“敵地のパナスタ”に初登場したジュビロ遠藤保仁。やはりガンバにとって「特別な存在」だった
5試合ぶりのスタメン、後半はフィニッシュに絡む
J1残留をかけた「ボトム対決」はタイムアップの笛の後、ピッチ上で残酷なまでのコンストラストを描いた。
17位から一気に、自力での残留圏内に浮上したガンバ大阪に対して、引き分けも許されなかったジュビロ磐田は3度目のJ2降格が決定した。
パナソニックスタジアム吹田には今季最多となる27988人の両サポーターが集ったが、G大阪のセレモニーが行われる前、かつてG大阪でレジェンドとして君臨した男もまた、自分なりの「セレモニー」で区切りをつけていた。
敵地まで遠路かけつけたゴール裏のサポーターに対して挨拶した後、遠藤保仁はゆっくりと場内を一周。G大阪のサポーターに向けて手を振ったり、拍手をしたりする様子に対して、場内から盛大な拍手が送られる。
サックスブルーの50番をつけていようと、大半のG大阪サポーターにとっては「永遠の背番号7」である。
2年前の10月、期限付きで磐田に移籍。その後、完全移籍が発表された遠藤は、20年間在籍したG大阪のサポーターに挨拶する機会がなかったのだ。
「長い間お世話になったクラブですし、僕自身、途中で期限付きで出てきたのでなかなか、ファン・サポーター皆さんの前で、挨拶というか、そういう形が出来ていなかったので、またここに戻って来られて、こういう形で挨拶できたのは嬉しく感じます」
ゲーム後、こんな感謝の言葉を口にした遠藤だったが、上原力也の出場停止もあって5戦ぶりに先発した試合中は全力でかつての古巣に立ち向かった。
戦前から「ヤット(遠藤)さんのところから前向きに出てくるパスは嫌らしいものがある」とG大阪のボランチ山本悠樹は、攻撃にスイッチを入れる縦パスを警戒していたが、後半の遠藤はフィニッシュにも絡んできた。
57分にシュートを外した42歳は59分、自身が起点となった攻撃でゴール前に侵入。鈴木雄斗のクロスをダイレクトで合わせたが、このシーンは磐田にとってこの日最大のビッグチャンスだった。
「やられたと思いましたね」と振り返ったCBの昌子源は、同時に「あれを外してくれた時に、僕らはまだ行けると感じた」と明かした。
ゴール近くで決定的なパスを繰り出す回数は少なかったが、やはり対峙していたG大阪の選手にとっては、やはりやっかいな存在だったのは間違いない。
「ボランチの選手が、そこに厳しく行くしかない」と遠藤封じに燃えていた山本は、ルーキーイヤーにその先達から多くを学んだ一人。そして敵として対峙したことで、改めて感じた巧みさもあったという。
「あまり決定的な仕事をされた感触はないけど、対戦していると存在感はあったし、あまりボールを取りに行けなかった」(山本)。
遠藤の後継者として攻撃の組み立てを意識する山本だからこそ感じたのは、その選択肢の多さである。
「サイドで右のウイングバックがいた時にヤットさんに近寄られて、逆サイドの鈴木選手(という選択肢)もあるし、そのままヤットさんからのパスじゃなくても、山本(康裕)選手経由で山田選手に渡るみたいなルートがたくさんあった。どこかを消しても、結局どこかのルートが空いてしまうので、特に前半は取りに行けなかった」
パナソニックスタジアム吹田に初めて敵としてやってきた遠藤保仁はやはり、G大阪の選手、サポーターにとってやはり、特別な存在だった。