【燃ゆる蒼き戦士たち 第2回】MF鎌田大地 ドイツ随一のアタッカーも日陰の道を歩んだ中学時代
日本が誇る司令塔はドイツ随一のアタッカーに成り上がった。今季の公式戦では20試合12得点、3アシスト。昨季は欧州リーグ、欧州チャンピオンズリーグで獅子奮迅の活躍を披露し、いまやビッグクラブからもトップランクの評価を受ける存在となった。しかし、中学時代は思うように伸びず、日陰の道を歩んだ。
「大きなけがを何回もした。中3でもレギュラーではなかった。ずっと苦しんでいたから、中学年代ではあまりいい思いをしていないんじゃないかな」
当時、G大阪ジュニアユース監督だった鴨川幸司さん(現枚方アカデミーダイレクター)によれば、鎌田の実力は「テクニックとセンスはある。でも、ずばぬけているわけではない」。技術力はあった。スルーパスにも見どころがあった。しかし、苦手な守備面の課題を克服できず、手の骨折や腰椎分離症にも悩まされた。名門クラブの生存競争は熾烈(しれつ)。突出していた同期の井手口陽介(現セルティック)とは対照的だった。
故郷・愛媛の親元を離れ、大阪・岸和田の祖父母宅で暮らしながら、電車で片道1時間半以上の距離を通う日々。「人生において、すごい挑戦だったと思う」。G大阪ジュニアユースコーチだった梅津博徳さん(現横浜Mジュニアユース監督)は両足を自在に使いこなした柔らかなボールタッチを今も覚えている。
「(特長は)プレッシャーがあっても前を向けるところ。前を向いたときの質は高かった。1対1の練習が好きで、面白いプレーを見せると飲み込みは早かったですね」
ただ、体の成長が遅く故障が重なった影響もあって、「自分のプレーを出せなくなっていった印象の方が強いです。いいものはあったけど…」と梅津さん。ユース昇格を見送られたのは、なかば必然だった。
試練、苦難が続いた3年間。「でも、大地はもっと上を目指していたのかもしれない。そういう性格だったように思う」と鴨川さん。フランクフルトでの1年目はわずか3試合の出場だった。W杯アジア最終予選終盤4試合は招集外。それでも、どん底から力ずくで存在価値を証明してきた。「W杯8強以上」という大目標。険しい道を切り開いてきた鎌田の両眼には、その高みが見えている。
▼鎌田大地(かまだ・だいち) 1996年8月5日生まれ、愛媛県伊予市出身の26歳。180センチ、72キロ。G大阪ジュニアユース、京都・東山高を経て、2015年に鳥栖入り。J1通算65試合出場、13得点。17年6月、ドイツ1部・フランクフルト移籍。シントトロイデンへのレンタル移籍後、19―20シーズンから再びフランクフルトでプレー。昨季欧州リーグ優勝に貢献。日本代表通算21試合出場6得点。