家長昭博、堂安律…“ガンバ逸材レフティ”の系譜 高校2年でJ1デビュー中村仁郎が受け継ぐDNAとは
3年目を迎えた宮本体制では最高順位のリーグ2位でシーズンを終えたガンバ大阪。ホームで行われた最終節は、その時点で最下位の清水エスパルスに0対2で完敗を喫し、有終の美を飾れなかったが、1万5252人の観衆は新たな逸材のトップデビューを目の当たりにした。
リーグ最多失点の守備陣相手に決定機を作りきれず、敗色濃厚だった後半35分すぎのことだ。
ガンバ大阪のサポーターから驚きに似た歓声が湧き上がる。宮本恒靖監督に呼ばれて、途中出場の準備を始めたのは3日前の横浜FC戦で初めてトップチームのサブメンバー入りを果たしたばかりの中村仁郎だった。
「どんどん顔を出してボールを受けて、攻撃しろ」
指揮官から檄を飛ばされてJ1デビューを飾った17歳は、後半36分からトップ下のポジションで得意のシザースやドリブルを披露。ゴールこそ逃したものの鋭い枠内シュートも放つなど、明らかに攻撃の流れを変えてみせたのだ。
高校2年生でのJ1デビューは堂安以来
17歳3カ月27日でJ1デビューした中村だが、ガンバ大阪で高校2年生にしてJ1のピッチに立ったのは同じレフティの堂安律以来、5年ぶりの快挙だった。
自らのドリブル突破で得たFKの場面では「自分がファウルをもらったし、(矢島)慎也君も『蹴るか』って聞いてくれたので『蹴ります』と普通に言いました」と先輩にプレースキックを譲らない強気の姿勢も、かつての堂安を思わせる頼もしいものだった。
高校1年生だった昨年、J3リーグを経験し、15歳10カ月29日でJリーグデビュー。久保建英(現ビジャレアル)が持つ15歳5カ月1日のJリーグ最年少記録には及ばなかったが、歴代3位の年少記録とともにクラブ記録も樹立。ところが今季はグロインペイン症候群などの影響もあって、出遅れが続いていた。
そんな逸材がガンバ大阪ユースで戦線復帰し、今季初めてJ3リーグの舞台に戻ってきたのは9月19日のヴァンラーレ八戸戦だった。
この試合では昨季と同様にカットインを生かせる右サイドハーフで起用された中村。多彩なフェイントで相手を翻弄するドリブル――17歳の最大の武器を見抜いていたのが、森下仁志監督である。
家長昭博や堂安ら左利きのドリブラーの系譜にその名を連ねるかに見える中村だが、森下監督の見解は違う。
「仁郎の一番の特長はドリブルのように見えますけど、やっぱり一番はシュートなので。アイツのそこの力を相手の脅威にしたいなと。あんまり練習もできていないので、また後、2カ月半ぐらい一緒に練習をやれば、来年なんかは本当にトップに絡んでいけるんじゃないかなと思います」
見た目はどこにでもいる高校生だが
中村が今季J3で初ゴールを決めた10月11日のカターレ富山戦後に、来年のトップデビューに太鼓判を押していた指揮官だったが、17歳の成長速度は目利きに長けた森下監督の想像を遥かに上回っていた。
カターレ富山戦後、本人も「去年よりももっと結果を残して、今年にトップ昇格できるように頑張りたいです」と語った。
見た目はどこにでもいる普通の高校生だが、まだプロ契約をかわしていない17歳は、飛びきりの意識の高さを持ち合わせている。
1学年下のセレッソ北野に刺激を受けて
中村を支えるのは危機感にも似た感情である。10月25日に敵地で行われたセレッソ大阪U-23との大阪ダービーは1対1のドローに終わったが、サブメンバーだった中村は拮抗した試合展開でピッチに立てず、タイムアップの笛を聞いていた。
一方のセレッソ大阪U-23では高校1年生の北野颯太が16歳2カ月12日でクラブ最年少でのJリーグデビューを果たしていた。
「去年に僕がダービーでデビューしてから1年経つのは早いなと思ったし、どんどん年下からも追い上げて来るというのを痛感しました」(中村)
1つ年下の逸材に刺激を受けた中村は、同時にこうも言い切った。 「自分が一番になりたい。絶対にこれからも年下の選手は出てくると思うんですけど、その選手たちに追いかけられる存在でずっとありたいから」
中村にとって追い風となったのは自身のストロングポイントを評価する熱血漢から指導を受けたことである。
「僕は小学生の頃パサーで、キックが昔から得意なんです。キックが得意だった時代を思い出させてくれた仁志さんがいて良かったし、嬉しかったです」
原石は撫でているだけでは輝かない
もっとも、熱血漢の指導のポリシーは「原石は撫でているだけでは輝かない」(森下監督)だ。
トップに川崎修平や塚元大、唐山翔自のルーキートリオを送り出し、FW陣が手薄だったガンバ大阪U-23で、森下監督は11月以降、より相手のプレッシャーが強く、プレー強度の高さが求められる2シャドーの一角で中村を起用。J3の真剣勝負の場で、時にフィジカルコンタクトに苦しみながらも、17歳は逃げることなくシュート意識と課題だったオフザボールの感覚を磨いていくのだ。
「仁郎に点を取らせるための布陣」
「仁郎に点を取らせるためのフォーメーションです」と森下監督が言い切った12月6日のアスルクラロ沼津戦では、泥臭くゴール前に飛び込みヘディングシュートで試合を振り出しに戻すと、絶妙なスルーパスでも逆転ゴールを生むPK奪取を演出。両チームを通じて最多となる5本のシュートを放った中村は、この試合を機にトップチームに抜擢されることになる。
清水エスパルス戦では15分足らずのプレーだったが、「自分がずっと目標にしていた場所の1つでもあるし、もっと緊張すると思ってたんですけど思ったより緊張しませんでした」と初々しい笑顔を見せた。
そんな17歳は近年のガンバ大阪が抱える問題への処方箋となるべき存在でもある。
リーグタイトルの奪還は逃したが、世代交代への道筋をつけながら2位に食い込み、来年のアジアチャンピオンズリーグへの出場権も手にしたガンバ大阪。しかし、2年連続で掲げている「GAMBAISM」のスローガンの体現は未だ道半ばである。
「ボールを握る試合が少ない」と多くの選手が口にするが、宮本監督自身もリアクションサッカーでこそ力を発揮する現在のスタイルに満足感を覚えているわけでは決して、ない。
「元来、我々がベースとして持っていると想定している上手さというか、攻撃的なところで相手を上回っていける質を試合で表現出来る時間が少ない」
魅せるサッカーこそがガンバの真骨頂だ
ガンバ大阪が誇るアカデミーの礎を築き、昨年限りでクラブを去った上野山信行(現カマタマーレ讃岐監督兼GM)は、口癖のようにこう言ったものだ。
「アイツがボールを持ったら、何をしてくれるんやろうってお客さんが思う選手を作らなアカン」
そんな上野山は、クラブを離れるとき「ガンバを離れても仁郎だけは気になるね」とその行く末を気にかけていた。
強さだけでなく、魅せるサッカーこそがガンバ大阪の真骨頂だったはず。小柄だが芯の強さを持つ17歳には、ガンバのDNAが確かに受け継がれている。