鎌田大地の“エリートではない”強さ 元スカウトが証言、豊かな人間性を育んだ父の教え
G大阪元スカウト・二宮博氏インタビュー第2回
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)で、日本代表は強豪のドイツとスペインから大金星を挙げ、“死の組”と呼ばれたグループリーグを突破し世界を驚かせた。史上初のベスト8進出こそ逃したものの、Jリーグ発足から30年、日本サッカーの着実な成長を導いた根底にあるのが育成年代の充実だろう。その筆頭と呼べるガンバ大阪の下部組織で、スカウトとして多くの才能を発掘し、アカデミー本部長も務めた二宮博氏を、ドイツで20年以上にわたって育成年代の選手を指導する中野吉之伴氏が取材。G大阪ジュニアユース出身の鎌田大地は、様々な挫折を経験しながらプロサッカー選手となり、日本代表の一員としてカタールW杯のピッチに立ったが、その成長の陰には父の教えがあった。(取材・文=中野 吉之伴)
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カタールW杯で日本代表の中軸として、ベスト16進出に貢献する活躍を見せた鎌田大地。ピッチ上での躍動感あるプレーとは打ってかわって、普段の鎌田は物静かで大人しい雰囲気がある。口数も少なそうだ。でも試合後のミックスゾーンでは、記者の質問にいつでも丁寧に答えてくれる。自分からインタビューを切り上げようともせず、こちらが「大丈夫です。ありがとうございます」というところまで、どんな質問にも付き合ってくれる。
そんな鎌田は子供の頃、どんな性格の選手だったのだろう。ガンバ大阪ジュニアユース時代をよく知る二宮博に話を聞いた。
二宮はG大阪で育成アカデミー本部長を務めた人物で、宇佐美貴史、昌子源、堂安律、鎌田といった数々の逸材を見出したスカウトでもあった。
「(鎌田は)ちょっと大人しい性格で、自分からグイグイいくタイプではなかったですね。でも誰からも好かれる子で、仲間にいじられるというかね、そういうキャラクターはありました。口数はそんな多くないですけれども、自分の中に芯の強さというのはありましたね。常に冷静で意志が強いという印象です」
鎌田はジュニアユース時代の3年間をG大阪で過ごしている。ポテンシャルを評価されながらも、怪我の影響などもあり、ユース昇格は果たせず。その後、京都の東山高校へ進学し、高校3年生ではキャプテンにもなった。環境が変わり、自分の立ち位置が変わるなかで、少しずつ人間性も成熟していったようだ。
鎌田はどんな環境でも「適応する力を持っている」
今やブンデスリーガの強豪クラブであるフランクフルトで、中心選手として活躍するまでに成長した鎌田。筆者も試合後のミックスゾーンで何度も取材をさせてもらったことがあるが、本当に自分がブレない。どんなことがあっても自分の芯にあるものを大事にしているし、常に次のステップを考えて動いているとの印象を受けることが多い。浮かれず、騒がず。そのベースとなる部分を築くものが、鎌田の家庭環境にあったと二宮は語る。
「彼のお父さんがね、大阪体育大学サッカー部でプレーしていた人で、もうお父さんがいろんなサッカーの情報を収集して、いろんな見方や解釈の仕方を教えたりしていたそうです。サッカーに対する情報量や知識と向き合う機会が、圧倒的に他の家庭よりは多かったのだと思います。
弟さんも今、仙台でプロサッカー選手としてプレーしていますよね(鎌田大夢/ベガルタ仙台所属)。やっぱり兄弟揃ってプロのサッカー選手になるというのは、そうはないことです。父親の熱心さとかね、サッカーだけではなく自分を信じて辛抱強く取り組むことの大切さとかね。そういう家庭環境が、彼のその後の成長に大きな関係があったのではないかとは思いますよ」
どんなことがあっても、ブレずに進み続ける力が彼にはあった。ひょっとしたら鎌田の頭の中には、小さい頃からずっと理想のプレーイメージがあったのかもしれない。それを実践できるだけのフィジカルと強度を身に着けたことで、思い描くプレーが今、表現されているということなのかもしれない。
「ボールを扱う技術は圧倒的に高いから、そこにはおそらく彼自身、相当の自信を持っていたんじゃないかなと思うんですよ。ガンバのジュニアユース時代にはまだ足らなかったものがあり、怪我をしてなかなか試合に出られなかった苦い思い出がある。そこから逃げずに戦い続けたことで、高校になってよりタフになったと思います。ガンバと違う環境のサッカーと出会ったというのも、彼にとっては良かったことだと思いますね。彼はどこの環境に行っても不平不満を言わずに、適応する力を持っている。我慢強い、打たれ強い、賢いというところがありますから」(二宮)
競争に身を置き続け「本当にタフな選手になった」
以前、鎌田本人も「自分はエリート街道を歩いてきたわけじゃないから。いろんな苦労をして挫折をしてきたから、例えばスタメンから外れたからって、別にちゃんと向き合うのが当たり前」ということを話していたことがある。舗装された道を歩むのではなく、自分で道を見つけ、未来を切り拓き、作り出してきたことで誰にも負けない経験を積んできた。
二宮は次のような言葉で、壁を乗り越えながら成長してきた鎌田を称える。
「一つの環境にずっといたほうが楽かもしれないけど、刺激だとか、新たな競争に身を置き続けてきたことで培われたものが確かにある。ガンバのジュニアユースに来た時だって、愛媛県から覚悟を持って大阪まで来て、学校も変わり、家も変わり、すべて変わって。そこで上に行けなくても、また次の機会を求めて、別の場所で頑張って。そうやって転々と、いろんな環境でやってきたというのが経験として積み重なって、今、本当にタフな選手になっているんじゃないかなって思います。
彼にはベースにあれだけの技術があって、そこにどんな環境でも合わせられるという能力があるのかもしれませんね。どんな監督だろうが、どんなチームだろうが、どんなサッカーだろうが、そこに合わせられる強さがあるのを感じます」(文中敬称略)
■二宮 博(にのみや・ひろし)
1962年生まれ、愛媛県西予市出身。中京大卒業後、西予市の野村中学校の保健体育教員を経て、94年にG大阪のスカウトに転身。強化部スカウト部長、アカデミー本部長、普及部部長などを歴任する。今年2月よりバリュエンスホールディングス株式会社に入社(社長室スポーツ事業担当シニアスペシャリスト)。
中野 吉之伴
1977年生まれ。ドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。ドイツでの指導歴は20年以上。SCフライブルクU-15チームで研鑽を積み、現在は元ブンデスリーガクラブであるフライブルガーFCのU12監督と地元町クラブのSVホッホドルフU19監督を兼任する。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に『サッカー年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)、『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)がある。WEBマガジン「フッスバルラボ」主筆・運営。



