大黒将志が語る点取り屋の極意「DFが見失うタイミングをわかっている」
大黒将志インタビュー
FW大黒将志が現役引退を発表。今後はガンバ大阪で後進の指導にあたるという。22年間で12クラブを渡り歩き、ゴールを決めつづけてきた理論派のストライカーだ。ここまでどんなプレーを心がけ、これからどんなストライカーを育てようとしているのか。
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濃紺のスーツに細いネクタイ、黒い髪の毛を下ろした見た目から、現役時代はゴールという獲物を狙いつづけた雰囲気は感じられない。まるで外資系のビジネスマンといった出で立ちだ。しかしサッカーの話題になると、自らが決めたゴールを、昨日の出来事のように語り始める。しかも、驚くほど描写が細かい。
大黒将志ほど”ストライカー”という呼称が似合う選手はいないだろう。約600試合に出場し、222得点。日本代表では、ドイツW杯アジア最終予選の北朝鮮戦で後半アディショナルタイムに勝ち越しゴールを挙げ、一躍、時の人になった。
「FWは点を取らないといけない職業。点を取る部分で勝負して、生き抜いてきました」
2021年1月に引退を発表。次なる仕事は、ストライカーを育てること。自身がジュニアからユースまで過ごした、ガンバ大阪アカデミーの”ストライカーコーチ”になることが発表された。
「指導者のオファーは(強化アカデミー部長の)松波正信さんからもらいました。自分を育ててもらったガンバやったんで、ありがたかったですし、一緒にやらせてもらいたいと思いました。身体的にまだ選手はできましたけど、ずっと監督業をやりたいと思っていたので、指導の道に行きたかった。いいタイミングやなと思って、決めさせてもらいました」
かつてFWのポジションを争った大先輩からのオファーを、喜びとともに受け取った。32歳の時に指導者のB級ライセンスを取得していた大黒にとって、コーチ業は近い将来の現実的なキャリアだった。
「いつ現役を辞めてもいいように、指導ライセンスをとるなど、準備はしていました。そこからまだまだ、現役がつづいたんですけど(笑)。教えるのは好きですし、自主トレで履正社高校(大阪府)にお世話になっていた時も、監督やコーチの迷惑にならへん程度に、もうちょっとこうしたほうがいいよとか、選手にアドバイスしていました。僕にとって教えるのはすごく楽しいことで、好きなんですよね」
30代に入り、キャリアを重ねるうちに、所属チームで若手選手にアドバイスする機会も増えていったという。「点を取るためには、いいパスが必要なんで、パサーにはかなり細かく教えました。京都サンガF.C.の時は工藤浩平、栃木SCでは岡﨑建哉。ほかにもたくさんいます。俺にパスを出せば、ゴールを決めるから。お前はアシストがたくさんつく。1年後には違うチームに引き抜かれるようになるから、俺にパスしろって(笑)」
冗談めかして言うが、工藤も岡崎も、大黒とのホットラインでアシストを量産し、実際に上位カテゴリーのチームに引き抜かれている。まさに有言実行である。彼らに対する大黒のアドバイスは、理詰めで細かい。
「たとえば、ボランチがボールを持っていたとして、ボールを置く位置が悪いと、僕が欲しいタイミングでパスを出せないことがあるんです。僕は、マークしてくるDFが自分を見失うタイミングをわかっているので、パスを出す選手はその瞬間を見逃さないところにボールを置いて、パスを出せるようにしてほしい。サイドバックも同じで、日本代表だったらウッチー(内田篤人)や加地(亮)くんとか、石川竜也さんとかは、何も言わずにそこにボールを置いてくれますけど、そういう選手ばかりじゃないんで」
さらに、こうつづける。
「まず、良い場所にボールを置けと。そうじゃないと、こっちも動き出されへんからって。(パスの出し手と受け手の)タイミングを合わせる必要があるので、この位置にボールを置いて、たとえば巻いた質のボールを出してくれとか。そうしたら、マークしているDFはかぶるから、俺はシュートを打てる。ゴールに入るかどうかは俺次第なんですけど、入るはずやから出してくれと言って、何度も練習しました」
コーチの仕事が、選手の能力を見極めて開花させ、成長させることだとしたら、現役時代の大黒はプレーヤーとしてピッチに立ちながら、すでにその仕事を果たしていたことになる。
「僕も、誰にでもアドバイスするわけじゃないんです。まず、その選手の性格を見ます。それで、人の話を聞けるタイプやな、素直やなと思ったら話をします。サッカー選手としての能力は、1、2回一緒に練習すればだいたいわかるので、できそうな選手に言います」
指導者の片鱗をうかがわせる言葉である。もっとも、大黒が若手にアドバイスをするようになったのは、必要に迫られたからだった。ガンバ大阪でプレーしていた時は、遠藤保仁や二川孝広など、日本を代表するパサーがいた。
「ガンバにいた時は、何も言わなくてもいいパスが出てくるので、ある意味ラクやったんです。ただ、そうじゃない時にどうするかが大事で、僕がチームに合わせなあかん部分もあるわけです。僕は周りにパスの出し方、タイミングを教えてきたので、どのチームに行っても、点を取りつづけることができたのかなとは思います」
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指導者的な視点を持ち、若手を鍛えてきた大黒。「2012年にB級ライセンスを取りに行ったんですけど、その時に指導者目線が強くなりましたね」と振り返る。
「指導者になりたい気持ちは常にあったんで、監督がどういうふうに選手と接しているかを観察していました。ミーティングで何を言うかとか。選手は一人ひとり性格が違うので、性格を見抜いて、この選手にはキツく言ってもいいけど、この選手には言わんほうがいいとか。僕はキツく言うことはないですけどね(笑)。わりとソフトに、ここはこうして欲しいとか言うタイプです」
キャリアを振り返ると、日本サッカー界を代表する名将のもとでプレーしてきた。西野朗、岡田武史、アルベルト・ザッケローニ、石崎信弘、城福浩、ジーコ……。
「一流の監督のもとでプレーする機会に恵まれて、僕も監督をやりたいと思ったんです。理想は……理想はですよ、岡田さんみたいな守備をして、西野さんみたいに攻撃をする。そんな単純なものではないやろうけど、いろんな監督に教わったんで、全員から学んだことを生かして、将来は監督としてやっていきたい」
指導者のスタートが古巣のガンバ大阪であることに、恩義を感じているという。トップチームの監督とコーチは、ともにプレーし、リーグ優勝を味わった戦友でもある。
「トップチームの監督はツネ(宮本恒靖)さんですし、GKコーチの松代(直樹)さんには、昔よくシュート練習に付き合ってもらいました。僕がユースの選手たちに頑張って教えて、その選手がトップチームで活躍すれば、ツネさんも助かるし、チームも助かる。ガンバに恩返しできたらいいですよね」
現役時代にやり残したことについて、「もっとゴールを決めたかった」と語った大黒。今後は若き後輩たちが、その役目を引き継ぐ。
「これからはガンバの子たちに全力で教えて、その子たちがたくさんゴールを決めてくれるのが、僕の喜びになるわけです。プロに近い、ユースの選手には、僕の指導というか駆け引きが生きてくると思いますし、中学生ぐらいからそれを教えていけば、さらに深まると思う。ワインじゃないですけど、熟成していくのかなと。ジュニアユース、ユース、プロと上がるにつれて、FWとしてうまくなっていくと思うので、指導は初めてですけど、楽しみですね」
日本では類を見ない”ストライカーコーチ”大黒の、新たな挑戦が始まった。
(後編につづく)
大黒将志おおぐろ・まさし/1980年5月4日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪の育成組織で育ち、99年にトップチームに昇格。01年のコンサドーレ札幌時代を挟み、05年までG大阪でプレー。以降、グルノーブル(フランス)→トリノ(イタリア)→東京ヴェルディ→横浜FC→FC東京→横浜F・マリノス→杭州緑城(中国)→京都サンガF.C.→モンテディオ山形→栃木SCと、多数のクラブでストライカーとしてプレー。公式戦通算222ゴールを挙げた。日本代表では22試合出場5ゴール。2021年に現役引退を発表。2月から、G大阪の育成組織のコーチを務める。