「まったくない話だった」パリ世代・半田陸の”ローマ報道”とガンバ移籍の真相、現代型SBの理想は“あの2人”の融合「いい部分を盗みながら」
パリ五輪世代で活躍が期待されるDF半田陸。インタビュー後編ではガンバ大阪移籍の経緯や目指すサイドバック像、日本代表への思いなどを語ってもらった(全2回の2回目/前編も)
【貴重写真】半田や久保の17歳時がヤンチャかわいい…脱ぐと上半身ムキムキな三笘と冨安、FKキッカーをめぐってニコニコな俊輔とヒデなど日本代表の“意外な青春時代”を見る(80枚超)
2022年3月の立ち上げ当初からパリ五輪を目指すU-21日本代表に名を連ねている半田陸に昨秋、降って湧いたような移籍騒ぎがあった。
イタリア・セリエAに移籍か――。
ジョゼ・モウリーニョ監督率いるローマが日本人選手の獲得に乗り出すとイタリアメディアが報じ、その選手が半田だと断定して書かれただけでなく、すでに練習参加したとの情報まで流れたのだ。
“ローマ報道”の前から熱心だったガンバ
半田が、ふふふ、と笑みをこぼす。
「僕自身も驚きましたよ。まったくない話だったので。いったい何を信じているんだろうって」
ローマ移籍はガセネタだったようだが、その少し前に熱心にオファーをくれたチームがある。
それが、ガンバ大阪だった。
「去年の夏にも声をかけていただいたんですけど、そのときはモンテディオ山形でのJ1昇格しか考えていなかった。ずっと山形にお世話になってきましたし、昇格の可能性があったので、その目標を達成したいと思って」
最終的にシーズン6位となった山形は、J1参入プレーオフに出場。1回戦でファジアーノ岡山を3-0と撃破したものの、2回戦でロアッソ熊本と2-2で引き分け、レギュレーションにより敗退することとなってしまう。
そのあと、再び、ガンバから声がかかるのだ。
「新しい監督もやって来るし、これから変わっていくガンバを一緒に作っていってほしい、と言ってもらいました。すごくやり甲斐を感じましたし、J2で対戦して(ダニエル・ポヤトス監督が率いていた)徳島ヴォルティスはすごくいいサッカーをしているなって。ダニのもとでなら、もっと成長できるかなと。山形で昇格できなかったのは残念ですけど、やれることはやったという思いもあったので、次のステップにいくタイミングだと思いました」
ポヤトス、クラモフスキー両指揮官の大きな違いとは
ガンバのポヤトス監督も、山形のピーター・クラモフスキー監督も、同じくポジショナルプレーの概念をベースとしたアタッキングフットボールを志向しているが、考え方やトレーニングで重視するものは大きく異なっているという。
「わかりやすく言うと、ピーターは“動”で、ダニは“静”という感じです。ダニのサッカーにおけるサイドバックは相手を広げる役割というか、中のスペースを自分が使うというより広げて使わせるイメージ。ピーターのもとでは受け手になることが多かったですけど、ガンバでは出し手になることが増えるので、成長できそうだなって」
半田の表現に説明を加えると、選手が動くことによって相手も動き、それによってスペースを生み出し、他の選手がそのスペースを使うのが“動”、適切な立ち位置を取ることで相手を動かし、それによってスペースを生み出して攻撃を仕掛けるのが“静”となる。
例えば、2月18日の柏レイソルとの開幕戦では、前半の終盤から後半にかけて右センターバックの三浦弦太から右ウイングの杉山直宏へ、何本もパスが通っている。
このとき、右サイドバックの半田は開いて自らがパスを受けるのではなく、三浦のそば、ハーフレーンに立つことによって対面の小屋松知哉の判断を迷わせ、三浦から杉山へのパスコースを生み出していた。
「柏戦では特に、センターバックからウイングへのパスを使おうという話をしていたんです。山形時代なら僕が小屋松選手の背後に立つことで引きつけて、パスコースを空けるやり方でしたけど、ダニはそれをあまり好まない。チームメイトとの立ち位置の関係性において、自分の特徴を出していくことが大切になると思います」
「ビルドアップのときに、遠くを、奥を見ろ」
ボール保持時におけるポヤトス監督の要求は、明確だ。
「もっと技術を伸ばさないといけないと。あと、ビルドアップのときに、遠くを、奥を見ろって言われています。弦太くんから右ウイングに飛ばして、下げてもらったボールを自分がどう前に刺していくか」
左インサイドハーフの宇佐美貴史やセンターフォワードの鈴木武蔵にくさびのパスを打ち込む、あるいは、逆サイドのウイングまで大きく展開する――。やはり、出し手としてのサイドバックの働きが、ガンバの攻撃の鍵を握っていると言えそうだ。
かつての半田はヌサイル・マズラウィ(バイエルン)やトレント・アレクサンダー・アーノルド(リバプール)、アーロン・ワン・ビサカ(マンチェスター・ユナイテッド)など、海外のサイドバックを参考にしていたが、今はどちらかと言うと、日本人選手を見て学ぶことが多いという。
なかでも最近、よく目標として掲げるのが、日本代表の酒井宏樹である。
半田は自身の強みとして、「1対1の強さ」「長距離を走って前線に絡めること」を挙げている。
「酒井宏樹さんと山根視来さんを足して…」
もちろん、それらも強みだが、半田はビルドアップや立ち位置の理解に優れ、より現代的なサイドバックというイメージだ。だから、本人と見る者が思う強みにはギャップがあるように感じる。
「いや、ビルドアップも強みなんですけど、自分としては、強さや走力をより強みにしたいというか。より大事にしているのがそっちなんです。攻撃はプラスαだと思っています」
まずは守備という考え方は、元センターバックだからこそ、かもしれない。
「それで、(プレー強度や守備力が武器の)酒井選手が理想だと答えているんです。もちろん、(同じく日本代表の)山根視来選手のプレーもよく見ます。酒井選手とは異なる武器がある選手だから、それぞれのいい部分を盗みながら、っていう感じです。だから今後、理想の選手を聞かれたら『酒井宏樹さんと山根視来さんを足して2で割ったような選手』と答えることにします(笑)」
アカデミー時代から指導者との出会いに恵まれ、プロになったあとも、抜擢してくれた石丸監督やサイドバックとして起用し続けてくれたクラモフスキー監督、前述の川井監督と、多くの指導者に引き上げられてきたが、U-17日本代表時代の監督、ゴリさんこと森山佳郎監督も大きな影響を受けたひとりである。
普段は驚くほどマイペースで、おっとり、のんびりしている半田がピッチ内ではリーダーシップを発揮し、闘う姿勢を前面に出せるのも、森山監督の影響と言える。
「ゴリさんには代表に選んでもらっただけでなく、キャプテンにも指名してもらった。それに、闘うというサッカーの本質も教えてもらいました。ゴリさんは気持ちがすごく強い人で、言葉に感情を乗せて伝えるのがうまいし、ゴリさん自身が悔し涙を流しながらミーティングをすることもあった。サッカー選手として大事なことを教えてもらったと思っています」
「世界大会の怖さを知った」U-17W杯のリベンジを
その森山監督のもとで戦った19年のU-17W杯は、半田にとって忘れようとしても忘れられない大会である。
ブラジルのガマで行われたラウンド16のメキシコ戦――。
0-2のスコアで試合終了のホイッスルが鳴ると、チームメイトは肩を落とし、膝から崩れ落ちた。
キャプテンとしてチームを引っ張ってきた半田は、その光景をベンチから見つめていた。
グループステージ突破を決めていたセネガルとの第3戦で筋肉系のトラブルに見舞われ、大事をとって控えに回っていたのだ。
「やれないこともなかったんですけど、ゴリさんやメディカルの方から『無理をするところじゃない』と言われて。優勝候補のオランダとの初戦に3-0で勝ったときには、優勝できるんじゃないかと感じましたし、チームの雰囲気もすごく良かった。だから、あんなにあっけなく敗れてしまうなんて。世界大会の怖さを知ったし、そこで出られなかったことが本当に悔しくて。その悔しさを次の代表で晴らしたかったんですけど、U-20W杯はコロナ禍で中止になってしまって。だから、あの悔しさは今も晴れていない。なんとしてもパリ五輪に出て、いい結果を残したいです」
世界大会に懸ける思いがひと一倍強い理由が、ここにある。
24年のパリ五輪で悲願のメダル獲得を実現すれば、ブラジルでの悔いも晴れることだろう。
だが、23年シーズンは、ガンバの右サイドバックとして確固たる地位を築き、ガンバの勝利に貢献し、新しいガンバを作り上げる一員となることに集中するつもりだ。