じつは“G大阪志望”だった? 流経大・守田英正の才能に惚れた川崎F敏腕スカウトのホンネ「(獲得競争は)かなり分が悪いな、と」
カタールW杯の日本代表には、大学サッカーを経由してプロ入りを果たした選手が数多く選出された。学生時代の彼らはどんな輝きを放ち、いかに成長を遂げていったのか。守田英正、三笘薫、谷口彰悟の獲得に携わった川崎フロンターレの向島建スカウトに話を聞いた。
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今回のカタールW杯の日本代表に選ばれた選手の経歴を見ると、大学サッカー経験者が多いことが一つのトピックとなっている。
1998年のフランスW杯では11人を数えた大学サッカー出身者だが、2002年の日韓W杯以降の大会では2、3人にとどまっていた。つまり、完全に少数派だ。しかし今大会では9人と大幅に増加。26人のうち、じつに3分の1以上の割合を占めている。W杯出場国を見渡しても、これだけ大学サッカー経験者が名を連ねている国は稀だろう。
なぜ大卒選手の海外移籍が増えたのか
こうした背景を読み解く上で、うってつけの人物がいる。
川崎フロンターレの強化部でスカウト担当を務めている向島建だ。
周知の通り、川崎はカタールW杯の本大会メンバーに在籍経験がある選手を数多く送り込んでいる。それに加えて、大卒選手を主軸にしたチーム作りが奏功し、近年のJリーグを引っ張る存在になったクラブだからである。
ただここ2年で、守田英正、三笘薫、旗手怜央という大卒選手の主力が海を渡った。数年前には考えにくかった大卒選手の海外移籍が活発化し始めているのだ。この現象に関する率直な感想を向島に聞いてみると、「複雑な気持ち、ですかね」と苦笑した。
「自分はフロンターレのスカウトとして、ここで長くプレーしてもらうために選手を獲得していますからね。海外でプレーしたいという選手の夢を応援したい反面、中村憲剛のようにクラブで長くプレーしてほしい気持ちもあるので、ちょっと複雑なところはあります」
大卒後にプロの舞台で活躍した選手の場合、海外移籍を検討する頃には23~25歳になっている。市場的には、決して“若手”ではない。国外のクラブから声がかかることもそう多くはないはずで、だからこそ「大卒選手ならば長くチームでプレーしてくれるだろう」というのがこれまでの向島の見立てだった。
「ただ最近では大学の頃から仲介人がいたり、海外クラブのスカウトもマークしていたりして、すごく海外に行きやすい状況になっています。それだけ大学サッカーから入ってくる選手の力が認められるようになったのだと思います」 大学を経由してJリーグで活躍し、それから海外へと巣立っていく選手の数は、今後も増加傾向が続くだろう。
守田英正に告げた「ウチではすぐに出られないよ」
近年の“大卒の海外組”の具体的な例を挙げると、守田英正がその典型と言えるかもしれない。
流通経済大学卒業後、2018年に川崎フロンターレに加入。2021年にポルトガル1部のサンタクララに移籍したが、この時点で25歳だ。それでも今夏から同じポルトガルリーグの強豪・スポルティングCPに移籍し、欧州チャンピオンズリーグの舞台にも立っている。今や日本代表の中盤に欠かせぬ存在となっており、海外に移籍した大卒選手としては、かなり順調なキャリアの歩み方だ。 そもそも守田英正は、いかにしてプロになったのか。
一般論だが、高卒選手を獲得する場合、多少は荒削りであっても、身体能力や伸び代といったポテンシャルの部分を重視すると言われている。一方で大卒選手は、選手としての完成度が求められる。川崎が大卒選手に求めている基準もそこだ。
向島は「当然、即戦力であることですね。すぐに試合に絡んでほしいというのはあります」と前置きしつつ、その後に「ただし」と付け加えた。
「ウチもレベルが上がり選手層が厚くなってきて、優秀な大卒選手でもそう簡単に出場できない状況になっています」
即戦力の期待をかけて獲得するものの、言わずもがなJリーグ最強クラスの戦力を誇るクラブだ。すぐには試合に出られない現実もある。そのことを覚悟して、入るかどうか。近年の川崎ではそこが大きなポイントになっている。
実際、流通経済大学からやってきた守田がまさにそうだった。彼を獲得する際、向島は本人にこう告げたという。
「ウチではすぐに試合には出られないよ。特にボランチは」
守田にオファーを出した2017年は、最終的に川崎がJリーグ初優勝を成し遂げたシーズンだった。当時、ボランチには大島僚太とエドゥアルド・ネットのコンビが君臨。バンディエラの中村憲剛も健在で、中盤は若手が割って入ることが極めて難しい激戦区だった。なお当時ユース上がりのルーキーだったのが現・日本代表の田中碧だが、この年は1試合も出場機会を得られていない。
こうした現実的な説明や言葉に対して、守田の反応は謙虚だったという。
「サッカーキャリア的にエリートではないこともあってか、いい意味で腰が低かったですね。プライドの高い『俺が、俺が』というタイプではなく、その点も好印象でした」
向島は「彼ら(大島、ネット、中村)のプレーを見ながら、いずれボランチでポジションをとってくれ」と伝えていた。
目覚ましい成長ぶりに「もうあまり活躍しないで…」
ただボランチのレギュラーではなくとも、「早くから活躍できるだろうな」という予感も向島にはあった。大学生の時点で守田にはプロで通用する強靭なフィジカルがあり、さらに複数のポジションに高いレベルで順応できる能力があったからだ。特に後者は、獲得に至る決定的な理由になったという。
「守田のすごいところは、そのユーティリティ性です。どこのポジションでもできてしまう。彼は大学3年の全日本選抜に、ある選手の怪我を受けて追加招集で呼ばれたんです。そこで初めてじっくり見たのですが、そのときはセンターバックでプレーしていました。本来、サイドバックかボランチの選手と聞いていたんですけど、練習試合で大宮アルディージャ相手にセンターバックとして普通に通用していたんです。明らかに能力が高く、『こんな選手がいるのか』と驚いて、そこから追いかけるようになりました」
その後、4年生になる直前のデンソーチャレンジカップでは本職であるボランチでプレー。守田の堂々としたパフォーマンスに向島は惚れ込んだ。
「流通経済大学の中野(雄二)監督に『守田は、どこかのクラブから話は来ていますか? 』と聞いたら、『具体的にはない』とのことだったので、『興味があるので追いかけさせてもらいます』と伝えました。さらにそこからも見るたびによくなっていき、なんなら『もうあまり活躍しないでくれ……』と思ったぐらいでしたが、そのデンソーチャレンジカップでMVPを獲得、さらに大学選抜にも選出され、正直『うわあ、これは面倒なことになるな』と思いましたね(笑)。守田は4年最後の大会、インカレでも優勝してMVPになったんです」
「かなり分が悪かった」ガンバ大阪との獲得競争
大学最後の1年間で急激に成長した守田は、他クラブからも注目を集めた。しかし早くから川崎が獲得を狙っていたこともあり、争奪戦にはならなかったという。結果的に獲得競争はガンバ大阪との“一騎打ち”になった。
なお、守田は大阪府高槻市出身。本人は「ガンバを見て育ってきました」と語り、目標としている選手に、当時ガンバ大阪に所属していた今野泰幸の名前を挙げていたという。
「落ち込みましたよ。かなり分が悪いな、と」
当時を思い返した向島は懐かしそうに笑った。
「(獲得は)難しいと思っていました。違いがあるとすれば、『ボランチではすぐには出られないよ』とはっきり伝えていたことです。当時ガンバさんは井手口(陽介)が海外に行くかどうかのタイミングで、おそらく『ボランチで起用したい』という話だったと思います。最終的には、ウチの良さやチームカラーを理解してもらい、本人が川崎を選んでくれました」
当時の守田は「日本で一番強いチームに行きたい」という理由もあり、川崎への加入を決めたと明かしている。チームカラーや本人の性格もあるだろうが、厳しい場所に飛び込んで成長したいというチャレンジ精神も、川崎加入の要因になったのかもしれない。
川崎の一員となった守田は、リーグの前哨戦となるゼロックススーパーカップで右サイドバックとして公式戦デビューを飾っている。サイドバックで出場機会を掴みながらプロの水に慣れ始めると、夏場のネットの退団というめぐり合わせもあり、1年目からボランチのレギュラーに定着。リーグ連覇にも大きく貢献した。さらにこの年に始動した森保ジャパンにも招集されるなど、新人としては特筆すべき活躍を見せている。
大卒選手が“日本型育成”のロールモデルに?
守田がプロデビューを飾った2018年から4年が過ぎた。
今季は所属クラブでCLに出場し、カタールW杯では日本代表の中心選手として期待されている。守田のように、大卒から海外移籍によってステップアップを果たしていく存在は、今後もますます増えていくのだろうか。“日本型育成”の未来を占う意味でも、W杯に出場する大学サッカー経験者に注目してみるのも面白いかもしれない。



