片野坂ガンバ終焉の舞台裏。「過剰リスペクト」や「遠慮」、「優しさ」が悲劇を引き起こしたか
シーズンが進むにつれてシステムや戦術も曖昧に
強いG大阪を取り戻す――。15年度天皇杯以降、タイトルから遠ざかっているクラブの再建を担った片野坂知宏体制は、わずか8か月で幕を下ろした。2年連続の監督交代。この悲劇を引き起こしたのは、指揮官とクラブ双方の「過剰リスペクト」と「遠慮」「優しさ(厳しく言えば甘さ)」だったのではないか。
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ビルドアップ戦術と機を見た鋭いカウンターアタック、そして積極的なプレッシング。一世を風靡した大分時代はピッチサイドで大声を枯らし、選手をシステマチックに動かす姿が何度も見受けられた。
だがG大阪では、そこまで型にハメることはしなかったという。実力のある選手の判断や個性に配慮したのだろうが、それは逆にゴール前での連係・精度やピッチ全体での意思疎通に歪みを生む一因になったように感じる。
シーズンが進むにつれてシステムや戦術も曖昧になってしまった。多くの試合で見受けられたのが“相手ありき”の戦い方。だが過密日程の中で徹底的に落とし込むことまでは至らない。圧倒的な個人技でチームを何度も救ってきた宇佐美貴史の長期離脱も相まって、自分たちがどう攻めるのか、困った時にどこに帰るのかベースも見えなくなっていった。
勝てない日々。チームの形が定まらない日々。そして時間だけが過ぎていく危機感と焦燥。正確な日時は分からない。だが7月初旬前後だっただろう。強化部は片野坂監督について議論した。解任か続投か。揺れるなか、C大阪戦前に続投を決めたのは小野忠史社長だった。
決して保身ではない。小野社長は三顧の礼で迎え入れた片野坂監督の手腕をまだ信じていた。一つキッカケがあればチームは変わると疑わなかった。そして“キッカケ”は新監督の松田浩氏のコーチ招聘だった。
昨季の松波正信体制では10月に木山隆之氏(現J2岡山監督)をコーチとして招き入れ、残留に成功した。今季も違う角度からのアプローチができるベテラン指導者を入れることによる化学変化を試みた。ただ昨季の松波-木山体制は松波氏自身が望んだ人選。今回は違う。クラブ主導だった。
善かれと思った新コーチ入閣だが…
この時期、メディアの間では京都(7月30日)、福岡(8月6日)、清水(8月14日)の3連戦がヤマ場という噂が出回っていた。複数の新型コロナ陽性者が出た福岡戦は中止になったが、それでも残留を争うライバル清水との1戦が片野坂監督にとって『進退マッチ』に位置付けられているのは変わらなかった。
善かれと思った新コーチ入閣だが、「クラブの思いも分かるし、私自身が判断したことでもある。これからサッカー観を合わせていきたい」と苦々しく口にした片野坂監督の表情は印象的だった。
人間性の良い片野坂知宏氏は西野朗氏や長谷川健太氏のように、自らの主張をハッキリと言うタイプではないのだろう。昨年オフ、今夏の補強についても第一希望の選手が取れなくても文句を言わなかった。放出選手候補についてもクラブが残すと決めれば受け入れた。そしてクラブ側は松田コーチを迎え入れた時点で片野坂監督を切るべきだった。
清水戦後、小野社長は少なくとも広島戦(8月20日)までは片野坂-松田のトロイカ体制継続姿勢だった。だが残り10試合。時間の猶予がないことから解任に踏み切った。
当面は今季終了までの契約となっている松田新監督がどれほどの手腕を発揮するかは分からない。ただクラブに関わる全ての人がプロフェッショナルな判断を下していかなければ、松田体制も中途半端に終わってしまう。