尼崎が生んだサッカー小僧・堂安律 元プロの兄が舌を巻く生来の負けん気
20日開幕のサッカーワールドカップ(W杯)カタール大会に臨む日本代表は、メンバー26人のうち19人がW杯初出場とフレッシュな顔ぶれ。その中の一人、兵庫県尼崎市出身の堂安律(どうあん・りつ)(24)=フライブルク=は「ベスト8と言わず優勝を狙う」とぎらついた野心を隠さない。弟を追ってプロの世界に身を投じ、先に現役を退いた兄の憂(ゆう)さん(26)は「律はビッグマウスではない。自分に自信を持っていて、本当にできると思ったことを言っているだけなんです」と大舞台での末弟の活躍を願う。
【写真】尼崎から世界へ羽ばたいた堂安律。初めてのW杯で「優勝を狙う」と闘志を燃やす
堂安は3兄弟の末っ子。2人の兄を追いかけてサッカーを始めるとたちまち頭角を現し、J1G大阪では16歳で公式戦デビュー。2017年にオランダに渡り、昨夏の東京五輪では背番号10を背負った。24歳にして欧州で6季目のシーズンを送る。
次男の憂さんは長野・創造学園高(現松本国際高)からびわこ成蹊スポーツ大を経て、J3長野で活躍した。G大阪の育成組織で育ち、世代別日本代表の常連だった弟とは違う道のりを歩んだが、互いに励ましあいながらサッカーに打ち込んできた。
大学卒業後は一般企業への就職を考えていたが、オランダでプレーしていた弟から「(プロを)目指してみーや」と背中を押されたことが転機に。「僕も弟が頑張っているのなら一緒に夢を見たいと思った」と覚悟を決めた。
負けず嫌いを前面に出す堂安の姿は幼少期のまま。兄たちに1対1を挑んでもかなうわけもなく「負けたら泣く。ほとんど泣いて帰っていた」(憂さん)。
ただ、驚かされることも多かった。等間隔に置いたコーンの間をジグザグにドリブルする練習では、1度でもボールを当てると最初からやり直し。自分に厳しく、妥協しない姿勢は子供離れしていた。
「相手をイメージしながら、『これは(ボールを)取られた』とか言って。こだわりはすごかった」。小学校高学年のとき、「4、5年後に海外に行く」と言い切った姿を鮮明に覚えているという。
関西1部リーグでプレーした20年限りで選手生活に区切りをつけた憂さん。弟とも相談して第二の人生に選んだのが、地元尼崎でのサッカースクール開校だった。「僕はサッカーを教えたい。律は尼崎に恩返しがしたい、と」。2人の思いが一致した。
憂さんが代表を務め、堂安と共同運営するスクールは「NEXT10 FOOTBALL LAB」。名称には「尼崎から次世代の10番(エース)を」との思いを込めた。園児から小学6年までを対象に、堂安兄弟がプロ入りの夢をかなえたメソッドを惜しみなく伝授。メンタル面の重要性を説き、堂安が実践した走り方のトレーニングを取り入れるなど本格的だ。
これからも長く続く兄弟のサッカー物語は、W杯という大きな節目を迎える。堂安が頂点を目指すと公言しているからか、「僕の周りには(1次リーグで対戦する)ドイツやスペインを優勝候補に挙げる人はいない。それだけ応援してもらっているんだと感じる」と憂さん。世界を相手に大暴れする弟の雄姿を見るのが待ち遠しい。(ドーハ 大石豊佳)



