「120%否定します」 20歳FW中村敬斗、「メンタルを打ちのめされた」報道の真実を初激白
【中村敬斗インタビュー|第1回】開幕弾にセカンドチーム…天と地を経験したオランダでの挑戦
若き才能が新たな挑戦の場に立つ。今夏、ベルギー1部シント=トロイデンVV(STVV)に2000年生まれのFW中村敬斗が加入した。昨夏、ガンバ大阪からオランダ1部FCトゥウェンテへ期限付き移籍し、9日に開幕を迎える新シーズンではSTVVの一員として次なるステージに臨む。そんな20歳の中村が「Football ZONE web」のインタビューに応じ、初めての海外挑戦となったオランダでの経験や、新天地でのビジョン、盟友の日本代表MF久保建英などについて語った。第1回はFCトゥウェンテ退団時に、現地メディアで報じられた「”精神崩壊”の真実」について、初めて胸の内を明かした。
2019年7月、18歳の若者がある決断を下した。18年、三菱養和SCユースから高校3年生でG大阪に“飛び級”で入団。高校2年生時から全国で注目を浴び、複数クラブの争奪戦となったが、将来的な海外移籍も容認してくれたG大阪でプロとしてキャリアをスタートさせることに決めた。翌年にはU-20ワールドカップ(W杯)にも出場。高卒1年目の若さにして念願だった海外挑戦を決めた。
19年7月21日、日本を発ち同23日からFCトゥウェンテの練習に合流。8月3日には開幕スタメンを勝ち取り、強豪PSV戦(1-1)に出場。いきなり、ゴールを挙げて鮮烈なデビューを飾った。続く第2節では、G大阪の先輩で中村自身が“憧れ”だった日本代表MF堂安律が所属していたフローニンゲンと対戦(3-1)。ともに先発のピッチに立ち、中村が先制点を奪うと、触発されたかのように堂安もゴールを挙げた。初めての海外挑戦でいきなり開幕から2試合連続弾と、出だしは好調だった。
「シーズンへの入りは相当良かったです。Jリーグで試合をやってきていたので、体のコンディションはでき上がっていましたし、合流して10日ほどであれだけ馴染めました。アヤックス戦(第15節/2-5)でもゴールを取って。あの試合は印象深かったですね。負けちゃいましたけど、やっていてワクワクしました」
だが、ウインターブレイクが明けると徐々に出番は減少。序列が下がり、セカンドチームで出場することも増えるなど、厳しい現実が待っていた。
「チームが負けるにつれて戦術をより浸透させていく必要があったので、自分の長所があまり発揮できず、伸び伸びプレーできなくなっていきました。そうなると逆にチームも勝てなくなって、いいピリピリ感ではなかったです。自分の思い切りの良さとかが、奪われていた部分もあったと思います」
1年で退団…現地メディアから「メンタル的に打ちのめされた」と“辛辣”な報道
ウインターブレイク明けは、新型コロナウイルスの影響でリーグが打ち切りになるまでの8試合で4試合に出場し、プレー時間はわずかに計16分間。一方でセカンドチームでは5試合5得点と結果を残し、状態の良さはキープしていた。
「どこのチームでも競争や戦術があって、監督が求めていることがある。多少はすれ違いもあるなかで、後半戦、試合に出られなくなってもセカンドチームではしっかりとやってきました。監督の評価も上がってきて、『ケイトはめちゃくちゃ頑張っている。精神的にも折れないで、がむしゃらにやってくれている』と評価してもらえて。上り調子で(セカンドチームで)結果も出ていたので、スタメンのチャンスもあるかなと思っていました。そのなかでリーグが打ち切りになってしまって仕方ない部分はあります」
セカンドチームでプレーしている間、中村の頭には絶対に曲げたくない信念があった。それは決して「腐らないこと」。G大阪時代も出場機会がなかった時には何時間も居残り練習をして、徹底的に自分の短所と向き合ってきた。トップチームの選手がシャワーを浴びて帰宅しても、中村だけがグラウンドから上がってこないことは日常茶飯事。自身の序列が下がれば、現実を受け入れて何をすべきか考えるタイプの選手だった。オランダではその思いが、より強くなっていたという。
「これからどうなりたいというビジョンを明確に持っているので、セカンドチームに行って腐っている時間なんかないんですよ。腐っていたらマイナスしかないので、キツイですけど、そこは耐えてやるしかない。それはガンバでよく分かっていました。特に日本語が通じない海外で腐ったらあっという間だな、と。練習は人一倍やるようにしていました」
そうしたなかで、新型コロナウイルスの影響によりリーグ打ち切りが決定。残り1年、契約を残していた中村だが、17試合4得点でシーズンを終えてFCトゥウェンテの退団が決まった。その時、複数の現地メディアから「メンタル的に打ちのめされた」「ホームシックになった」「コミュニケーションが取れなかった」と報道された。当時の心境は一体どのようなものだったのだろうか――。中村が初めて“真実”を語った。
「正直納得できませんでしたけど…」 中村が初めて打ち明けた報道の“真実”
「記事なので書きたいことを書けちゃいますけど、契約解除の理由がメンタル面というのは全面的に否定します。現地でインタビューも受けていないし、僕のことをよく知らない人は『中村敬斗は後半戦出られなかったからメンタルが折れた』と思ったんじゃないかと思います。複数出ていたので、『なんだ、この記事は』と正直納得できませんでしたけど、サッカー選手は注目度が上がればそれだけいろいろな記事を書かれることもある。気にしなければいいと思っていましたけど、こういう機会をもらったので、間違いなく、120パーセント否定します」
コミュニケーション面では、加入直後から不安はなかった。チームに合流直後からチームメートの家へ食事に行ったり、誕生日パーティーを開いてもらったりと交流を深め、開幕スタメンも勝ち取った。セカンドチームでプレーしている時も、G大阪時代と変わらず2時間居残り練習をしてスタメンへ復帰するためのプロセスを考えていた。
「コントロールしながらでしたけど、ウインターブレイク明けの練習量はすごかったと思います。量より質だと思いますけど、何が足りないかを考えたらシュートやドリブルよりフィジカル面だったので、ジムにいる時間は多かったですね。2部練習の合間にも行っていました。(チームの)練習がスタメンの選手の強度だと、ベンチ組は相当やる必要がありました」
実際、中村の“メンタル”は打ちのめされるどころか、より鍛えられ、現実に打ち勝とうとしていた。努力を重ねることで、掴み取った新天地での挑戦。中村は「メンタルがやられていたらJリーグに帰っていたと思います」と、笑ってみせた。今を見据え、理想は捨てない。何度も現れる大きな壁の先を、中村はただがむしゃらに追い続けている。