A代表初選出の中村敬斗、“陽の当たる場所”に戻るまでの軌跡「遠回りのように見えても、一番大事なモノを手に入れた」

孤独と向き合い、自らを否定しなかった

ウルグアイ、コロンビアとの2連戦が組まれた3月シリーズで、森保一監督が2期目の指揮を執る日本代表が本格的に始動する。

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3月15日、招集メンバーが発表され、ニューカマーが4人、選ばれた。そのうちの1人、中村敬斗について指揮官は次のように印象を述べた。

「オーストリアで今活躍しているのは、皆さんご存知かと思う。得点という結果と、左ウインガーとしてチーム内でも、ヨーロッパの舞台でも存在感を放っている選手。私は東京五輪世代のチームの監督をした時に、アンダー世代でも招集しているなかで、彼の成長も追って見てきたが、このプロという世界、代表という舞台でも戦える力をつけてきている選手かなと思っている。左サイドから得点に繋がるようなプレーを期待している」

オーストリアのLASKリンツで2年目を迎えた中村は、今季ここまで公式戦24試合に出場し、14得点・7アシスト。充実のシーズンを送っている。

その活躍が認められ、初のA代表選出。ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。だが、22歳アタッカーは信念を貫き、ようやく“陽の当たる場所”に戻ってきた。

己の才能を信じ、欧州の地で逞しく生き延びた男の成長譚を振り返る。2021-22シーズンを終えたタイミングで、中村は何を語っていたか――。

※本稿は『サッカーダイジェスト』2022年7月14日号から転載。一部加筆修正あり。

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中村敬斗はまっすぐな目で言葉を紡いだ。

「世間では“中村敬斗は消えた”と思われているかもしれないですね。現在もオーストリア・リーグで注目度も高くないかもしれない。それなら帰国すればと思われるかもしれない。でも……僕はこの選択は良かったと心から思っています。時間をかけて、遠回りのように見えても、一番大事なモノを手に入れたと考えているんです」

ヨーロッパでのシーズンは3年目を終えた。最初の2クラブでは徐々に出番を失った。一度はカテゴリーをオーストリア2部まで落とした。それでも孤独と向き合った。自らを否定しなかった。

そして21-22シーズンは、オーストリア1部のLASKでリーグ22試合・6得点・1アシスト、ヨーロッパカンファレンスリーグ5試合・3得点。「街を歩いていて一度も日本人を見たことがない」と笑う人口約20万人の都市リンツで、かつて脚光を浴びたストライカーは立ち続けている。

ターニングポイントは2度あった。1度目は21年1月。ガンバ大阪から2クラブ目のレンタル移籍先になったベルギー1部のシント=トロイデンに所属していた時だった。

リーグ開幕戦から2試合連続スタメン出場したあとは、出番を失った。途中出場した12月1日のムスクロン戦で1ゴールをマークしたあとに、わずかの間に出場機会を得たが、その後は監督交代の憂き目にも遭い、再びベンチ外が続いていた。

不安な日々を過ごしながら様々な選択肢を模索していた際、保有権を持つG大阪から復帰を打診された。

「松波さん (正信/当時強化本部長)や首脳陣の方々とは何回も話し合いました。『ガンバに一度帰って、敬斗が行きたいならば、また海外もありなんじゃないか』と言ってくれたんです。その言葉は自分の心に温かく響きました。帰国も選択肢としてアリかな、と」

「東京五輪も考えていませんでしたね」

G大阪には、一度復帰して再び海外リーグへ羽ばたいた宇佐美貴史井手口陽介ら先輩たちがいた。出戻りは「決して恥ずかしいことじゃない」と捉えていた。しかも当時は足の靱帯を痛めていて、練習すらできない日々。未来など読めなかった。一方、欧州で挑戦し続けたい“もうひとりの中村敬斗”がいることも確かな事実だった。

「試合に出られないのは自分に課題があると分かっていたし、足りないところも認識していた。でも19-20シーズンに最初に海外挑戦したトゥベンテで、PSVやアヤックスから点を取ったイメージが残っていたんです。欧州で全然やれないわけじゃない。自分を否定したくなかった」

揺れる心の針。そして欧州の移籍市場が閉まる最終日までG大阪には待ってもらうようにお願いした。そのなかで届いたのが、ジュニオールからのオファー。LASKのセカンドチームで、所属リーグはオーストリア2部だった。

「ギリギリのタイミングでオファーが届いて、蓋を開けるとオーストリア2部。LASKからのオファーだったけど、セカンドチームでやるという内容でした。契約はセカンドチーム。パフォーマンスが良ければトップに上げる可能性もあるという状態。  シント=トロイデンのチームメイトには、オーストリア2部行きの決断をしてしまうのは早いと言われましたし、『夏まで残っていれば、もっと良い条件のクラブが探せるのではないか』とも言われました」

周囲は猛反対。名門・三菱養和ユースで名を馳せ、高校2年生でG大阪入り。18歳でJ1初スタメンも飾った。19歳で期限付き移籍加入したトゥベンテはオランダ1部。シント=トロイデンもベルギー1部に属する。常に陽の当たる場所を歩いてきた。ただ、直感的に「自分はジュニオールに行くだろうな」と思った。

そして背中を押してくれたのは、かつての恩師の言葉だった。

「ヤットさん(遠藤保仁/現ジュビロ磐田)の話をしてくれたんです」

電話口の声の主は、G大阪U-18を率いる森下仁志監督。中村がG大阪のU-23チームで指導を受けた指揮官だ。森下はクラブレジェンドとのやりとりを克明に明かしてくれた。

G大阪で出場機会が少なくなった遠藤が、U-23チームでJ3リーグへの出場を直訴し、クラブが尻込みしたところ、遠藤は「カテゴリーは関係ない。サッカーはサッカーでしょ」と答えた。この言葉を伝え聞いた中村は「確かにそうだな」と腑に落ちた。サッカー選手の価値はピッチにしかない。カテゴリーで最終評価が決まるものではない。自らの想いを言語化されたようだった。

「ダメなら選手としてそこまで。終わりだと思いながら、ここに賭けると決めた。東京五輪も考えていませんでしたね。とにかく欧州で試合に出たかった」

約束された未来が用意されていなくてもいい。純粋にサッカーと向き合いたい――。それだけだった。

意識してプレーできれば、今度は無意識にできるように

背水の覚悟だったが、自信もあった。シント=トロイデンで出会ったU-21アシスタントコーチの白石尚久氏と積み上げてきたモノがあった。本田圭佑の元分析官で、バルセロナのアカデミーコーチやオランダ1部リーグのチームでコーチを務めた実績もある白石氏は、中村の弱点と課題を指摘し、練習メニューを作成してくれた。

実際の試合を想定した走りのトレーニングが主だったが、狙いはプレー強度の向上と得点パターンの拡張。左サイドからカットインしたシュートは元々、得意だったが、「圧倒的にクロスからの得点が少なかった」。

パワーを持ってエリア内に入っていくために必要なトレーニングをこなした。トップチームの試合日、ベンチ入りできない選手はオフ。そこを休むのではなく、クラブハウスに足を運び、黙々とトレーニングをしてきた。

明確な形になったのはジュニオール移籍後、21年4月30日のVシュタイアー戦。敵陣に入った位置で相手からボールを奪い、最後はエリア内に走り込んで右足でスライディングシュートを決めた。新天地で加入後初得点だった。

「あの試合はクロスに入っていくのを試した。意識して生まれたプレーでした。意識してプレーが表現できるようになれば、今度は無意識でもプレーできるようにしようと試した。

そして次は個人で仕掛けてゴールを取る。その次は得意なミドルで点を取ろう、トラップの時にアングルを付けよう、と。一つひとつを試合のなかで意識し、そこから無意識になれるように訓練した。身体に染みこめば、そこから今までとは違う視野や思考が見えてくる。徐々にプレー幅も拡がり、余裕もできてきた」

フリーランニングの質や縦への推進力は目に見えて向上した。「まだ足りない」と口にするが、球際でも戦えるようになり、体重はG大阪在籍時から3キロ増の73キロにボトムアップ。シント=トロイデンで課題と向き合い、そしてジュニオールで実践した。日々、水を与えたことで、確かな栄養を育んだ土壌になっていた。

ジュニオール初年度はリーグ9試合で2得点。21-22シーズンも当初はジュニオールで迎え、 3試合で2得点・1アシストを記録した。LASKとの契約を勝ち取ったのは、東京五輪閉会後の21年8月11日だった。

中村敬斗は、中村敬斗の才能を信じた

再び戻ってきた1部リーグの舞台。2度目のターニングポイントは、21年の11月だ。

「その試合も賭けていましたね。ラストチャンスとは思っていなかったけど、このチャンスをモノにできないと、また出場機会は減るだろうな……と。緊張感もあったけど、周りの選手が声をかけてくれた。積極的にパスも出してくれた。サポートに感謝ですね」

21年11月4日、ヨーロッパカンファレンスリーグのアラシュケルト(アルメニア)戦。チーム内で新型コロナが蔓延し、それまでベンチやベンチ外が続いていた中村は、同カップ戦で初スタメンのチャンスを得た。

12分にLASK加入後初得点を決めると、試合終了間際にも追加点。ヴィーラント監督から高く評価されると、続くリーグのティロル戦でも1ゴールを挙げた。 「その2試合で仲間や監督の信頼を得ることができた。あの試合は大きかったですね」

ウインターブレイク明け後は5ゴール・1アシストを挙げ、シーズン終盤はレギュラーに定着。オフにはブンデス昇格を狙えるドイツ2部クラブから正式オファーが届いた。LASKでの継続を優先させて断ったが、そのオファーは中村が再び欧州で認められてきた証しでもあるだろう。

プロフェッショナルの世界にいれば、誰しもが成功と失敗の両面を抱える。周囲が失敗と見なしても、本人にとっては成功への近道になることもある。未来は見えなくても、心の内に大きな幹があれば、開けてくる道筋もある。中村を支えていたものとは――。

「信念ですね。欧州でまったく通用しないわけではない。自分の力を信じつつ、頭で考えて、次のステップに行くためにどうすべきかを考えてきた。だから高い場所ばかりを見るのではなく、足もとを見つめてコツコツとやる」

周囲がどう言おうが、どう見ようが、中村敬斗は、中村敬斗の才能を信じた。今、成功か失敗かの物差しで測るのは意味がない。彼は新シーズンもオーストリアで立ち続ける。今まで以上に陽の当たる場所に戻るために。

取材・文●飯間健(スポーツニッポン新聞社)

https://www.soccerdigestweb.com/

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