【水本裕貴コラム】川淵さんからの厳しい言葉に〝発奮〟五輪出場も大事な初戦で…
【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(7)】
2008年は激動の1年でした。千葉から強豪のG大阪に移籍したものの、出番がなくわずか6か月で京都に移籍。何とか18人しか登録されない北京五輪代表メンバーにも選出されます。しかも予選に引き続いて反町康治監督からキャプテンに指名されて「しっかりとチームを引っ張っていかなきゃな」と気を引き締めるとともに、日の丸を背負う責任を感じながら本大会に臨みました。
少し07年の五輪アジア最終予選を振り返ると、序盤にサウジアラビアと引き分け、敵地でカタールに敗れるなど、かなり苦戦します。そんな時に日本サッカー協会の川淵三郎会長から「ぴちぴち感がない」と厳しい言葉をかけられて…。予選最終戦でサウジアラビア戦に引き分けて五輪出場を決めたときには、試合後に川淵さんがロッカーにまで来てくれて「あんなこと言って悪かった」と言ってくれました。
当時は出場権の獲得に厳しい状況に追い込まれていたので、選手たちを発奮させるための言葉だったと思います。僕たちは川淵会長の“術中”にはまった感じではありましたが、本番でもメダルを取ろうと改めて意欲を高めましたね。
五輪代表メンバーには本田圭佑、長友佑都ら個性的な選手が多く、1つ下の「調子乗り世代」と言われていた安田理大、香川真司らも加わりますが、やんちゃで手のかかるようなことはあまりなかったです。それにメディアでは戦い方などをめぐって反町康治監督と選手が「対立」などと報じられていましたが、そんな感じは、まったくありませんでしたし、チームとしての一体感はあったと思います。
それに主将ではありましたが、圭佑から相談はなかったですね。まあ、彼の場合、キャプテンに話を持ちかける前に直接監督のところへ話をしに行っているでしょうけど…。本大会ではメダル獲得に向けて、もっとも大事で難しいとされていた1次リーグ初戦で米国(●0―1)に敗れて追い込まれると、第2戦のナイジェリア戦(●1―2)も気負ったのか、そのまズルズルと…という感じでした。
結局、最終オランダ戦(●0―1)にも敗れて3戦全敗で1次リーグ敗退。決勝トーナメントにも進出できず、悔しかったですし、自分の力不足も痛感しました。五輪の挑戦は終わりましたけど「もっと上を目指したい」「A代表に絡んでいきたい」という気持ちを強く持ちました。