「30歳過ぎたらプラスの部分を求められる」播戸竜二が39歳まで現役続行できたワケ。「クラブにどう適応し、必要とされるか」

「サッカー選手をやってきて本当に幸せだった」

元日本代表MF鈴木啓太氏が、自身のYouTubeチャンネルで最新コンテンツを投稿。ゲスト出演した元日本代表FW播戸竜二氏が、キャリアの中盤から引退までを振り返っている。

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2006年にヴィッセル神戸からガンバ大阪に復帰した播戸氏は、ACLと天皇杯の優勝やクラブワールドカップ3位を経験。08年シーズンの天皇杯決勝では、延長戦からの途中出場で決勝点をゲット。「キャリアを思い返して一番記憶に残っているゴール」だと語った。

翌09年に30歳になり、チームの若返りの方針のため、同シーズンをもって契約満了。2010年にセレッソ大阪に移籍する。当時、香川真司(現・シント=トロイデン)や清武弘嗣、山口蛍(現・ヴィッセル神戸)、家長昭博(現・川崎フロンターレ)ら期待の若手が在籍するチームで、彼らをまとめてほしい、経験を伝えてほしいと頼まれた。「30歳くらいから若手をどう伸ばすかという風にマインドが少しずつ変わっていった」という。

「若い頃は、自分が結果を出してプレーで認めてもらうしかない。30歳を超えたあたりからは、そのチーム・クラブにどう適応して、その中でどう必要とされるかが大事」「結果はもちろん、30歳くらいからはプラスの部分を求められる」

その後、サガン鳥栖、大宮アルディージャ、FC琉球と渡り歩いた。

2013年の夏に加入した鳥栖はJ1の残留争いに巻き込まれていたが、チームのまとまりの強さに着目。「こんなところにいるチームじゃないと思う」と伝えた。残留を果たしたチームは翌年、過去最高の5位に躍進する。

2015年に移籍したJ2の大宮では、リーダーと経験が必要とされていたことから、日々の過ごし方やプロ意識を伝えた。同年、大宮はJ2優勝、1年でのJ1復帰を実現した。

現役最後となる2018年は、J3の琉球に在籍。「自分が活躍するというよりかは、周りをどれだけ成長させて上に行かせるかを学んだ1年だった」と振り返る。その年、チームはJ3で優勝し、初のJ2昇格を果たした。

高卒でプロキャリアをスタートさせ、39歳までピッチに立ち続けた播戸氏。21年にも及んだ現役生活を「サッカー選手をやってきて本当に幸せだった」と満足げに語った。

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