神戸新加入のMF川崎修平 ポルトガルでは負傷で出場0試合「中村航輔くんに助けられた」
神戸に期限付き移籍で新加入したMF川崎修平(21)が19日、約1年半ぶりとなるJリーグ復帰後初めて取材に応じた。21年夏にG大阪からポルトガル1部・ポルティモネンセに完全移籍したが、鎖骨骨折やひざの手術もあって、約1年半の間にトップチームでの出場はなし。「神戸という素晴らしいクラブがオファーを出してくれたことに感謝しています。日本でチャレンジしよう、日本で結果を出したい、と思って帰ってきました」と思いを明かした。
ポルトガルでは加入してから約2か月の間はトップチームで練習し、フィジカル面の差は感じつつも「技術面では自信を持ってやれていた」と言う。しかし鎖骨骨折で離脱。復帰後はコンディションを上げるためにU―23(23歳以下)のチームでプレーしたが、さらにひざの負傷に見舞われた。手術も行い、復帰は昨年7月までずれ込んだ。結果、ポルトガルでの1年半の間にプレーできる状況にあったのは、わずか半年程度だった。
20年にユースから昇格したG大阪では、トップチームでの得点はないまま、夢を抱いて欧州へ。しかしピッチに立てない日々に苦しんだ。その間に助けとなったのが、ポルティモネンセのチームメート・元日本代表GK中村航輔(27)の存在だった。「中村航輔くんには助けられました。一緒に筋トレをしてもらったり、食事面もサポートしてらった。ポルトガルで(外から)見ていて、うまいより強いチームが勝つんだなと感じました。それを見て、筋トレや食事を強化しました。フィジカル面は、かなり改善したと思います」。中村も21年に柏から加入したポルティモネンセで、長く出場機会をつかめなかったが、現在はレギュラーを奪取。そんな姿を間近で見つめてきた日々も経て、自身は日本での再出発を決めた。
コンディションは上がりつつあり「(ポルティモネンセの)U―23ではかなり動けるようになって、最後は違いを出せてきたかな、という感じでした」と語る川崎。背番号は21に決まり、今季の目標は「最低でも5ゴール、5アシスト」と定めた。欧州で味わった苦難を経て、Jの舞台で新たなチャレンジに向かう。



