なぜガンバ大阪の”レジェンド”宮本恒靖監督は電撃解任されたのか?
開幕から極度のゴール欠乏症に陥り、J2降格圏の18位に低迷しているガンバ大阪は14日、クラブのレジェンドでもある宮本恒靖監督(44)との契約を解除したと発表した。
サンフレッチェ広島に1-2で敗れた明治安田生命J1リーグ第20節から一夜明けた13日に、ガンバの小野忠史代表取締役社長が宮本監督へ契約解除を通告した。13日付で解任した理由を、小野社長はクラブの公式ウェブサイト上でこう説明した。
「私自身もこれからの更なるチームの成長と飛躍を信じておりましたが、当初の目標であるすべてのステージでの1位を目指す中、10試合を消化した段階でチーム状況が改善することは難しいという判断をし、監督交代の決断を下しました」(原文ママ)
10試合を終えた時点でガンバは1勝4分け5敗の勝ち点7。下にはベガルタ仙台と横浜FCしかいない18位で、下位4チームが対象となる自動降格圏にあえいでいる。不振の原因はリーグ最少のわずか「3」にとどまっている総得点に帰結する。
守護神の東口順昭、両センターバックの三浦弦太と昌子源の日本代表経験者がフルタイム出場を続けている守備陣は、リーグで3番目に少ない総失点「9」と踏ん張っている。しかし、ゴールを奪えない試合が「7」を数えていては勝負にならない。
昨シーズンのガンバは指揮を執って3年目の宮本監督のもと、J1リーグ戦で2位に入って今シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を獲得。天皇杯でも準優勝したが、二冠を獲得した川崎フロンターレに大きな力の差を見せつけられた。
クラブ創設30周年の節目となる今シーズンでタイトル奪回を目指すガンバは、攻撃的な選手を中心にこのオフに積極的な補強を行った。攻撃的なスタイルに転じて、リーグ9位タイの「46」に甘んじた総得点を増やす狙いが込められていた。
期限付き移籍していた広島でリーグ3位の15ゴールをあげたFWレアンドロ・ペレイラ(松本山雅FC)をはじめ、FWチアゴ・アウベス(サガン鳥栖)、韓国代表の司令塔チュ・セジョン(FCソウル)を獲得。開幕後の3月下旬には、年代別のブラジル代表に選出された経験を持つMFウェリントン・シウバ(フルミネンセ)も加わった。
しかし、現時点でゴールを記録しているのは、唯一の白星をあげたサガン鳥栖戦で値千金の決勝弾を叩き込んだFW宇佐美貴史、セレッソ大阪戦で引き分けに持ち込むPKを決めたFWパトリック、そして直近の広島戦で一時は同点に追いつく一撃を決めたFW一美和成となっている。期待の新外国籍選手はまだ結果を残せていない。
開幕戦直後の3月に選手6人、チームスタッフ2人がPCR検査で陽性判定を受けた。新型コロナウイルスのクラスターが発生した状況を受け、3月に予定されていたリーグ6試合が延期され、トップチームは同9日から2週間にわたって活動休止となった。
自宅内での筋トレなどに限定された日々で、キャンプから作り上げてきたベースが無に帰しただけではない。活動再開後は選手個々のコンディションにバラつきが生じ、急ピッチで4月3日のリーグ戦再開に間に合わせた反動からけが人も続出した。
10試合すべてで先発メンバーが異なる点からも、宮本監督が選手のやり繰りに苦心していた跡が伝わってくる。特に高尾瑠が離脱した右サイドバックは深刻で、小野瀬康介、佐藤瑶大、福田湧矢、奥野耕平と本職以外の選手たちが起用されてきた。
しかし、活動休止に伴う特別な事情を差し引いても、スタイルの転換が上手くいっていないと小野社長以下のフロント陣は判断したのだろう。そのなかで弾き出された結論が、冒頭で記した「チーム状況が改善することは難しい」となった。ACLを含めた過密日程が待つ今後を見すえれば、待ったなしのタイミングだったのだろう。
今シーズンは新たに導入した[4-3-3]でスタートするも、開幕戦でヴィッセル神戸に0-1で屈すると、活動再開後には昨シーズンまでのメインだった[4-4-2]へスイッチ。今月2日のセレッソ戦、8日の川崎戦で再び[4-3-3]にトライしたが、前者はかろうじて引き分け、後者ではシュートを6本しか放てずに0-2で完敗した。
新たなトライが結果に結びつかない状況に選手たちが戸惑い、自信も失われていく悪循環に陥る。結果として最後の采配となった広島戦後に、メディアから「元気のなさを感じる」や「焦りが見える」と問われた宮本監督は、努めてこんな言葉を返していた。
「勝ち点3を取りたい、という選手たちの思いもあるなかで、1-1から1点を取られて気持ちが重くなり、時間も少ないなかで、心が平穏ではない状況ではあったと思います」 ボールを保持するスタイルをさらに発展させるはずが、ピッチ上で見られたのはゴールを奪うためのチャレンジを恐れる選手たちの姿だった。負のスパイラルに陥ったチームを鼓舞し、上向かせる処方箋を残念ながら宮本監督はまだ持ち合わせていなかった。
日本代表のキャプテンとして2度のワールドカップに出場。ガンバが悲願のJ1リーグ初優勝を果たした2005シーズンには守備の要を担った宮本氏は、ヴィッセル神戸でプレーした2011シーズン限りで引退。その後は異色の道を歩み始めた。
翌2012年夏に国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」に第13期生として入学。スポーツに関する組織論、歴史や哲学、マーケティングなどを学び、元プロサッカー選手で歴代2人目、元Jリーガーでは初めてとなる卒業生となった。
2014年にはJリーグの特任理事に就任。さらに同年6月からブラジルで開催されたワールドカップでは、FIFAが指名した10人のテクニカルスタディーグループの一人として大会全般における技術や戦術、傾向などを分析してリポートを作成した。
Jリーグだけでなく日本サッカー協会(JFA)からもオファーを受けていたなかで、2015年に宮本氏が選んだ次なる道は第一期生として入団したユースを含めて、15年間所属してきた愛着深い古巣ガンバへの復帰であり、指導者への挑戦だった。
しかもトップチームではなく、まずアカデミーのスタッフに就任。ジュニアユースのコーチとして中学生年代の子どもたちを指導し、翌2016年には高校年代のユースの、2017年にはガンバがJ3に参戦させていたU-23チームの監督をそれぞれ務めた。
「自分の経験という強みを、あのタイミングで生かせるものは何かと考えました。選手をやめて間もないなかで、伝えられることがたくさんあると思ったので」
こう語っていた宮本氏は着実にステップを踏みながら、いずれはトップチームを指揮する青写真を描いていた。しかし、2018年7月に青天の霹靂にも映る転機が訪れる。トップチームを率いていたレヴィー・クルピ監督(現セレッソ監督)が成績不振を理由に解任され、ガンバのサッカーを取り戻してほしいと後任を託されたからだ。
そして、残留争いを強いられていた古巣を立て直す決意を固め、オファーを受諾したときから、同時に別離へのカウントダウンも始まっていた。例えば解任されたザーゴ監督に代わり、今年4月にコーチから鹿島アントラーズの監督に昇格した相馬直樹氏は、監督だけが常に直面する宿命をかみしめるように、古巣・鹿島との関係をこう表現していた。
「他のクラブで監督は何度かやっていますけど、終わりが来る仕事だと思っています」
確固たる結果を残せなければ、いつかは必ず責任を問われる立場となる。相馬監督が明かした偽らざる思いは、ホームのパナソニックスタジアム吹田に浦和レッズを迎える16日の次節へ向けて14日から暫定的にトップチームの指揮を執り始めた、松波正信強化アカデミー部長にバトンを託した宮本前監督にも共通していたはずだ。
2018シーズンは最終的に9位にまでガンバを浮上させ、2019シーズンの7位をへて昨シーズンの2位へ繋げた。それでも戦力を充実させて臨んだ今シーズンの現状は、たとえクラブのレジェンドであっても許されるものではないと非情な判断を下され、宮本氏もプロとして不振に陥った責任を一身に負う形で受け入れた。
思わぬ形からスタートさせたトップチームの監督としての挑戦は、道半ばで幕を閉じた。それでも、まだ44歳と若い宮本氏には、挫折を糧にしながら指導者としての”再登板”への英気を養っていく時間は十分にある。JFAやJリーグも一度はラブコールを送った稀有なキャリアの持ち主だけに、さまざまな舞台での再挑戦が待っているはずだ。