ガンバ大阪の宇佐美貴史が今季から背番号「7」をつけるわけ。「誰でもつけられる番号にしたくなかった」

ガンバ大阪宇佐美貴史インタビュー(前編) ガンバ大阪の”顔”である宇佐美貴史が今季から、背番号「7」を背負ことになった。かつて、遠藤保仁が背負っていたチームの”エース”番号である。なぜ今、その背番号を引き継ぐことを決めたのか。秘めたる思いを聞いた――。

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――プロ15年目を迎える今年は、背番号「7」を背負います。ガンバの「7」と言えば、かつて背負っていた遠藤保仁選手(ジュビロ磐田)の代名詞とも言える番号ですが、なぜそれを背負おうと思ったのでしょうか。

「ひとつは、ヤットさんへのリスペクトの思いからです。背番号にはいろんな考え方があって、たとえば永久欠番にするのもひとつですが、一方で継承していかないとクラブ史に意味のある番号として残せないんじゃないか、という思いもあり……。

というなかで、クラブに永久欠番にするという考えがないのなら、誰でもつけられる番号にはしたくなかったというか。ヤットさんがこれまで築いてきてくれたガンバの歴史、偉大な功績を受け継ぎながら『7』を意味のある番号にしていくには、ヤットさんの『7』の歴史をつぶさに見てきた自分がつけるべきやと考えた。

じゃないと、ヤットさんがジュビロ磐田に完全移籍をして1年が過ぎた今、新たに加入してきた選手が『(背番号)7が好きだからつけたい!』と希望することだってあり得るわけで……。ということを想像した時に、素直に『誰にも譲りたくない』と思いました。

また、ユニフォームサプライヤーが今年、アンブロからヒュンメルに切り替わるタイミングだったなかで、ヤットさんがアンブロの『7』の歴史を築いてくれたので、僕はヒュンメルの『7』の歴史をしっかり作り上げていきたいという思いもありました。ということを自分なりに考えて意思が固まった時に、まずはヤットさんに確認を取り、承諾を得られたのでクラブに気持ちを伝えました」

――遠藤選手の反応はいかがでしたか。

「最初は今、話したような僕の考えをきちんと伝えるべきかなとも思ったんですけど、あの人の性格的にまったく興味がないやろうなって想像できたし(笑)、かしこまって言うのは違う気がしたので、オフに一緒に焼肉を食べに行った時に伝えました。

会話の中身としては、ちょうどタンを焼いている最中に『7をつけていいですか?』と尋ねたら『いいよ~』と返ってきて、それで終わりです。次の瞬間にはあっさり、違う話題に飛んでいました(笑)。僕としても、おそらくその3文字が返ってくるやろうなと思っていましたが、まさにビンゴでした!」

――プロになってからは初めてつけるひと桁の背番号です。ご自身での、馴染み具合はどうですか?

「『懐かしいな!』って思っています。というのも、中学生の時に世代別代表でも『7』をつけていたし、もっと言えば、小学生の時に所属していた長岡京SS時代にも背負っていた番号なんですよ。当時、憧れまくっていた家長くん(昭博/川崎フロンターレ)がつけたことでチームのエース番号になり、『僕もつけたい!』と目指し、数年後につけさせてもらったという経緯がありました。

そう考えると、自分にとって『これを目指したい』というものができた時とか、自分にとって大きな判断を迫られる時には必ず、目の前に『7』の背中があったなって印象もあるし、純粋に『7番、宇佐美』と言う字面にも懐かしいな、と(笑)。小学生時代を思い出して童心に帰るような感覚もあります」

――いつ頃から、「7」を背負うことを考えていたのですか。

「去年、J1リーグも残り4試合となったところで、右アキレス腱断裂という大ケガから戦列に戻るにあたり、頭に浮かんだことでした。当時のガンバは残留争いにどっぷり足を突っ込んだ、どん底の状態にあったなかで、自分に向けられる期待もプレッシャーも全部、引き受けたうえでガンバを残留させられたら、少しは自分の力を信じてもいいんじゃないか、と。

そう思いながら4試合を戦い、結果、ギリギリながらそれを達成できたことで、踏ん切りがつきました。その終盤戦の戦いを通して、自分に重めのプレッシャーを課す必要性を改めて実感したのもありました」

――「プレッシャーを課す必要性」についてもう少し説明していただけますか。

「ガンバって、僕にとってすごく居心地がいいクラブなんです。アカデミー時代からここで育って、プロになり、僕自身もこのクラブが大好きだし、おそらくクラブからも必要な存在だと思ってもらえている。手前味噌ながら、サポーターとも相思相愛の関係にあると自負しています。

ただ、そういう居心地のよさって、選手にとっては成長のブレーキになってしまうこともある、とても危ないものだと思うんです。だからこそ、このクラブにいながらも”居心地の悪さ”を自分に作り出すことの必要性は常々考えていました。

実際、今の僕があるのも”飛び級”という居心地の悪い環境に育てられたからというか。身の丈には合っていない環境に放り込まれ、先輩に気を遣ったり、どうすればここでうまくプレーできるのかを考えたり、行動しながら、居心地の悪さのなかでも身の丈に合う自分を求めてきたことで、成長することができた。

それは『7』も同じというか。ヤットさんがガンバで残してきた功績を考えれば、今の僕はまだサイズの合っていないブカブカの洋服を着ているようなもんですけど、そこに自分を合わせていこうとすることで、見出せる成長があるんじゃないかと思っています。

また、チームにとっても、僕が背負うことで『誰でも背負える番号じゃないよ』というメッセージ性を備えられたらいいな、と。『7』を背負うには、サッカーが巧いとか、実力があるとか、キャリアがあるとか、ってだけじゃなく、クラブへの想いが強いとか、サポーターにも信頼されているとか、『いろんなドレスコードが必要だよ』というイメージを作れればいいなと思っています」

――遠藤選手、宇佐美選手がつけた番号を次に背負う選手の気持ちを想像すると、かなり勇気がいりそうな気がします。

「いやいや、そこは大丈夫でしょう! この先、たとえば(食野)亮太郎が4~5年頑張ってチームのエースに成長して引き継ぐでもいいし、(堂安)律(フライブルク)がキャリアの最後にガンバに戻ってきてつけるのもいい。なんなら、ヤットさんの息子さんがガンバでプロになって受け継ぐというのもドラマがありますよね?

あるいは、クラブの生え抜きじゃなくても、所属選手のなかから志願者が出てきてもいいと思うし、重みをしっかり理解してつけてくれるのなら移籍してきた選手でもまったく問題ないと思います。というか、まずは僕自身がそういう重みを備えられる番号にしていくのが先決で、それによって子どもたちにも『ガンバの7を背負って戦いたい』と夢を抱いてもらえる番号になればいいなとも思う。

そのためには、チーム、個人としても結果がいるというか。ヤットさんが築いた『7』の歴史には常にタイトルを含めて結果が伴ってきたと考えても、今シーズンはそこへの思いも強く持っています」

(つづく)後編はこちら>>

宇佐美貴史(うさみ・たかし)1992年5月6日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ち。2009年、高校2年次にトップチームの昇格。2011年夏にはドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンに移籍。翌シーズンはホッフェンハイムでプレーし、2013年にガンバへ復帰。2014年シーズンには、リーグ、カップ、天皇杯と三冠達成に貢献した。その後、再び海外へ。アウクスブルク、デュッセルドルフでプレーし、2019年に再びガンバへ復帰。以降、チームのエースとして奮闘している。

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