「一度サッカーから離れてみるのもありかな」「自分に罵声を」宇佐美貴史29歳、降格危機ガンバでの苦悩と心の支え〈インタビュー〉
宇佐美貴史にとって2021年は苦しんだシーズンだった。所属するガンバ大阪が降格圏に片足を突っ込む時期もある中で、自らのプレースタイルの変化を含めて、もがいていた。ガンバと「プラチナ世代」の旗頭は今、何を思うかを聞いた
「色々ありすぎたシーズンだったかなと思いますね……」
コロナ禍による活動休止と宮本恒靖前監督の電撃解任、真夏の公式戦15連戦――。クラブ史上2度目となるJ2降格の危機がリアルに背後から迫っていた2021シーズンは、宇佐美貴史にとっても苦悩の1年だった。
そのままでは上位には行けてもタイトルは無理だと
Jリーグ開幕の前哨戦となる富士ゼロックススーパーカップでは川崎フロンターレに2対3で競り負けたものの、攻撃を重視する新布陣の4-1-4-1は一定の機能性を見せ、宮本前監督が目指すボールを握る能動的なスタイルへの期待感は高まる一方だった。
「去年はリーグ戦で2位まで行きましたけど、そのままの戦い方では上位には行けてもタイトルは無理だとチーム自体も感じていたと思います。攻撃的にというか、ボールを保持しながら戦うサッカーにシフトして行く中で、僕自身はボールにもしっかりと絡みながら、うまく得点を取ったり、チャンスを作り出すプレーをしていくイメージでした。ボールを引き出し、周りも生かしつつ自分も生きるというね。当初は4-1-4-1でやるんだろうと思っていましたけど、その布陣なら僕はインサイドハーフかウイングかと思っていましたね」
コロナからの再始動時に方向性が定まっていなかった
新スタイルへの転換を図るチームに降りかかったのが予期せぬコロナ禍だった。開幕戦を戦った直後、クラスター発生が発覚、2週間の活動休止を強いられた。宮本前監督は「我々は誰も経験したことがない作業に取り組まないといけない」と当時、苦しい胸の内を明かしたが、再開後のリーグ戦でガンバ大阪はクラブ史上例がない極度の不振に陥るのだ。
「新しいサッカーを浸透させる時期にコロナでストップして、再始動したときにまだ方向性が定まっていなかった。再開後はすぐにうまく行かず、自分たちがどういうサッカーをするのかがはっきりしなかったですね」
17歳と14日で公式戦デビューした宇佐美も、今年5月6日の誕生日で29歳。その翌日に応じたオンライン取材で「今までの誕生日で一番嬉しくなかったですね。ついに20代最後の年かという感情でいっぱいになって」と苦笑いしていたが、節目のシーズンに残した数字は不本意なものだった。
今年の5ゴールはキャリアで嬉しかった1~5位です
「濃密な1年だったと思うし、自分の中でも試行錯誤して自分との対話もした。自分に対して罵声をたくさん浴びせましたし、一方で自己肯定を持つ面もあった。今までのサッカーキャリアの中で感情の振り幅が一番大きかったと思います。一番、辛いシーズンだったかもしれないですね。
でもその中で、数は少ないですけど、今季取れた5得点(11月25日のインタビュー時点)は、キャリアの『嬉しかったゴール』でいうと1位から5位を独占しています(笑)。こういう経験ができたことは、綺麗事じゃなく、かけがえのないものだと思っていますし、これを自分自身もチームとしても来年に生かしていかないといけないんです」
幼少からの最大の武器でもある精度の高いキックで、相手ゴールをこじ開け続けてきたシューター宇佐美。しかし今季は「ボール1個分外れる」という悩みに苦しんできた。7月27日の大分戦で劇的な決勝ゴールをゲットすると「もうエエわとやけになった分、力が抜けていいシュートになりました」と、キックに関して理詰めで生きてきた男らしからぬ言葉を口にしている。それだけ、追い詰められたシーズンだった。
「サポーターからも点が取れていないとか、バッシングも受けるじゃないですか。でもそれ以上に、僕自身が自分のことを一番バッシングしている(苦笑)。今シーズンは一度サッカーから離れてみるのもありかもな、と思う時期もあったのでね。
あれ以上気持ちが下へ振り切れていたとしたら今、練習や試合に姿を現しているかどうかもわからない状況でした。でも僕はそこでもう1回、まだまだできることはあるし、もっともっと頑張らないといけない、もっと示さないといけないものがあると、逆に気持ちを上へ振り切ることができた。そういう自分に気がつけたのも大きかった。意外と図太いし、あそこまで落ち込んでもまだやろうと思える自分がいてくれて良かった」
自分のゴールがなければおそらく今、J2に
心の支えとなったのは積み上げてきた、5つのファインゴールである。
「一番落ちていた時期を具体的にいうつもりはないですけど、あの大分戦より後の事ですね。だからこそ、ああいうゴールが自分をギリギリのところで繋ぎ止めてくれていましたし、1位から5位を独占、ということなんです」
インタビューを行った11月25日時点で宇佐美は36試合に出場し、わずか5得点。数字の上で物足りないのは確かだが、すべてが決勝ゴールだった。宇佐美個人を満足させる結果でないものの、節目節目でチームを救い続けてきたのは間違いない。
「個人の結果としても、チームの結果としても不甲斐ないし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。数少ないポジティブな点は、自分の5ゴールがなければおそらくチームは今、J2に行くことになっていただろうなということですね。チームに対して色々いうこともありましたし、チームのことを考えて色々な行動もしました。それがなかったら、もしかしたら落ちていたかもしれない。残留争いには、すごく大きく貢献できたと思います。
プレッシャーとか危機感は、タイトルを争うよりも大きいなと。タイトル争いよりも下位で戦うほうが、精神的なしんどさは大きいなと感じましたね」
ヤットさんが抜けて、どうボールを持っていくのか
エースの苦悩はチームと個人の成績だけではなかった。ドリブルで打開し、強烈なシュートを叩き込むのが従来からの宇佐美像。しかし、三冠を達成した2014年当時とチームを取り巻く環境は大きく変わっていた。
「僕が19点ぐらい取っていた時はアタッキングサードまで連れて行ってくれる役割を、ヤット(遠藤保仁)さんがやっていました。そういう人が抜けて、じゃあチームとしてどうやってアタッキングサードまでボールを持っていくのか」
宇佐美もまた、周囲から見られるイメージと、果たすべき役割との間の中で揺れていた。ジレンマは感じていたのか、問うてみた。
「ありますね、それは……。ストライカーというか、そういう風に見られているんだなとは感じます。試合が終わって挨拶回りをする時に、そういう罵声を浴びせてくる人もいますし、チーム内でも、前でプレーすることを求められているのかなと思います」