大黒将志が語る点取り屋の極意「DFが見失うタイミングをわかっている」

大黒将志インタビュー

FW大黒将志が現役引退を発表。今後はガンバ大阪で後進の指導にあたるという。22年間で12クラブを渡り歩き、ゴールを決めつづけてきた理論派のストライカーだ。ここまでどんなプレーを心がけ、これからどんなストライカーを育てようとしているのか。

コーチの仕事が、選手の能力を見極めて開花させ、成長させることだとしたら、現役時代の大黒はプレーヤーとしてピッチに立ちながら、すでにその仕事を果たしていたことになる。

「僕も、誰にでもアドバイスするわけじゃないんです。まず、その選手の性格を見ます。それで、人の話を聞けるタイプやな、素直やなと思ったら話をします。サッカー選手としての能力は、1、2回一緒に練習すればだいたいわかるので、できそうな選手に言います」

指導者の片鱗をうかがわせる言葉である。もっとも、大黒が若手にアドバイスをするようになったのは、必要に迫られたからだった。ガンバ大阪でプレーしていた時は、遠藤保仁や二川孝広など、日本を代表するパサーがいた。

「ガンバにいた時は、何も言わなくてもいいパスが出てくるので、ある意味ラクやったんです。ただ、そうじゃない時にどうするかが大事で、僕がチームに合わせなあかん部分もあるわけです。僕は周りにパスの出し方、タイミングを教えてきたので、どのチームに行っても、点を取りつづけることができたのかなとは思います」

◆ゴン中山、野人・岡野だけじゃない。輝きを放った「スーパーサブ」10人>>

指導者的な視点を持ち、若手を鍛えてきた大黒。「2012年にB級ライセンスを取りに行ったんですけど、その時に指導者目線が強くなりましたね」と振り返る。

「指導者になりたい気持ちは常にあったんで、監督がどういうふうに選手と接しているかを観察していました。ミーティングで何を言うかとか。選手は一人ひとり性格が違うので、性格を見抜いて、この選手にはキツく言ってもいいけど、この選手には言わんほうがいいとか。僕はキツく言うことはないですけどね(笑)。わりとソフトに、ここはこうして欲しいとか言うタイプです」

キャリアを振り返ると、日本サッカー界を代表する名将のもとでプレーしてきた。西野朗、岡田武史、アルベルト・ザッケローニ、石崎信弘、城福浩、ジーコ……。

「一流の監督のもとでプレーする機会に恵まれて、僕も監督をやりたいと思ったんです。理想は……理想はですよ、岡田さんみたいな守備をして、西野さんみたいに攻撃をする。そんな単純なものではないやろうけど、いろんな監督に教わったんで、全員から学んだことを生かして、将来は監督としてやっていきたい」

指導者のスタートが古巣のガンバ大阪であることに、恩義を感じているという。トップチームの監督とコーチは、ともにプレーし、リーグ優勝を味わった戦友でもある。

「トップチームの監督はツネ(宮本恒靖)さんですし、GKコーチの松代(直樹)さんには、昔よくシュート練習に付き合ってもらいました。僕がユースの選手たちに頑張って教えて、その選手がトップチームで活躍すれば、ツネさんも助かるし、チームも助かる。ガンバに恩返しできたらいいですよね」

現役時代にやり残したことについて、「もっとゴールを決めたかった」と語った大黒。今後は若き後輩たちが、その役目を引き継ぐ。

「これからはガンバの子たちに全力で教えて、その子たちがたくさんゴールを決めてくれるのが、僕の喜びになるわけです。プロに近い、ユースの選手には、僕の指導というか駆け引きが生きてくると思いますし、中学生ぐらいからそれを教えていけば、さらに深まると思う。ワインじゃないですけど、熟成していくのかなと。ジュニアユース、ユース、プロと上がるにつれて、FWとしてうまくなっていくと思うので、指導は初めてですけど、楽しみですね」

日本では類を見ない”ストライカーコーチ”大黒の、新たな挑戦が始まった。

(後編につづく)

大黒将志おおぐろ・まさし/1980年5月4日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪の育成組織で育ち、99年にトップチームに昇格。01年のコンサドーレ札幌時代を挟み、05年までG大阪でプレー。以降、グルノーブル(フランス)→トリノ(イタリア)→東京ヴェルディ→横浜FC→FC東京→横浜F・マリノス→杭州緑城(中国)→京都サンガF.C.→モンテディオ山形→栃木SCと、多数のクラブでストライカーとしてプレー。公式戦通算222ゴールを挙げた。日本代表では22試合出場5ゴール。2021年に現役引退を発表。2月から、G大阪の育成組織のコーチを務める。

リンク元

Share Button