はかない権力者「監督たちの命運」今季のJで相次いだ「解任劇」(1)
サッカー監督――はかない権力者たち。その仕事は試合で勝つことを最大の目的とし、日々トレーニングの指揮をとり、コーチ、スタッフとミーティングを重ねる。チェックする映像も膨大だろう。やることは無限大にあり、全生活がサッカーに捧げられている。しかし成功する者はほんの一握りで、どれだけ人知を尽くしても成績が上がらなければ、いつ解任されても文句は言えない。でもひょっとしたら、やった者にしか分からない魅力たっぷりの職業なのかも――。
■サッカー監督は全能の神ではない
「サッカーの監督には2種類ある。ひとつは解任された監督、そしてもうひとつは、これから解任される監督だ」
よく引き合いに出される言葉だ。イングランドでリーズ・ユナイテッドなど強豪クラブを率いて一時代を築いた名将ハワード・ウィルキンソンの言葉と言われるが、こうしたレトリックは英国人たちがとても好むところで、古くからさまざまな現象を表すのに使われている。必ずしもウィルキンソンの「創作」ではないのではないかと、私は思っている。
だがそれでも、この言葉には大きな真実がある。サッカーという競技で絶大な権力をもつ監督。戦術を決め、トレーニングという名の「調練」を課し、30人近くの選手のなかから試合に出る11人を選び、本人の意向を聞くこともなく交代させる。サッカーチームにおいて、監督はまさに全能の神のように振る舞う。しかしそれも、「監督」という地位にある間なのである。いったんチームが負のサイクルにはいれば、真っ先にうわさされるのが監督の交代であり、そのうわさは多くの場合現実となる。
今季のJリーグでも、すでにたくさんの「解任劇」が起きている。J1では、シーズンにはいってわずか1カ月半の4月に横浜FCの下平隆宏監督と鹿島アントラーズのザーゴ監督が解任され、それぞれ早川知伸新監督、相馬直樹新監督が就任した。さらに5月にはガンバ大阪の宮本恒靖監督が解任され、松波正信新監督が引き継いだ。
■ベンゲル、ファーガソンの長期政権
横浜F・マリノスでは、Jリーグ史上2人目の珍しい監督交代があった。シーズン半ばでアンジェ・ポステコグルー監督がスコットランドの名門セルティックの監督就任を受諾、6月に辞任して、アカデミーダイレクターだった松永英機が代行に就任、横浜FMは1カ月以上たって7月18日にポステコグルーと同じオーストラリア人のケビン・マスカット新監督就任を発表した。ただ、入国日は未定で、入国後も一定の待機期間が必要になるので、指揮をとるのは8月中旬以降ということになる。
「史上2人目」というのは、Jリーグの監督から欧州のトップクラブの監督として引き抜かれる例で、1996年に名古屋グランパスのアーセン・ベンゲル監督がイングランドのアーセナルに引き抜かれて以来のことという意味である。ベンゲルはアーセナルの監督として歴史に残る功績を挙げ、2018年に引退するまで、実に22年間にわたって栄光に満ちた監督人生を送った。そしてその間に1235試合で指揮をとり、707勝280分け248敗という成績を残した。
イングランドには、このベンゲル以上の長期政権を誇る監督がいる。1986年から2013年まで27年間にもわたってマンチェスター・ユナイテッドの監督を務めたアレックス・ファーガソンである。彼はいくつかのスコットランド・クラブで成功を収め、スコットランド代表監督として1986年ワールドカップでチームを率いた後にマンチェスター・ユナイテッドからオファーを受けた。そして27年間でリーグ優勝13回、FAカップ優勝5回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、FIFAクラブワールドカップ優勝1回という、とてつもない功績を残すのである。マンチェスター・ユナイテッドでは、1500試合戦って895勝338分け267敗。「勝ち点率」は実に「67.1%」である。
■名将は石崎信弘、ネルシーニョ、ペトロヴィッチ、西野朗
Jリーグで最も数多くの試合で指揮をとっているのが、今季からJ3のカターレ富山を率いている石崎信弘監督である。1999年の大分トリニータに始まり、富山が9クラブ目。ことし5月30日の鳥取戦でJリーグ通算700試合という前人未到の大記録を達成した。1995年にJFLのNEC山形(翌年からモンテディオ山形)の指揮官となって監督人生をスタートさせ、Jリーグの成績だけでも、現時点で705試合。その内訳は、303勝148分け254敗。その試合の1つひとつに彼の魂が込められている。
Jリーグで最も経験が長い監督を挙げるなら、現在柏レイソルで指揮をとっているネルシーニョ監督だろう。彼は1994年夏にヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)の「特別コーチ」となって初めて日本で仕事をし、翌年から監督。1996年に「腐ったミカン」事件で日本代表監督になり損なった後、一時はブラジルに戻っていたが、2003年に名古屋グランパスの監督としてJリーグに復帰、以後、柏レイソル、ヴィッセル神戸、そして再度柏と、通算17シーズンにわたってJリーグで指揮をとっている。
コンサドーレ札幌で4シーズン目を迎えたミハイロ・ペトロヴィッチ監督は日本で16シーズン目である。2006年にサンフレッチェ広島にきて攻撃的なサッカーでセンセーションとなって11年まで指揮をとると、翌年には浦和レッズの監督となってこのクラブの「最も美しいサッカーの時代」を築いた。そして2017年シーズンの半ばで解任されたものの、翌2018年には札幌の監督に迎えられ、1部と2部を行ったりきたりしていたこのチームを1部の強豪に仕立て上げた。 「Jリーグで最も成功した監督」を挙げるなら、西野朗(現在タイ代表監督)ということになるだろう。1998年に柏レイソルの監督となって攻撃的なチームをつくり、2002年にはガンバ大阪の監督に転身。そこで実に10シーズンにわたって指揮をとり、J1優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝を飾った。その後はヴィッセル神戸と名古屋グランパスで指揮をとったが、いずれも成功はしなかった。それでも、J1で通算270勝(524試合)は、長谷川健太監督(清水エスパルス、ガンバ大阪、FC東京)の214勝、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の211勝を大きく上回っている。