一生忘れません… 短い在籍で“濃厚な記憶”を残して去った外国人選手たち〈dot.〉

1993年の開幕以来、数々の興奮と感動を生んできたJリーグの歴史の中で、大きな役割を果たしたのが、多士済々の外国人選手たちだった。その中には、ジーコやストイコビッチといった長く日本で生活して日本サッカーの成長・発展に貢献したレジェンドたちがいる一方、短期間ながらも強烈なインパクトを残した選手たちも多い。

その衝撃度の強さで最初に思い出されるのは、“浪速の黒豹”の異名をとったエムボマだろう。1997年にG大阪に加入すると、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)との開幕戦で伝説のスーパーボレーで衝撃デビューを果たすと、その後も圧倒的な身体能力を武器に「強く、速く、上手く」ゴールを奪い続け、リーグ戦28試合出場で25得点をマーク。得点王とベストイレブンを獲得した。翌年の夏にイタリアに移籍し、G大阪でのプレー期間は1年半と短かったが、その爆発力は間違いなくJ史上ナンバーワンだ。その後、カメルーン代表として2002年の日韓W杯に出場し、2003年からは東京V、神戸でもプレーしたが、怪我の影響で本来のプレーを披露することはできずに2005年に引退した。

同じG大阪にはもう一人、クラブに史上初のリーグ優勝をもたらした男、アラウージョもいた。2004年に清水に入団するも、初の海外でチーム戦術にも馴染めずに本領を発揮できなかったが、翌2005年にG大阪へ移籍すると、大黒将志、フェルナンジーニョとの強烈なトライアングルを結成した中で、足元の細かい技術と縦へのスピード、そして高精度の左足シュートで、夏場に入ってゴールを量産。リーグ戦33試合出場で33得点を挙げ、2位のワシントンに11点差をつけて得点王を獲得。家庭の事情とブラジル代表としてのW杯出場を目指して退団したが、“万博に1年だけ舞い降りた天使”としてサポーターからは今でも愛されている。

インパクト指数で言えば、先ほど名前が挙がったワシントンの「強さ」と、同じく浦和時代に得点王に輝いたエメルソンの「速さ」も圧倒的だったが、ワシントンが計3年(東京V、浦和)、エメルソンが計5年半(札幌、川崎、浦和)とプレー期間が長く、今回の「太く短く」のテーマからは逸れる。

その意味では、2005年に半年だけ在籍したドイツ出身のクロアチア人FW、“赤きサムライ”マリッチだろう。中東に移籍したエメルソンの代役として2005年夏に浦和に加入。決して多彩なタイプではなかったが、常に手を抜かない“熱い”プレーを続け、ペナルティエリア内では優れた得点感覚を発揮。リーグ戦で出場13試合8得点の成績を残した後、天皇杯で決勝戦を含む全試合でゴール(5試合6得点)を決める爆発ぶりで、浦和の25年ぶりの天皇杯制覇に貢献した。すでに退団が決まっていたため、試合終了後には国立競技場を赤く染めたレッズサポーターから感謝の「マーリッチ!」コール。その大合唱にマリッチが涙ながらに応えたシーンは、実に感動的だった。

その浦和でリーグ戦開幕直後に退団した“野獣”エジムンドのインパクトも強烈だった。ブラジルの名門ヴァスコ・ダ・ガマやセリエAのフィオレンティーナで活躍し、ブラジル代表として1998年のフランスW杯にも出場した世界的な実力者。2001年の10月にJ2降格の危機にあった東京Vに加入すると、すぐさまドリブル、パス、シュートとすべての面で別次元のプレーを見せてJ1残留に貢献。翌2002年も抜群のテクニックで多くのチャンスを創造し、リーグ戦出場26試合で16得点をマークした。この頃は心配されていたピッチ内外での問題行動もなかったが、高額年俸がネックとなって浦和に移籍すると前述した通り、ナビスコ杯2試合に出場したのみでリーグ戦未出場のまま日本を去った。

その他、昔を遡れば、1993年のセカンドステージから市原に加入し、1年半の在籍中にリーグ戦通算55試合で37得点を決めた“オッツェ”ことオルデネビッツ、横浜マリノス在籍2年でリーグ戦通算47試合34得点、8試合連続得点のJ1記録も持つスペイン人FWサリナス、異次元の左足の強烈フリーキックを武器に横浜フリューゲルスで2年間プレーしたエドゥー、さらには東京Vで記念すべきJリーグ第1号ゴールを決めたオランダ人FWマイヤーなどが「太く短く」の外国人として思い出される。

近年では、スペイン代表の世界一メンバーであるビジャが、1シーズンのみの短い期間ながらも圧巻のシュートテクニックで強烈なインパクトを残して引退した。コロナ禍の中で再開の目処がつかないJリーグだが、再び世界サッカーの移籍市場が正常化した中で、新たな助っ人たちの来日と、鮮烈な活躍を期待したいところだ。

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