遠藤保仁、“特別ではない”632試合目 勝利のために自分のベストを尽くすだけ

特別な日であっても、特別な日じゃない。

それはきっと必ず明日が来るのと同じように。

新型コロナウイルスの感染拡大によって中断を余儀なくされていたJリーグが4カ月半ぶりに再開した、あの日もそうだった。

雨を降らした雲はすっかりと乾き、吹田の空を明るくしていた。スタジアムのスタンドには一人の観客もいない。無観客試合はリモートマッチに呼称を変え、大型ビジョンにはあいさつの言葉を述べる吉村洋文大阪府知事の姿が映し出されていた。

再開初戦がいきなりガンバ大阪とセレッソ大阪の大阪ダービー。そしてスターティングメンバーに名を載せた40歳の遠藤保仁にとって、楢崎正剛を抜いてJ1最多出場となる通算632試合目となるメモリアルゲーム。普段なら沸騰するはずのシチュエーションと現実のギャップの落差に感じるところがあるかと思いきや、当の本人にさしたる意識はない。

632分の1。

「正剛さんを抜いた」認識はあっても、それ以上もそれ以下もない。いつものようにチームの勝利のために自分のベストを尽くすだけ。

ピッチでのウオーミングアップ、熱を上げていく周囲をよそに遠藤は淡々と準備をしていく。股関節を回し、ボールと会話するようにリフティングして、ピッチと足元のフィット具合を計るように軽くドリブルする。またいでみたり、切り返してみたり。コーチやチームメートをつかまえてはパス交換し、最後はゴールにシュートを1本、ポーンと放り込む。蒸し暑さにちょっと顔をしかめながら。

何だろう、楽しそう。
ヤットは言う。

「そうですよ。フリーの時間は遊びながらボールの感覚をつかんでいる、っていう感じです。ドリブルはステップを、パスはダイレクトで出す感覚を確かめるくらいで、それさえできればあとは何でもいいんで(笑)。普段、練習のアップもそんな感じ。試合だからといって、ボールをいっぱい触っておかなきゃとか、ロングを蹴っておかなきゃとか、そういうのも別にないですから」

メモリアルの意識もなければ、スタンドに観客がいない違和感、久しぶりにプレーできる興奮というのもない。いや、それでいい。起伏のないいつもの遠藤保仁が、Jリーグのある日常を映し出していた。

印象は20年前から大きく変わらない

音楽に合わせた整列入場もなく、バラバラに集まってきたガンバのイレブンにスタッフから「632」の文字が入った黒のTシャツが手渡される。記念ユニホームを着た遠藤よりも、周りの方がうれしそうだ。ソーシャルディスタンスを保ったうえでの記念撮影では、中心にいる背番号7も笑っていた。

この光景を傍から感慨深く見つめていた目があった。遠藤より1年長い、21年目の在籍となる橋本篤マネージャーだった。

「記念Tシャツをクラブが用意してくれて、ありがたかったですね、もしないんやったら、自分で用意するつもりでしたけど(笑)。『これレアや』『めっちゃうれしい』『もらっていいんですよね』ってもらった選手の方が喜んでましたね」

遠藤と出会って20年。昔も今も、印象は大きく変わらないという。

「のんびりしていて人懐っこくて、昔は服装とかも全然気にしてないからスウェットでいつもクラブハウスに来て……内面も外見も自然体っていうか、そのままのヤットですよね。でもね、昔からしっかりしているなとは思っていました。ガンバには代表選手がいっぱいいて、サインの人気もそこに集まったりするんですけど、ダメなときは『ごめんなさい』って自分で断っていましたから。そういう意味でもヤットは放っておいても大丈夫やなって」

自然体で、しっかり者で。

中断期間はノーストレス

今回、コロナ禍によって試合にとどまらず、チームトレーニングも休止せざるを得なかった。外出自粛から個別トレ、グループトレと段階的に引き上げていくなかで、遠藤はコンディションをうまく調整したことで大阪ダービーでの先発をつかみ取ったのだと言える。

中断期間をどのように過ごしてきたのか。

鹿児島実業を卒業して1998年に横浜フリューゲルスに入団して以降、20年以上にもわたって大きなケガもなくコンスタントに出場を続けてきた。昨シーズンには日本代表、ACL(AFC チャンピオンズリーグ)や天皇杯など公式戦通算1000試合出場の記録を達成。世界に目を移してもパオロ・マルディーニ、ライアン・ギグス、シャビら一握りのスターしか達成できていない。試合づくしの日々を送ってきたフットボーラーがケガでもスランプでもなく、試合を取り上げられてしまうとなると大きな変化だと捉えていい。しかし遠藤はそれをストレスとはしなかった。

「ノーストレスでしたよ(笑)。すぐに再開はできないだろうと思っていたので、最初の2週間くらいはベタ休みしました。家の炊きたてのご飯が好きなので、ついつい夕食のときに食べてしまって2、3キロ増えたんですよね。だから(J1再開が決まってから)1カ月かけてお米を半分にするとか食事もコントロールして1週間に0.5キロずつ落としていきました。ステイホームも庭に出てマット引いて日に当たりながら子供とひなたぼっこしたり、リフティングしたり、楽しんでやってましたけどね」
朝はこれまでより早く6時半に目覚めるようになり、夜にはグラウンドでのトレーニングに入る前の準備として1時間半ほどのウオーキングを日課にした。

「歩くって意外に楽しんですよ。誰にも会わない夜のウオーキングなんですけど、この場所にこんな家が建ってたんだとか、この道はここにつながってたんだとか、いろんな発見があるんですよ」

何だろう、楽しそう。

サッカーができない状況を、悲観したって仕方がない。日常の変化にも自分なりに合わせていき、ストレスとはしない。

練習後も1時間の走り込み

グループでのトレーニングが解禁となると、遠藤は黙々と走り込んでいたという。

この姿を目撃していたのが橋本マネージャーであった。

「ヤットは結構走っていましたね。練習終わって声を掛けると『1時間くらい走ってた』と言っていましたからね。あと誰も(グラウンドに)いなくなったころ、走っていたのも見たことがあります。人の見えないところでやっているんですよ、あの人は」

チームは6月1日から全体トレーニングを開始。7月4日のJ1再開から逆算して、慌てることなく自分のペースで段々とコンディションを高めていく。遠藤は「1週間ずつコンディションを1割から1割5分上げていくイメージ」で、自分の計算どおりに「90%近く」に仕上げた。良好なコンディションが再開初戦の先発をたぐり寄せた。

橋本マネージャーが感慨深く遠藤を見つめていたのには、もうひとつ理由があった。

闘病生活を送っていた橋本マネージャーの妻が4月、天国に旅立った。遠藤家とは家族ぐるみの付き合いをしてきたなか、J1最多出場記録となる試合を楽しみにしていたという。

「ヤットは忙しいなかでも、ちょくちょくお見舞いに来てくれました。ああいう温かい感じなんですよ、ヤットって。嫁も記録をつくる試合を見たがっていたんでね。だから僕自身もやっぱりうれしい思いがありましたね」

今季開幕戦で「631」に並び、多くの人が待ちわびていた記録更新。

吉村知事のバーチャルキックインを終え、遠藤は悠々とピッチに歩を進めていく。

医療従事者への拍手を送ったあと、アンカーの位置に入る。

時計は18時ジャスト。

乾いた吹田の空に、主審のホイッスルが鳴り響く。

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