【森保殿の26人】堂安律、逆境脱出に導いたリフティング…G大阪U23で焦る日々「このまま終わるのか」
カタールW杯に臨む日本代表メンバー26人が決まった。スポーツ報知では「森保殿の26人」と題し、選手たちの転機やエピソードを紹介する。第4回は、ドイツ1部フライブルクの堂安律。
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華やかなプロの舞台とはかけ離れた、わずか4、5人しかいないグラウンド。堂安律は「このまま終わってしまうのか」と不安に押しつぶされかけていた。今から6年前のことだ。
2015年、高校2年生でトップデビュー。しかしレギュラーの壁は厚く、16年は新設されたG大阪U―23が主戦場に。チームには約15人ほどの若手が集められたが、トップチームに練習参加する選手も多く、日によってはGKがいない4、5人で練習する日も。そんな環境に若い堂安は焦り、もがいていた。
当時、G大阪U―23を率いた実好礼忠監督(50)=現大阪学院大サッカー部監督=は「まだ幼い部分もあった。味方や自分のミスに舌打ちしたことを、みんなの前で叱ったこともある。でも素直で、負けん気が強い部分は彼の良さだった」と振り返る。ミニゲームもままならない環境に、モチベーションを下げる選手もいた。しかし堂安は成長への欲を失わなかった。
実好監督は映像を使い、選手たちのプレーを分析。堂安にはファーストタッチがわずかに浮き、次のプレーが0コンマ数秒遅れる悪癖を指摘した。繊細な技術を身につけさせるために、テニスボールなど大小のボールを使ったリフティングにも取り組ませた。まるで子供たちが技術を磨くための練習にも周囲からは映ったが「神経系をつなげるため」という実好監督の意図を聞いた堂安は、目の色を変えて取り組んだ。
毎日繰り返す技術練習は、やがて堂安の地金に。ファーストタッチがぴたりと止まるようになると、従来備えていた攻撃のアイデアや左足のシュート技術が発揮できるように。この年、J3で10得点。翌年にはトップチームでレギュラーを奪い、半年後には海外移籍、日本代表と飛躍の階段を駆け上がっていった。
今年2月、W杯アジア最終予選で日本代表から漏れた際、堂安は自身を「逆境大好き人間」と称した。もがき、苦しみ、悩んだ時間が、自らを成長させることを知っているからだ。代表落ちをきっかけに調子を取り戻し、W杯メンバー入りは果たした。しかし、レギュラーや出場が保証される立場ではない。強豪と対戦するW杯も含め、堂安が燃える逆境は整っている。(金川 誉)
◆堂安 律(どうあん・りつ)1998年6月16日、兵庫・尼崎市生まれ。24歳。浦風FC、西宮SSを経てG大阪の下部組織へ。2015年、ACL・FCソウル戦でクラブ史上2番目の若さとなる16歳11か月11日で公式戦デビュー。17年にオランダ1部フローニンゲン、19年には同PSVへ移籍。20年はドイツ1部ビーレフェルトに期限付き移籍。昨季はPSVに復帰し、今季よりドイツ1部フライブルクに完全移籍。日本代表では28試合3得点。172センチ、70キロ。