【G大阪】遠藤保仁、J1最多632試合出場達成より「ピッチに立つ喜びの方が、断然大きい」…約4か月ぶりJ1再開
◆明治安田生命J1リーグ第2節 G大阪1―2C大阪(4日・パナスタ)
明治安田生命J1リーグは4日、新型コロナウイルスによる中断から約4か月ぶりに再開した。G大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)はC大阪との”大阪ダービー”に先発出場し、J1最多となる632試合出場を達成。今季開幕戦で並んだ楢崎正剛氏(44)=名古屋などでプレー、現名古屋・クラブスペシャルフェロー=の記録を抜き、歴代単独1位となった。試合は1―2と敗れ、ホームでは2003年7月以来、リーグ戦17年ぶりとなるダービーの敗北を喫した。
達成感を上回る感情とともに、遠藤はピッチに立った。楢崎氏の記録に並んだ2月23日の横浜M戦(日産ス)から約4か月。試合前には記念Tシャツを着たチームメートの姿に笑顔を見せたが、久々に感じる公式戦の高揚感がそれを上回った。「(記録より)ピッチに立つ喜びの方が、断然大きい。周りのサポートのお陰だと思って、ピッチに立ちました」。コロナとの闘いの中で奪われていたプレーする喜びが、全身を包んだ。
中断期間を挟み、コンディション調整が難しい中でも、元日本代表MF井手口らライバルを押しのけて先発の座を確保した。試合はJリーグで初となるリモートマッチ(無観客試合)。いつもなら攻撃に転じれば大歓声が上がるホームのスタジアムも、この日はスピーカーから流れる“疑似歓声”のみ。そんな中で攻撃のリズムを上げようと試みたが、後半9分に途中交代に。チームも敗れ「勝てなかった原因は何かしらある。うまく修正したい。プロである以上、勝利を求められる」と悔しさをにじませた。
プロ23年目。試合直前のミーティングで、この日の先発出場を知った際には「記録より、まず先発で出られる喜びの方が大きかった」という。近年は世代交代が進むチーム事情もあり、先発から外される試合も増えた。そんな中でも練習の紅白戦でサブ組に入ると、レギュラー組を圧倒するプレーをみせる。先発としてピッチに立ちたいという“欲”は、今なお若手をも上回っている。
2006年のドイツW杯。フィールドプレーヤーで唯一、ピッチに立てない悔しさを味わった経験などが、40歳になってもなお、試合出場への強いこだわりとして刻み込まれている。「ボールを蹴られることは本当に幸せ。また改めて、試合ができる素晴らしさを実感できた。今後もそういう気持ちを忘れずにやっていけたら」。J1の頂点に立ってもなお、プレーする喜びが、次の1試合へと遠藤を駆り立てていく。
◆遠藤 保仁(えんどう・やすひと)1980年1月28日、鹿児島県・桜島生まれ。40歳。3兄弟の三男で、次男・彰弘氏も横浜Mなどで活躍。鹿児島実高を経て98年に横浜フリューゲルスへ入団。京都を経て2001年からG大阪。日本代表として06年ドイツ大会から3大会連続でW杯のメンバー入り。国際Aマッチ出場152試合は歴代最多で、昨年8月にカップ戦も含む公式戦1000試合出場を達成。178センチ、75キロ。家族は妻と4子。長男はG大阪ジュニアユースに所属。