オ・ジェソクがつづる日本、Jリーグクラブへの感謝の言葉…「どの古巣に対しても感謝の気持ちは忘れていない」
日本での経験をもとに、韓国で挑戦したかった
「Jリーグ時代のことは、今も忘れられませんよ。多くのサポーターから、本当に温かい愛を受けたんですから。初めて日本に行ったときは僕にとって最大の挑戦でしたが、振り返ると“最高の選択だった”と間違いなく胸を張れます」
感慨深く話すその表情に、嘘偽りはなかった。母国に復帰して約2年。韓国で選手生活を送る今も、オ・ジェソクは日本への感謝の気持ちを胸に抱いていた。
2013年から2020年まで日本でプレーし、ガンバ大阪、FC東京、名古屋グランパスに在籍した8年間でJ1通算148試合に出場した元韓国代表右サイドバックは、2021年シーズンを前に仁川ユナイテッドへ移籍。9年ぶりにKリーグへ復帰し、現在は加入2年目となるシーズンを過ごしている。
首都ソウルから電車で1時間半の距離にある仁川のとあるカフェ。日本から持参したサッカー雑誌、選手名鑑を懐かしみながら、オ・ジェソクは名古屋から仁川に移籍した当時を改めて振り返った。
「当時は名古屋が9年ぶりにACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場権を獲得した状況で、クラブからは契約延長オファーもいただきましたが、仁川からもオファーが届いていて、来季どうするかたくさん悩みました。そこで思い浮かんだのが、日本で一番パフォーマンスが良いときこそ、韓国に戻って挑戦することに意味があるのではないかということでした。僕自身、それまで日本で培った経験をもとに韓国で力を発揮する機会がなかったので、Jリーグで自分が本当に成長できたのかを試したいと思い、仁川に移籍する決断を下しました」
加入初年度の昨季は副キャプテンを務め、リーグ戦では主に右ウィングバックとして26試合に出場して2アシストを記録した。チームはこれまで毎年のように降格圏を争い、最終盤で劇的に残留を決めることから「残留王」「生存王」と呼ばれてきたが、昨季はシーズン中盤、一時上位にも食い込む躍進を見せ、結果として2試合を残して残留を確定。12チーム中8位でフィニッシュした。
そんな仁川は今シーズン、全38節のリーグ戦において第18節終了時点で7勝7分け4敗(勝ち点28)の4位につけ、2位の全北現代モータース(勝ち点32)とは4ポイント差と、クラブ史上初のACL出場権獲得も視野に入る好調ぶりだ。しかし、勢いに乗るチームとは裏腹に、オ・ジェソク自身は過去になく異例のシーズンを戦っている。
「これまでサッカーをしてきて2カ月以上も休んだのは今回が初めてです。プロキャリアではとくに大きな負傷もなかったので……」
2022年シーズン、現在までオ・ジェソクのリーグ戦出場はゼロであり、ベンチ入りも一度もない。公式戦通算ではFAカップの出場1試合のみとなっている。
原因は昨季終盤に負ったふくらはぎの負傷だ。韓国の冬は日本よりはるかに気温が低く、KリーグのピッチコンディションもJリーグと比べて異なるため、「ふくらはぎの負傷が引退に直結するケースが多い」とオ・ジェソクは言う。今季はカタール・ワールドカップの影響でシーズン開幕が2月に前倒しされたことも、例年以上にコンディション調整が難しい要因となった。
結局、シーズン開幕から2カ月後の4月27日、オ・ジェソクはFAカップ3回戦の光州FC戦で今季初出場を果たしたが、「復帰を急いでしまってコンディションが万全ではなかった」。100パーセントのパフォーマンスを発揮できず、仁川も2部相手にホームで1ー6と衝撃的な大敗を喫した。以降、再び戦列を離れたオ・ジェソクは、シーズン後半の復帰を見据えてコンディションを整えている。
「日本にいるときはサプリメントを飲むことなんてなかったのですが、今はチームからの支給以外に自分でもドリンクやサプリを探し、飲むようになりました。自分が思った以上にコンディションが上がらなくなっているのも気づいていますが、そこからも新しい学びがあると思っていて、今は“これもいい経験だ”と前向きに受け入れています」
夫婦ともども名古屋に感謝しているし、恋しい
実戦復帰に向けて着実に準備を進めるオ・ジェソクの支えとなっているのが、今年3月に結婚した妻の存在だ。
「結婚生活ですか? すごく幸せですよ。日本では人生の目標を書くときにいつも“結婚”と書いていましたが、韓国でそれを達成できました。家に誰かいるというのは本当に落ち着きますし、自分の味方が一人増えたような気がします。スタジアムに行くときは妻と一緒ですし、自分が出る試合を妻が見に来てくれることもうれしく、本当に幸せです」
すると、ここでオ・ジェソクは「この場を借りて、僕たち夫婦が名古屋に本当に感謝している、今も恋しく思っていると必ず伝えてください」と念を押した。そして、続けざまに名古屋への思いを打ち明けた。
「Kリーグ復帰から半年が経った2021年の夏、名古屋が僕にもう一度オファーをしてくれたんです。当時はクラブが早い段階で断ったので移籍は実現しませんでしたが、名古屋が僕のことを忘れず、獲得の意思を示してくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいでした。振り返ると名古屋時代は本当に最高の思い出しかなくて、名古屋が優勝した昨年のルヴァンカップも韓国から一生懸命応援していましたし、今も家には名古屋のユニホームを飾っています。だから、いつか必ず名古屋に感謝の言葉を伝えたかったんです」
Jリーグ進出当時は23歳だったオ・ジェソクも、32歳となった。「今は仁川で最善を尽くすつもりですし、選手生活が終わるまではプレーに集中すると決めています。人生では何が起こるかは分かりませんが……」と前置きつつ、今後のキャリアについて考えを明かしてくれた。
「選手生活の最後、1年間でも6カ月間でもいいので、またJリーグでプレーしてみたいです。以前は自分一人で生活していましたが、今は大切な家族ができたので、日本での生活がもっと楽しくなるのではないかと思っています。それに、引退した後には日本で指導者を一度経験してみたい。可能であれば、指導者生活の第一歩も日本で経験したいですね」
いつかはまた日本のサッカー界に戻りたい。プロ生活の大半を過ごした“第2の故郷”への恩返しをオ・ジェソクが忘れることはない。
「僕はKリーグでプロデビューしましたが、日本で長く選手生活を過ごしたので、Jリーグが自分を育ててくれたと思っています。ガンバ大阪、FC東京、名古屋グランパス。どの古巣に対しても感謝の気持ちは忘れていませんし、韓国でも常に“Jリーグ出身選手”という自覚をもって頑張っていることをぜひ伝えていただきたい。いつか家族と一緒に日本に行って、大阪や東京、名古屋に遊びに行きます。これ、必ず記事で伝えてくださいね」