ブラジル人元Jリーガー、栄光の時を過ごした日本への感謝 「今も僕の心に住んでいる」

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】アラウージョ(元清水、G大阪):後編――日本挑戦は最初の3カ月で苦戦

日本のスタジアムに“アラウージョ旋風”が吹いたのは、ガンバ大阪でプレーした2005年のこと。J1リーグで33ゴールを挙げて得点王とベストイレブン、そしてMVPに輝き、ナビスコカップでも6ゴールで大会得点王となった。シーズン終了後には、全国のサッカー担当記者の投票によって選出される日本年間最優秀選手賞も獲得した。

ブラジルのゴイアスでプロデビューし、7年間でクラブ歴代トップの通算136ゴールをマークするなど、好調なサッカー人生を歩んでいたアラウージョが、初めて日本に行ったのは2004年。清水エスパルスへの移籍だった。

「外国でプレーしてみたい、国際的に活躍したいという夢があったんだ。もう結構な年月、ゴイアスにいたから、違うクラブを経験したいというのもあった。だから、日本に行くのは夢の実現だった」

ただ、日本での最初の3カ月は大変だったと振り返る。

「日本のサッカーは魅力的だと思った。でも、慣れるのには時間がかかったんだ。ブラジルのサッカーは緩急があるけど、日本では試合を通して運動量がすごく多いし、プレーも展開もスピーディー。相手のプレスも速いし、ボールを奪われた時の切り替えも速い。実際、清水では馴染むために頑張っている状況だった。本当に適応し、磨きをかけるという段階に進めたのは、ガンバに行ってからだったような気がする」

ピッチの外での失敗談もある。今となっては笑い話だが、アラウージョの几帳面な性格が伺えるエピソードでもある。

「最初にゴミを捨てようとした時のこと。買ってきた黒いビニール袋にまとめて、ゴミ置き場に出しておいたんだけど、次に行くと、なぜか僕のゴミだけが、回収されずに残されていた。これでは溜まっていくと思って、急いで持ち帰ったんだけど、どうしたらいいんだろうと。その時、近所の公園のゴミ捨て場には、遊びに来た人たちのゴミがたくさんあるのを発見してね。闇夜に紛れて(笑)、僕のもそっと置いてきた。翌日、僕のゴミ袋に貼ってあった注意書きをクラブで見せたら、ゴミ袋は青か白じゃないとダメなんだって。僕のは黒(笑)。想像もしないルールだった」

今でも鮮明に残る2005年J1リーグ優勝でみんなで泣いた思い出

当時のG大阪は、良いスタートを切った年でも、どこかでペースダウンしてしまっていた。それが、アラウージョのいた2005年は1年を通して好調を維持し、ついにJ1リーグ初優勝を果たすことができた。

「ガンバは、チームとしての完成度が高かった。それに、僕にとっては、チームや選手個々のプレースタイルのおかげで、もっとフィットしやすかった。日本代表でプレーするクオリティーの高い選手たちもいて、攻撃的なサッカーをしていたんだ。例えば、ボランチの遠藤(保仁)。今でもインターネットで探して見ているほど、彼のプレーが大好きなんだよ。中盤には二川(孝広)もいた。前方では大黒(将志)が良かったし、ブラジル人のフェルナンジーニョもいて、良いコンビネーションが築けた。

後方には、シジクレイと宮本(恒靖)。宮本は、熱くて、かつ冷静なキャプテンだった。引退後にガンバの監督を務めたのも納得できる。他の選手たちも含めて、僕らの関係はすごく良かった。それがあったからこそ、最後まで良い結果を出し続け、タイトルにつながったんだ」

G大阪での想い出の試合を聞くと、次々に出てくる。怪我のため、防御マスクをして臨んだJ1リーグ第10節ジュビロ磐田戦でのビューティフルゴール。そして、J1第13節東京ヴェルディ戦も忘れられない。

「7-1という素晴らしいスコアで勝って、僕自身も3ゴール4アシストをすることができた。特にアシストができたことで、僕はJリーグのサッカーをもっと深く理解できた、掴めたという自信がついたんだ」

アラウージョの心に最も刻まれる瞬間がある。J1最終節の川崎フロンターレ戦。あの年は最後まで、G大阪を含む5チームにタイトルの可能性が残るという混戦だった。

「試合終了まで、どこが優勝するか分からなくてね。ガンバは4-2の勝利。僕はチームの先制点と4点目を決めることができたんだけど、その最後のゴールはもうロスタイム。驚いたよ。ゴールの瞬間、歓喜のあまり、サポーターがピッチになだれ込んできたんだ。Jリーグ初優勝!

サポーターと選手たちがもみくちゃになって抱き合い、みんなで泣いて。あの瞬間は今も鮮明に覚えている」

優勝とともに、多くの個人賞も獲得した。特にJリーグMVP獲得の瞬間を思い出すと、今でも感動がよみがえるという。

「表彰式で泣いてしまったんだ。来日後、適応に苦しんだ頃のこと、サポーターが少しずつ、僕に笑顔を向けてくれるようになってきた頃のこと、温かい声援を受けるようになったこと。そういうすべてを思い出して、『ああそうだ、僕はこのガンバというチームでタイトルを獲りたかったんだ』、そして『みんなで一緒に夢を実現したんだ』と、改めて実感した」

日本でプレーした清水、G大阪の両クラブへ感謝「一生大事にしながら生きたい」

さらに、この年のJリーグで33得点をマークしたアラウージョは、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)により、世界の主要国内リーグの年間得点ランキングにおいて、世界1位と発表された。

「ドイツで表彰してもらったんだ。世界でも、記録を作るチャンスというのは、そんなにあるものじゃない。それを僕は実現できた。チームの好調やサポーターに支えられてね。だから、僕はみんなを代表して、あの賞を受け取ったようなものだよ」

最後に、日本のサポーターに向けて、メッセージを語ってもらった。

「まずは、僕に日本への扉を開いてくれた、清水エスパルスのサポーターへ、親愛を込めて。あの年、チームも僕もあまり良くなかったのが、今でも心残りだ。それでも、僕らを信じ、支え続けてくれた、あの愛情を忘れない。ガンバ大阪のサポーターへ。あれほど歓迎し、僕を信頼してくれた。そして、ともに戦い、大事なタイトルを獲得した。もう感謝しかないよ。もう一度、みんなを抱きしめたい。日本のみんなは今も僕の心に住んでいるし、思い出すたびに感じる温かさを、一生大事にしながら生きていきたい。こうして話しているだけで、今も感動してしまうよ。本当に、ありがとう」

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