宇佐美貴史、バイエルン移籍「すがすがしいくらいの失敗」に後悔なし…記者が見ていた

日本人が世界一に近づけるかもしれない―。そんな夢を見せてくれたのが、2011年にG大阪からドイツ1部のバイエルン・ミュンヘンへ移籍したFW宇佐美貴史だ。17歳でプロデビューした“G大阪の至宝”は、19歳で欧州屈指のビッグクラブに引き抜かれた。

移籍会見での言葉は、野心に満ちていた。「争いは過酷ですが、学ぶことは多い。技術は通用するんじゃないかと思っている」「最終的にはバロンドール(欧州最優秀選手賞)という目標を持っているし、バイエルンで主力になれればそういうチャンスはある」。欧州の中堅クラブからもオファーを受けたが、最も難しい挑戦を選んだ宇佐美は、可能性の塊だった。

シーズン前の欧州の強豪クラブが集まる親善試合・アウディカップのバルセロナ戦(7月27日)。先発のチャンスを与えられると、スペイン代表MFイニエスタ(現神戸)らを擁したバルセロナ相手に、スルーパスで決定機を作り出すなどインパクトを残した。試合後にはバルサの次期司令塔と目されていた当時20歳のMFチアゴ(スペイン代表、現バイエルン)とユニホームを交換。「技術は通用した。ユニホームはイニエスタを狙っていたんですけど」と語るなど、手応えを得ているように見えた。

だが、あるバイエルン関係者は「今日の宇佐美はすごくよかった。でも、ここはただのクラブじゃない。いくらいい選手でも簡単には成功できないんだ」と話していた。バイエルンの方言に「MIA SAN MIA」というクラブを体現する言葉がある。「自分たちは自分たち」という意味だ。ドイツで最多優勝を誇る名門には「俺たちは特別だ」という強烈な自負が随所に浸透していた。

宇佐美はバイエルンで結果を残せなかった。その後もドイツの3クラブでプレーしたが、「(ドイツ挑戦は)すがすがしいぐらいの失敗でした。ただ、バイエルンを選んだことに後悔はない」と語っている。復帰したG大阪で、鮮やかで人を引き付ける彼のプレーを見ると、何が足りなかったのか、といつも思う。私が取材で選手に技術以上のものを探すようになったのは、彼の挑戦からだ。

数多くの日本人選手が欧州に渡り、強豪で結果を残す選手も出てきたが、バイエルン級のビッグクラブで、エースで活躍した選手はまだいない。いつか19歳の宇佐美のようなギラつきを見せ、特別なクラブの“特別な選手”にのし上がる選手が出てくるだろう。その時が日本サッカー界にとって次の扉が開く瞬間になると思っている。

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