【引退】物議醸しがちDF岩下敬輔の“兄貴伝説” ガンバ降格も男気移籍、小野伸二や長谷川健太監督との縁
サガン鳥栖の岩下敬輔が16年の長きにわたったプロ生活に今季限りでピリオドを打つ。
過去には、時に激しすぎるプレーで物議を醸したこともある岩下だが、ガンバ大阪では、後輩選手たちだけでなく、サポーターからも「兄貴」として愛されたキャラクターだった。
記録よりも記憶に残る男――。ガンバ大阪で過ごした4シーズン半、筆者は岩下がピッチ内外で見せて来た男気を目の当たりにしてきたつもりでいる。
ガンバJ2降格の瞬間、岩下は出場停止
岩下が清水エスパルスから期限付き移籍で加わった2012年、ガンバ大阪はクラブ史上初めて、J2降格の憂き目を見た。
最終節でジュビロ磐田に1対2で敗れ、J2降格が決定。遠藤保仁らチームメイトが涙に暮れたピッチ上に、岩下の姿はなかった。
累積警告による出場停止で、最終節を含めた2試合に出場することが出来なかったのだ。
降格直後は、「代表復帰のためにもJ1でやりたい」とはっきり公言し、岩下はJ1でのプレーにこだわりを見せていた。実際にJ1クラブからのオファーもあったが、決断したのはJ2降格の烙印を押された「堕ちた雄」への完全移籍だった。 ――何故、ガンバ大阪でのプレーを決断したのか。
当時、あるインタビューで本人にその真意を聞いたことがある。 「リーグ戦の最後2試合に関しては、どんな可能性もあったと思うんですよ。でも、僕はその2試合のピッチに立てなかった。ピッチに立てない悔しさと、『残留への力になってほしい』と言われておきながら、力になる権利さえなく、降格の瞬間もピッチに立てていなかったことに、サッカー選手として悔いが残っていました」
義理堅い男にとって、出場停止でピッチに立てなかったという事実は、心に小さな棘として刺さったままだったのだ。
チームの象徴だった遠藤保仁やキャプテンだった明神智和がクラブ愛ゆえに、いち早く残留を決断したのは納得だが、在籍わずか4カ月程度の岩下にとって、J2でのプレーを決断するのは簡単ではなかったという。
浦和でJ2を戦った小野伸二に相談した
岩下が相談したのは私生活でも仲が良い小野伸二。浦和レッズでJ2を戦った経験を持つ小野は世間の注目度が低下するJ2でプレーするモチベーション的な難しさを岩下に語ったが、同時にこうも付け加えたと言う。
「自分でやりがいを感じるのなら、やる価値はある」
岩下が意気に感じたのは、J2で再起を目指すガンバ大阪での挑戦だったのだ。
奇遇にも清水時代の恩師・長谷川監督が
奇遇にも翌2013年、新たに指揮官としてやってきたのは岩下が清水エスパルスでデビューした2005年から6年間、指導を受けた長谷川健太監督だった。
兄貴キャラの岩下が一目も二目も置く長谷川監督とともに、岩下はガンバ大阪の復権に欠かせない存在に成長して行くのだ。
一年でのJ1復帰を果たしたガンバ大阪が日本サッカー史上初となる昇格即三冠の大偉業を達成した2014年、「カードコレクター」だったCBは、「ゴールドコレクター」としてキャリア最高の一年を過ごしていた。
2014年11月のナビスコカップ決勝は、岩下と長谷川監督の結びつきの強さを感じさせた一戦だった。
サンフレッチェ広島に逆転勝利を収め、優勝した直後の記者会見で、指揮官は愛弟子をネタにしながら、ユーモアたっぷりに試合を振り返った。 「0対2になった時は持ってねえなあ、と思いながら、また岩下かと思って……。西村さんには試合の前に『岩下にはちゃんと言い聞かせましたので、どうかレッドカードだけは勘弁してください』とお願いして試合に入ったんですけどねえ」
決勝を裁いたのは西村雄一主審だったが、岩下は過去、西村主審から3度もレッドカードを突きつけられていた。
失点に絡んだとはいえ勝利、思わず涙
この決勝では退場処分にこそならなかったものの、岩下が与えたPKで20分に先制を許し、35分にも岩下が絡んだ失点で2点目を許していた。
「健太さんにとっても初となるJ1のタイトルに向けて、自分も今まで一緒に成長させてもらった恩返しとしてもしっかりとプレーしたい」と試合前に話していた岩下にとって悪夢のような展開だったが、3対2で逆転。タイムアップの笛を聞いた瞬間、岩下は埼玉スタジアムのピッチに跪いて涙に咽んだのだ。
大森も宇佐美も岩下を慕っていた
感極まって立ち上がれない岩下の元に駆け寄ったのは途中出場で決勝ゴールをゲットした「弟分」の大森晃太郎である。
歯に衣着せぬ物言いだけでなく、後輩たちへの面倒見の良さでも知られる岩下だが、大森や宇佐美貴史はガンバ大阪時代に彼を慕った男たちだった。
2014年3月のアルビレックス新潟戦でJ1初ゴールをゲットし、2対0の勝利に貢献した大森だが、この試合で先制点を決めていたのは岩下だった。
「敬輔君が点を決めた試合で一緒に点が取れたのが嬉しい」(大森)
遠藤保仁や明神智和ら背中で引っ張るタイプの選手が多いガンバ大阪にあって、岩下は喜怒哀楽を隠そうとはしない、直情径行型の男である。
罵声に近い檄を飛ばすことも珍しくはなかったが、自陣ゴール前では鬼神のごとく相手の攻撃陣に立ちはだかっていた。
2014年5月の徳島ヴォルティス戦は、岩下が見せた勝利への執念に筆者も感嘆させられた一戦だ。
開始早々の2分に、相手との接触で鼻骨を骨折。「激痛だったし、血も凄かった。絶対に折れているなって思いましたけど、相手は徳島だし勝ち点3を取らないといけない試合。僕の交代枠で1つ使うのはもったいないと思ったんです」と岩下はフル出場。
そして、4日後の名古屋グランパス戦ではフェイスガード姿でピッチに立ったが、この試合でゴールを叩き込んだ大森も「相当痛いと思うけど、敬輔君はやっぱり男の中の男」と試合後にシャッポを脱ぐのだ。
クリーン……とは言い難いが、義理堅い男だった
「日頃、若手に言いたいことを言わせてもらっている分、僕も自分にプレッシャーをかけてます」
お世辞にもクリーンなCBだったとは言い難いが、そのファイティングスピリットと、義理堅さは所属チームの仲間とそのサポーターへ確実に伝わっていたはずだ。
サガン鳥栖を通じて発表したコメントの締めくくりは「負けんなよ、社長!」。自らの引退に際し、経営危機に喘ぐクラブのトップを励ますスタイルもまた、「兄貴流」。
パナソニックスタジアム吹田での第1号の退場者でもあるが、そんな不名誉よりも、ガンバ大阪で4つのタイトルを手にした「三冠戦士」こそが岩下に相応しい肩書きである。