですか(苦笑)。しっかりしないとなって思います。昔は批判されて悩むこともあったんですよ。そうしたらプロ選手だった弟(岡田直彦)から、『選手としてなんの実績もなくて、強化として結果も出せていないのに、批判されなかったらおかしいよ』と言われ、確かにそうだなって。勝ち残ってきた人だからやれることもあれば、僕のように勝ち残れなかったからこそ、できちゃうこともあるんじゃないかって」
こうして岡田は徳島の強化に18年間携わってきたが、言い方を換えれば、誰も岡田をクビにしなかったということだ。
人を大事にする、というのは、徳島の文化なのかもしれない。
歴代監督を見ても、05年のプロ化から8人しかいない。“サッカー監督は世界で最もクビになりやすい職業”と言われるなかで、これは極めて少ない人数だ。徳島がいかに監督を大事にしてきたかが分かる。
結果として2年で退任することになったダニエル・ポヤトスにも契約延長のオファーを出していたから、ガンバ大阪に引き抜かれなければ、今オフの監督交代もなかった。
「一緒に作っていくという姿勢はうちが大事にしていることかもしれませんね。実際、僕以外にも在籍の長いスタッフがいて、しっかり積み上げていこうとしています。もちろん、そこには岸田一宏社長やスポンサーの考えもあると思います」
徳島杉で作られたクラブハウスとともに文化を
2月19日の大分トリニータとの開幕戦は、ポカリスエットスタジアムが1万2000人の観客で埋まった。翌日に行われたサブ組の練習試合も平日の昼間にもかかわらず、たくさんのファン・サポーターが見学に訪れていた。
その練習場には21年に完成した、徳島杉で造られた素敵なクラブハウスが建っている。
「この街で、フットボールを文化に成熟させていければ、すごく素敵だと思うんです」
18年前の岡田には想像もできなかった世界が目の前に広がっている。だから、5年後、10年後、今はまだ想像できないような世界が待っていても驚かない。