堂安律 紆余曲折経た「日本のメッシ」は救世主になり得るか【東京五輪代表戦士たちの現在地】

【東京五輪代表戦士たちの現在地】

堂安律(ドイツ1部ビーレフェルト/MF)

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2018年9月の森保日本発足時には、南野拓実(サウサンプトン)、中島翔哉(アルアイン)とともに「三銃士」と評され、攻撃の軸を担った堂安律(ビーレフェルト)。それから2年半の間に2度の移籍もあり、代表の地位はやや微妙になりつつあった。

しかし、22日の今季ドイツ・ブンデスリーガ最終戦シュツットガルト戦で1部残留を決定づける一撃をお見舞い。最近の停滞感を打ち破る大きなきっかけをつかんだ。東京五輪ではエース級の働きが大いに期待されるところだ。

2017年U-20W杯(韓国)イタリア戦での4人抜きゴールなど10代の頃から「日本のメッシ」の称号をほしいままにした堂安。直後にはオランダ・フローニンゲンに移籍し、1年目から9得点。「18年ロシアW杯にも招集すべき」という声が上がったほどだった。

代表若返りを目指した森保一監督が逸材を見逃すはずがなかった。新生代表発足時から主力に位置づけ、19年アジア杯(UAE)でも1試合を除いて先発で起用。本人も準々決勝・ベトナム戦で決勝点を叩き出すなど一応の結果は残した。

当時から背番号11を背負い「カズ(三浦知良)越え」の期待を寄せられたが、同年夏に強豪PSVへ移籍してから状況は一変。出番が激減し、代表でも伊東純也(ゲンク)にポジションを奪われる形になった。 同じタイミングで代表入りした同期の冨安健洋(ボローニャ)は絶対的主力となったが、堂安はベンチに座ることが増加。明暗を分けた状態になった。

この苦境から脱するべく、彼はコロナ禍の20年夏にビーレフェルトへレンタルで赴く決断を下す。

「少し遠回りに見える道でも、僕にとっては近道。強くなるために、うまくなるために選んだ決断でした」と欧州組で編成された20年10月のカメルーン・コートジボワール戦(ユトレヒト)の際にも語っていた。 が、この2連戦では不発に終わり、11月のオーストリア遠征はコロナの影響でクラブが招集を拒否。今年3月の五輪代表活動もケガのため辞退する羽目になり、森保監督への強烈アピールは叶っていない。

代表の右サイドには伊東という大きな壁が立ちはだかり、U-24代表でも久保建英(ヘタフェ)や三好康児(アントワープ)がひしめく。堂安は左サイドでもプレーできるが、Jで売出中の三笘薫や旗手怜央(ともに川崎)らが顔を揃えるだけに、安泰とも言い切れないのだ。

それでも本人は「競争はウエルカム。誰にも負けたくない」と強気。有言実行の姿勢はガンバ大阪の先輩・本田圭佑(ネフチ・バクー)に通じるが、ここへきてようやく結果が伴った。

今季ドイツでは全34試合(うち先発33試合)出場とコンスタントに活躍し、5ゴールをゲット。その1つが冒頭の残留決定弾だ。

4-1-4-1の右MFで出場した堂安は攻守両面でハードワークを見せ、1-0で迎えた後半27分、長身FWフォーグルサマーがタメを作ったところに鋭く反応。パスを受けるとゴール前にドリブルで侵入。タックルに来たDF、カバーに来たもう1人のDFも完璧にかわして、左足を一閃。ダメ押し弾を決めたのだ。

「チームを助けられてよかった」とコメントしたというが、同じように五輪代表と日本代表の救世主になれれば理想的。自身をビーレフェルトの英雄に押し上げた歴史的弾のように、前線で大迫勇也(ブレーメン)や上田綺世(鹿島)らがタメを作ったところに鋭く飛び出し点を取る形が多く出れば、五輪やW杯最終予選でも希望が見えてくる。

6月16日に23歳になる「日本のメッシ」は、もう若手とは言えない。「東京経由カタール行き」を果たし、同い年のエムバペ(PSG)に肩を並べるためにも、大舞台での結果は必須である。

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