「律、お前は天才とちゃうで」「やることはガンバと全く一緒やねん」中学生の堂安や谷晃生、林大地を育てた名伯楽が語る秘話と今
ニュージーランドとの120分間の激闘を終え、PK戦に突入したU-24日本代表。かつてガンバ大阪のジュニアユースで家長昭博、宇佐美貴史ら数々の日本代表を育て上げて来た鴨川幸司さん(現FCティアモ・アカデミーダイレクター)は、テレビの前で一抹の不安を感じていたという。
今大会のメンバーのうち堂安律と林大地、そして谷晃生の3人は多感な中学生時代に鴨川さんが指導した選手である。癖のあるサッカー小僧でもあった宇佐美をして「あの人から発せられる言葉の中に意味がないものはないと、中学生ながらに思っていたので常に耳は傾けていました」と言わしめた鴨川さんは、厳しさも併せ持つ指導者だ。
谷は「1回も怒ったことないないんとちゃうかな」
鴨川さんの教え子は誰もが一度は雷を落とされた経験を持つなか、谷だけは例外だったという。
「アイツは、空気を読む奴で、俺に怒られる前に火を消すのがすごく上手いし大人びてたね。一回も怒ったことがないんとちゃうかな」
しかし、空気を読むことは得意な少年が唯一苦手としていたのがPKのコースを読むことだった。
「大事な公式戦ではなかったけど、何回か晃生はPK戦で負けてたし、勝負弱いところもあってん。
アイツのスケール感からしたら、ちょっとそこは気になるところやったね」(鴨川さん)
ニュージーランド相手に、殊勲のPKストップを見せた谷のプレーを見た名伯楽は「あの当時から色々な経験を積んで来たし、もう当時とは違うんやね」と感慨深げに呟いた。
神戸でのスペイン戦、堂安の両親から受け取ったチケット
鴨川さんにとって、コロナ禍の中で行われている東京五輪は、指導者冥利に尽きる大会だ。
「ラッキーやったというか、こういう選手たちが若い時代に一緒に過ごせたのはなかなか凄いことやなって」
東京五輪の開幕を目前にした7月17日。ノエビアスタジアム神戸で行われたスペイン代表戦には、鴨川さんの姿があった。堂安の両親が用意したチケットを手に。
エースナンバーを託される堂安は、ガンバ大阪のアカデミーから世界に羽ばたいた逸材の一人だが、鴨川さんの存在がなければ全く違うサッカー人生を過ごしていたはずだった。
ガンバ大阪ユース時代、まだ2種登録だった頃の堂安は、茶目っ気まじりにこんなエピソードを口にしたことがあった。
「ジュニアユースを選ぶ時、ガンバとグランパスで迷ったんですけど、ガンバでプレーする夢を見たのでガンバに決めました」
「お前はアキの足元にも及ばへんって」
当時、ガンバ大阪と名古屋グランパス、JFAアカデミー福島、そしてセレッソ大阪からも声がかかっていたという堂安だが、鴨川さんのアドバイスもあって吹田を本拠地とする名門クラブでのプレーを選択する。
しかし、当時の鴨川さんの評価はシビアだった。
「律はその年代では抜けていたよ。ただ、俺は家長とか宇佐美とか見て来たから、それほどでもないなって思ってた」
鴨川さんの30年を超える指導者キャリアのなかで、一目でプロになると分かったのは稲本潤一と家長、宇佐美の3人だけだったという。ダイヤの原石なのかどうかも、まだ分からないレフティに対しての指導は手厳しいものだった。
「お前は天才とちゃうで」
「お前はアキ(家長の愛称)の足元にも及ばへんって」
関西では名の知られた逸材に対して、鴨川さんはあえて厳しい言葉をかけたが、当時から際立っていたのは強烈なパーソナリティと勝負強さだった。
グループリーグ第2戦のメキシコ戦ではPKをど真ん中に蹴り込み、今大会初ゴールをゲットした堂安だが、鴨川さんが明かしたエピソードを聞けば、その強気なキックも納得だ。
「アイツは雑草魂も謙虚さもある」
2013年3月、ガンバ大阪のジュニアユースはスペインに遠征。中学3年生に進級する直前の堂安らチーム全員が、練習の準備を怠っていたとして罰走を命じられたことがあった。その日の夜に待っていたのは重要な大会初戦。当時も背番号10を託されていた堂安は、鋭い眼光で、臆することなく指導者にある提案を持ちかけるのだ。
「僕らが悪いんで走ります。ただこの大会はいいコンディションでやりたいんで、日本に帰ってから走ります」
余談だがかつて本田圭佑や宇佐美も経験した罰走を結局、堂安は走ることがなかった。バルセロナを堂安の決勝ゴールで下し、決勝トーナメントに進出。ベスト8でのPK戦で涙は飲んだが、鴨川さんが大会中に課したノルマをクリアし、見事に罰走から逃れたのである。
「罰を与えるのが目的じゃなくて、罰走を命じた時にコイツらはこういう試練で、どういう解決法を見せるかなと思っているから」というのが鴨川さんのポリシーだった。
今、U-24日本代表のエースナンバーを背負う教え子について「アイツは雑草魂も謙虚さもある。最初からエリートでちやほやされてたら、今みたいになってなかったかもしれんね。ただ、ガンバに来た時のことを考えたら、自国開催の五輪で、しかも10番をつけるような選手になるとは、今でも驚きはあるよ」と鴨川さんは、目を細めた。
「マンネリ化」してきた中での新たな挑戦
1992年からガンバ大阪のアカデミーで育成のプロフェッショナルとして数多くの才能たちと向き合い続けて来た鴨川さんは、2019年を限りにガンバ大阪から契約満了を言い渡され、新たなチャレンジに取り組む毎日だ。
「自分のキャリアもちょっとマンネリ化してきてたし、ちょうど新しい環境を探してたところだった」と話す鴨川さんは、当然ながら引く手はあまた。Jリーグの下部組織や中国のクラブチームなどからも声がかかったなかで、選んだのはFCティアモでの指導だった。現在はJFLに所属し、将来的にはJリーグ参入を目指すFCティアモにとって、アカデミーの整備は不可欠。2020年からアカデミーダイレクターとして統括的な役割を託され、ジュニアユースでは監督も務め、再び指導の最前線に立っている。
現在チームに中学3年生は2人しかおらず、土のグラウンドでの指導である。1年生を中心に、徐々に選手は集まりつつあるが、ダイヤの原石を磨く作業だったガンバ大阪時代と異なり、選手のレベルは言葉は悪いが、玉石混淆だ。
7月中旬に行われた紅白戦の一コマでは、ボールを持つ選手に鴨川さんがこんなアドバイスを送っていた。
「ボールを持った時に、お前がどういうアイデアを出せるかやで」
何も言わなくてもアピールに燃え、技を繰り出すガンバ大阪の選手たちと異なり、技術も経験値も劣る選手が多いFCティアモのジュニアユース。一方で大阪府トレセンや地域トレセンレベルの選手も所属している。
「子供らのプレーでストレスがたまることはいっぱいあるけど、それも楽しみの一つやね。まだ上手くない子が自信をつけてくれたら楽しいし、今はアカデミーを大きくしていく作業やから」
「ないない尽くし」だったガンバのアカデミー
今でこそJリーグ屈指の規模と歴史を誇るガンバ大阪のアカデミーだが、実はその創設初期は「ないない尽くし」だった。
土のグラウンドを転々とし、鴨川さんが当時乗っていたスクーターのライトや発電機が照明代わり。それでも稲本や橋本英郎、大黒将志を育てた実績とノウハウが鴨川さんには備わっている。
育成のエキスパートは「10年はかかるよ」と長期的な視点でFCティアモの土台づくりに取り組んでいる。今目指すのは第2の堂安を作ることではなく、U-24日本代表にギリギリで滑り込んだ、もう一人の教え子のような選手を見つけ出すことである。
名伯楽でも林のポテンシャルは見抜けなかった
多少の紆余曲折はあったものの世代別代表の常連で、いわゆるエリート街道を歩んで来たのが堂安と谷。一方で、当初はバックアップメンバーの一人だったはずの林は、鴨川もそのポテンシャルを見抜けなかった遅咲きのタレントだった。
今でこそそのパワフルでエネルギッシュなプレースタイルから「ビースト」の異名を持つ林だが「ガンバの同世代の中でも中の下ぐらいで、全然レギュラーちゃうかった。中学3年の時は、途中から出場してチャンスを作るようなタイプやったけど、スピードでゴリゴリ行ったり、オフザボールでああいう動きをするタイプじゃなかったね。中盤でオールラウンダー的なスタイルやったからね」(鴨川さん)。
2012年に中国で行われたマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップの決勝ではフィールドプレーヤーが14人登録され、うち2人が喧嘩したことで鴨川さんの逆鱗に触れ、サブだった林にチャンスが回って来た。チームは敗れたものの林はゴールをゲットしたという。
当時のチームからガンバ大阪ユースに昇格できなかったのは林だけでなく、現在コンサドーレ札幌で活躍し、A代表デビューも果たしている田中駿汰もいた。鴨川さんは証言する。
「田中駿汰は、コイツちょっと化けるかなと思って、『ユースに上げた方がいいんちゃうかな』って言うてんけどね」
原石に対しての確かな鑑定眼を持つ男も、林のブレークだけは予想出来なかったという。
Jの下部組織のあり方だけが正解ではない
ガンバ大阪のアカデミーで指導者人生の大半を過ごしてきた鴨川さんは、決してJリーグの下部組織のあり方だけが正解ではないとも感じている。
「町クラブでも高体連でもいい子がいっぱい出てるやん。チームにいい選手ばかりが揃ってるわけじゃないから、いいパスも来ないし、いいサポートもない。だから、自分で何とかせなアカンやろ。そういう中から凄い選手が出てくる傾向があるよね」
鴨川さんが言う凄い選手の一人は大迫勇也である。ガンバ大阪ユースと対戦した鹿児島城西高時代のプレーを見た鴨川さんは、「ああいう中から野性味のある選手が出てくるし、選手のレベルがバラバラな中で練習するのはいいところもあるかなと思っている」と話す。
FCティアモでは、時にインサイドキックの蹴り方やごく基本的なポジショニングについても指導するが、基本的なポリシーはガンバ大阪時代と変わらない。
「律にも宇佐美にもやってきたことやし」
名伯楽は言う。
「やることはガンバの時と全く一緒やねん。育成年代は基礎を叩き込んでやりこむこと。それは律にも宇佐美にもやってきたことやし、今のティアモの子にもやってるよ。
『俺は堂安を教えた時と全く同じ練習をしてるで』って言うてるけどな」
自国開催の大舞台に臨むメンバーが発表された直後、鴨川さんや当時の指導者は堂安の両親からお祝いの会に招かれた。その場で堂安にスマートフォン越しにかけたのは「金メダル目指して頑張れよ」という激励の言葉だ。
「律は勝負強いし、大会の最後らへんに全部いいところを持って行ってるなって子やったね」(鴨川さん)。
悲願の金メダルを目指す3人の教え子は、いよいよ大会の大一番に挑む。
そして鴨川さんもまた、FCティアモで新たな原石を探し続けていく。