「震えが止まらなかった」アキレス腱断裂の瞬間 宇佐美貴史、プロ生活初の大怪我でも恐怖に打ち勝てる訳
【独占インタビュー】川崎戦で負傷し、長期離脱中の宇佐美が現況を明かす
3月6日、J1リーグ第3節ガンバ大阪対川崎フロンターレ。G大阪のFW宇佐美貴史は、この一戦で大きく運命が変わった。後半10分、浮き球を処理しステップした際に右足を負傷。同12分に交代した。右アキレス腱断裂だった。プロ生活で初めてと言っていいほどの大怪我――。現在リハビリに励み、復帰へ向けて歩み続ける宇佐美が「FOOTBALL ZONE」の取材に応じ、現況や思いを明かした。
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一体、何が起こったのか。理解が追い付かないまま、激痛だけが襲ってくる。この衝撃は何なのか……。気付けばロッカー室へ運ばれ、ドクターが手術の手配をしている。身体は頭から足先までガタガタ震えていた。
「怪我した瞬間は何が起こったのか分からへんかった。かかとが地面の中に30メートルぐらい沈んでいく感じ。ドーン、と。ブチッという音が聞こえたわけではなかったけど、衝撃がすごすぎて、かかとが爆発したような感じ。何が起こったのか分からなくて、パニック。周りの選手いわく、ブチッという音が聞こえた、と。それで、ピッチ上でこれが『アキレス腱断裂というやつか……』と分かった。
とにかく、震えが止まらんかった。ガタガタ震えていた。恐怖心があったのか、何か月できなくなるのか分からへんからなのか。ロッカーに着いてから、すぐ『アキレス腱切れてるな、明日には手術やな』と言われて。試合終わった瞬間から手術の準備に入らないとあかんかった。全身麻酔やから、食事もこの段階から取ったらあかん、飲んだらあかん、と。『俺、さっきまで試合してたよな』と思った。あのワンプレーで、何か月できなくなるか分からへんとか、大げさに言ったらまた現役に戻れるかも分からへん、元のプレースタイルに戻れるかも分からへんような怪我。気丈に振舞っていたつもりでいたけど、足先から頭の先までガタガタ震えていた。3月6日は激動の一日やった」
翌日には手術。全身麻酔の後、下半身麻酔もされ、起きた時には「わりと痛みはなかった」という。だが、夜に激痛が襲った。15針縫った傷跡が痛み続け、朝まで全く寝られない。足を下すと血が巡り、再び激痛が走った。それでも、手術の翌日からはリハビリが始まった。
「ガチガチにアキレス腱を縫っているから、可動域を広げるために患部をマッサージしたり、ストレッチしたりというリハビリ。それが一番痛かった。ちょっとずつやらないと、すぐ固まっちゃうし、痛いけど我慢してやると、割とすぐ足が(床に)付けられるようになって松葉杖で足をついて歩けるようになるから。そうしたら、ふくらはぎに刺激が入って、リハビリのペースが早くなるから、痛いけど我慢してください、と言われた。縫って糸が通っているところを『糸切れるんちゃう?』っていうぐらい伸ばした。手に汗かいて痛い、痛い、痛い!と。入院中の10日ぐらい続けた」
入院中は“第二の心臓”とも言われるふくらはぎに上手く血を送れないため、頭痛や吐き気にも悩まされた。身体はボロボロ。その状況で、自分自身にベクトルを向けた。すると、意外なことに気が付いた。
長期離脱したら「キャリアは終わり」と思っていた だが、今は―「苦しいとか言ってられない」
「全身麻酔から起きた時、『俺、昨日試合してたのにもう動かれへんくなってるやん』と思った。でも、怪我をしてから恐怖心とかいっぱいあったけど、1回もネガティブにはなっていない。不思議と。『辛いな、苦しいな』とかは一切ない。俺自身、若い時から全治6か月の怪我をしたらキャリアは終わりや、そんな長いリハビリとか乗り切れるタイプではないと思っていた。でも、意外と『俺ってポジティブにできるねんな』というのが分かった」
16歳でプロ入りし、ここまで長期離脱を擁する大怪我をせずに走り続けてきた。2014年には左腓骨筋腱脱臼で全治約8週間の怪我を負ったが、アキレス腱断裂ほどの大怪我は今回が初めて。だが、宇佐美にはマイナスな感情がない。再びピッチに戻ることだけを考えている。
「16歳の時から大きい怪我もなくきて、30歳になるこのタイミングでなった、というのも何かのメッセージなのかな、と。(プロキャリアは)何歳までやるか分からへんけど、折り返し地点に来ているやろうから、例えば35、36歳までやるとしたら、それまでできる身体を作り直す時間にあてなさいということなんかな、と思えている。歯がゆいし、迷惑をかけて申し訳ないけど、弱音を吐いたこととか、頭で考えたことがない。
これはドライすぎる考え方かもしれへんけど、普通に社会人として働いていて仕事して飯食っているわけですよね、みんな。サッカー選手なら怪我しても復活を目指すなんか当たり前のことでしょ。みんな『辛いリハビリ、苦しいリハビリ乗り越えて』って言ったり思ったりしているけど、でも世の中の人もそうでしょ、と。仕事でミスしたらミス取り返すために頑張る。その感覚と同じ。怪我したので辞めますってことはないから、復帰を目指して頑張る以外の選択肢ないでしょ。感情の振り幅はない。ナイーブな感情とか、センチメンタルな感情はいらない。俺は、怪我って個人に落ち度があると思っているから。接触で当たって不運な怪我をする人もいるけど、今回の怪我に関しては自分に落ち度があるから、苦しいとか言っていられない」
絶対に宇佐美はピッチへ戻ってくる。現時点で復帰時期は未定だが、理想は9月だという。
「自信がない状態で戻りたくない」 最後は“恐怖心”に打ち勝てるか
「100点の形で進んだら9月ぐらい。最悪の0点は今シーズン出られない。50点は今シーズン中に1試合、2試合出る。正直、どれになりうる可能性もある。自信がない状態で戻りたくないし、恐怖心がある状態で戻りたくない。『よし、大丈夫』という状態でやりたいから、それが患部の状態なのか、コンディションなのか、恐怖心を拭えるのか、という要素はある。100点でいけるように考えているけど、もしかしたら0点かもしれないし、1試合2試合出て今シーズン終わるかもしれない」
最後は恐怖心に打ち勝てるかどうか。
「受傷した時、強度が少ない時に受傷している。日常生活で言ったら、子供がソファから落ちそうな時に『危ない!』というぐらいのパワーの使い方。ちょっとグッと力が入るぐらいで、バチッ!となっているから。最後はそこ(恐怖心に打ち勝てるかどうか)かなと思う。心身ともにOKとなっていても、恐怖心を忘れられるか、というところ」
まだまだ、先の見えないトンネルを歩いている。リハビリ中でも「昨日より全然いい!と思えたことがない」というほど、ゆっくり、ゆっくり怪我と向き合っている。みんなが待つピッチへ再び立つ時、何倍も強くなっている宇佐美を見られるはずだ。
[プロフィール] 宇佐美貴史(うさみ・たかし)/1992年生まれ、京都府長岡京市出身。兄と同学年の家長昭博が在籍していた長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)からガンバ大阪ジュニアユースに入団。中学3年でユースに飛び級昇格し、レギュラーに定着した。クラブ史上初めてとなる高校2年生でトップチームに昇格。2011年にはバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。翌シーズンはホッフェンハイムで過ごし、13年途中にG大阪へ復帰。同年のJ2昇格、翌14年の三冠獲得にエースとして貢献した。16年途中から2度目の海外挑戦へ。19年6月から再びG大阪に復帰している。各年代別代表で活躍し、ロンドン五輪に出場。18年ロシアW杯メンバーにも選出された。