遠藤保仁は「10分あれば、変えられるところはあるなって」。カタールW杯の日本代表をどう見たか。ジュビロ磐田のJ2降格も語った

愛しているJ! Jリーグ2023開幕特集ジュビロ磐田遠藤保仁インタビュー(前編)

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W杯、やっぱりいいな~僕も10分でいいから出してほしかった

今年もジュビロ磐田の遠藤保仁は、マイペースにオフシーズンを過ごした。例年と違ったことがあるとするなら、オフ期間がいつもより長い2カ月近くに及んだことを受けて、定期的にランニングを続けていたこと。

とはいえ、3日に一度、時間にして30分ほどの頻度で「自主トレの域に入らない。健康維持のためのジョギングみたいなもの」と本人。基本的にはこれまでのオフと同様、シーズンの疲れを取り除くべく、体を休める時間にあてたそうだ。

また、オフ期間に開催されたワールドカップ・カタール大会にまつわるメディア出演にも忙しくしながら、いろんな”サプライズ”を楽しんだという。

「グループステージの日本の戦いは、誰が見てもサプライズだったと思う。初戦のドイツ戦は、正直『難しい試合になるだろうな』と予想していたけど、そこで勝利できたことがすべてだったと思います。

W杯という大会への入りがチームとしてどういうものになるのか、特に結果はものすごく重要な意味を持つと考えても、白星をつかめたこと、ましてやその相手が強豪ドイツだったことがすべてだったんじゃないか、と。

また、大会全体を通してのサプライズはブラジルが負けたことと、モロッコが準決勝まで勝ち進んだこと。大会前から『今回はブラジル優勝で間違いない』と思っていたので、準々決勝敗退は残念でしたが、個人的にはやっぱりブラジルのサッカーは好きだなと思いました。

世の中の流れはフィジカル的に強度の高いサッカーが主流になっていて、スプリントしたもん勝ち、ボールを狩れる人が勝ち、みたいな風潮だけど、基本的にサッカーは『速かろうと遅かろうと、点を取れたらいいでしょ』って思っている僕としては、テクニックを生かしてプレーを楽しむブラジルのサッカーはやっぱり見ていて楽しいし、好き。これは単純な好みの話で、フィジカル重視のサッカーを否定するわけじゃないけど」

と同時に「W杯、やっぱりいいな~」と思いながら見ていたと素直な胸の内を覗かせた。

「前回もそうですけど、純粋に思ったのはやっぱり『出たいな~』ってこと。きっと、過去に出場経験のある選手ほど”出たい”って欲が出る舞台だと思う。だから……僕も10分でいいから出してほしかった (笑)。

もちろん、ボランチは90分を通して何ができるかを考えながら組み立てていくポジションだから、長い時間ピッチに立っていたほうがいいに決まっているけど、『10分あれば、変えられるところはあるな』って思いながら見ていました。仮に、展開的にパワープレー気味になっちゃっていたら、僕のよさを出すのは難しいかもだけど……まぁでも、10分あればいけるかな」

そんなふうに想像を巡らせることは、新シーズンをスタートするにあたっての自分に何か刺激になったのかと尋ねると「いや、見るワールドカップは基本、純粋にサッカーを楽しんだだけだから、それはないな」と遠藤。「やっぱ、サッカーはやるほうが楽しいし、プレーしてみないとわからないことがたくさんあるから」と言葉を続けた。

ジュビロでもう一回結果を出してJ1に戻したいと思っていた

昨シーズンは、チームとして3年ぶりのJ1リーグを戦ったジュビロだったが、最下位に沈み、1年でJ2リーグに逆戻りになった。シーズンが始まる前から「目標はJ1残留」だと話していた遠藤は、それが叶えられなかった事実をどう受け止めたのか。

「2021年はJ1で戦えるチームになることを意識しながらJ2を戦って、昇格はできたものの、アクシデント的に監督が交代になって。そのなかで、目指す方向性は同じでも、当然ながら監督が変わればやり方も変わるし、戦術の浸透にも時間がかかるから。

(伊藤)彰さん(現ベガルタ仙台監督)のサッカー観は個人的にはすごく面白く感じていたけど、それを(選手)全員が自分のモノにしてチームとしての機能につなげるには時間がかかるし、ましてやそれを昇格してきたばかりのチームがJ1でやろうとすると、正直『時間が足りないな』とは感じていました。

たとえば、戦力的なことも含めて『J1の上位を目指しています』と描けるような質を持ったチームなら、うまく誤魔化しながらなんとか戦えたかもしれないけど、現実的に考えて去年のジュビロは、個の質というところでも下から数えたほうが早いというなかで、監督も変わる、サッカーも変わる、チームを作り直すとなると難しいのかな、と。

京都サンガF.C.のように曹貴裁さんのサッカーでJ1に昇格し、そのベースを持って同じ監督のもとで戦えていれば、また結果は違ったかもしれないけど、去年のジュビロはそうじゃなかったから。であればこそ、一年をかけてJ1を戦うベースを作りながら、なんとかぎりぎりのところで粘れたらな、とは思っていました。

ただ、後半戦に入って残留争いが色濃くなっていくにつれ、より厳しくなっていったというか……(監督が)渋谷(洋樹/現仙台ヘッドコーチ)さんに交代して、彰さんのサッカーを大きく変えたわけではなかったけど、終盤は特に大胆に勝負に出なければいけない状況に追い込まれたなかで、率直にそこを乗りきる力がグループとしても、個人としても足りなかった。

それは、数字的なものを見ても明らかだったと思います。チャンスの数も少なかったし、得点も少なかったし、失点も多かったし、連勝もなかった、となれば結果を受け入れるしかない」

それでも、J1そのもののレベルや強度、組織力については、彼自身が以前に戦ったそれに比べて大きな変化を感じたわけではなかったという。また、遠藤自身はJ1リーグ34試合中、27試合に先発出場するなど、一年を通してコンスタントに試合に絡み続けたなかで、改めて年齢が上がるほど、試合に長く絡み続ける重要性を再確認したと振り返った。

「30歳を超えたら、試合に出ている選手と出ていない選手とで、明らかにコンディションに差が出る。どれだけ試合を想定して練習をしたとしても、当たり前のことながら練習と試合ではぜんぜん強度が違う。

実際、ガンバ大阪での最後のシーズンとなった2020年も、先発でピッチに立つことが大きく減ったなかで、どんなに練習で自分を上げて臨んでも、試合になるとキツイなって感じることも多かった。そういう意味では、コンスタントに試合に出た去年のほうが……年齢は上がっているのに、ぜんぜんキツさは感じなかったです。

とはいえ、35歳の時の自分と比べたら、プレーの質を含めて、当然違うんですよ。残念ながら、当時よりはいろんな質が落ちていることも自覚しています。回復にも、若い時より時間がかかるようにもなった。でも、体力面ではそこまで違いを感じなかったし、頭のスピードというか、考えるスピードがついていけないということもなかった。

そう考えても、43歳の僕にとって試合に出続けることは……それも、途中からじゃなく頭から、長い時間(試合に)絡み続けることは、改めてすごく大事だということは確認できました」

であればこそ、再びJ2を戦うことになった今シーズンも、年間を通して試合に絡み続けることを自身に求めたいと話す。もちろん、サックスブルーのユニフォームに身を包んで、だ。

「1年でJ2に逆戻りになってしまったのは残念だったけど、その責任は自分にもあるし、他のクラブに行きたいという考えも、その可能性を探ることも一切なかった。ここでもう一回結果を出して、J1に戻したいと思っていた」

(つづく)後編はこちら>>

遠藤保仁(えんどう・やすひと)1980年1月28日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実高卒業後、横浜フリューゲルス入り。同クラブが消滅後、京都パープルサンガを経てガンバ大阪へ。チームの”顔”として数々のタイトル獲得に貢献した。同時に日本代表でも主軸として活躍。2020年10月にジュビロ磐田へ移籍。J2に降格した今季、1年でのJ1復帰を目指す。

https://sportiva.shueisha.co.jp/

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