JFAアカデミー不合格で落胆する小6の大地に、父・幹雄さんがかけた言葉【鎌田大地 叩き上げの原点】
【鎌田大地 叩き上げの原点】#4
「1988年ソウル五輪の水泳・背泳ぎ金メダルの鈴木大地選手(前スポーツ庁長官)のように力強く生きてほしい。そして海外でも呼びやすい名前ということで『大地』と命名しました」。父・幹雄さんの願い通り、ドイツでタフに戦っている鎌田大地。彼がガンバ大阪の下部組織出身なのはよく知られているが、生まれ育ったのは愛媛県伊予市。2つ下の夏芽さん、5つ下の大夢(J3・福島)の3人きょうだいの長男は、明るく朗らかな子だったという。
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96年生まれの鎌田がサッカーを始めたのは3歳。大阪体育大時代にボランチを主戦場としていた幹雄さんが、「フィジカル系の自分は技術がなくて苦労したので、息子にはスキルを身につけさせたかった」とキッズ・フットボールクラブ(現FCゼブラキッズ)に連れていったのが始まりだ。
テクニック志向のチームに喜々として通った大地少年は、練習前に母・貴子さんと1時間一緒にリフティングをするほど熱中。小学1~2年で1000回レベルに達した。
「幼稚園までは人見知りでしたが、キッズの頃は天真爛漫でしたね。監督の飯尾始先生が『温泉行くか』と言えば、『行く行く』と喜んでくっついて行ってました。クーバー・コーチング・スクールも、神戸で開かれたFCバルセロナのキャンプも自分から『行きたい』と言いだした。ウチは子供がやりたいことはチャレンジさせる方針でやってました」と母は約15年前の日々を振り返る。
両親の温かい援護射撃を受け、小2後半からずっとレギュラーだった大地少年。週末は小2~6年の全学年の試合に出るため、それを追いかける2人も大変だった。
貴子さんが撮影したビデオをムリヤリ見せられた妹・夏芽さんは「仕方ない」と思いながら眺めていたようだ。
「ある時、飯尾先生が『GKやりたいやつおるか』と聞いたら大地が『ハイハイ』と喜んで手を挙げた。私は息子がGKをやっても未来はないと思っていたので『そこでアピールしてもしゃあないやんか』と諫めたのですが、FWからDFまであらゆるポジションをやったのがよかったのかなと思います」と、父は今の柔軟性と適応力につながる原点を口にする。
こうやって真っすぐ育った大地少年だったが、父にこっぴどく叱られたことも皆無ではない。
「小5の伊予市の大会後だったと思います。大雨が降ってグラウンドがグチャグチャになり、トンボをかける時に大地が文句ばっかり言ってるのが目に入った。プレーより人としての姿勢の方が大事だと教えたくて、家に帰って厳しく叱った記憶がありますね(苦笑い)。キャプテンをやっていた小6の時にも、仲間にキツい言い方をしたり、すぐに諦めたりするんで、帰りの車で『もっとちゃんとやれ』と苦言を呈したこともあったかな。初めての子で少し厳し過ぎたかも知れないのですが……」
父は、親として発展途上だった若かりし頃を思い浮かべた。
厳しくも優しい親の愛を受けた大地少年は小5でU-12ナショナルトレセンに選出。小6になると複数クラブから誘いを受けた。幹雄さんは2006年に開校したばかりのJFAアカデミー福島をすすめ、本人も快諾。テストは順調に最終選考までいったが、まさかの不合格。本人も相当に落ち込んだ。
「選ぶのも評価するのも人やけん、しょうがないやろ」
父の言葉を脳裏に刻み込んだ大地少年は気を取り直し、熱心に誘ってくれたガンバのジュニアユースに目を向けた。
岸和田に引っ越し
ちょうど貴子さんの実家が大阪府岸和田市にあり、祖父母の家から練習に通えることも鎌田家にとっては好都合だった。
「大分・別府でのガンバU-13春合宿に参加することになり、小6の卒業式後にいち早く岸和田へ引っ越し、そこから大阪南港の大分行きのフェリー乗り場まで見送りに行きました。他の子は仲良くワイワイやっているのに、よそから来た大地だけポツンといたので『大丈夫かな』と不安を覚えましたが、本人は『じゃあね』と元気に船に乗った。その姿は今も脳裏に焼き付いています」 母は一抹の寂しさを覚えつつ、早い子離れの時を惜しんだ。
▽鎌田大地(かまた・だいち) 1996年8月5日生まれ。愛媛県出身。キッズFC-G大阪ジュニアユース-東山高-鳥栖から2017年にフランクフルトに移籍。昨季トップ下で5得点、リーグ3位の12アシスト。19年3月のコロンビア戦で代表デビュー。同10月のモンゴル戦で代表初ゴール。身長184センチ・体重73キロ。
【父・鎌田幹雄さん】1969年4月生まれ。鳥取市出身。鳥取東高、大阪体育大卒。兵庫・尼崎在住のサラリーマン。
【母・貴子さん】1970年11月生まれ。大阪・岸和田市出身。砂川高から専門学校。兵庫・西宮で「ジャザサイズ」のインストラクター業をフランチャイズで運営。