なぜ日本代表DF昌子源は鹿島ではなくガンバ大阪移籍を決意したのか?「成功か失敗かを決めるのは僕」

懐かしさよりも新鮮さ。ワクワク感よりもドキドキ感。13年ぶりに袖を通した、青と黒を基調としたガンバ大阪のユニフォームに、昌子源(27)はちょっぴりはにかんだような笑顔を浮かべた。

「ガンバ大阪に帰ってくることになりました。サポーターの方にも『お帰りなさい』と言っていただきましたし、いろいろな意味で嬉しさというか、ちょっと高ぶっているところがありますね」

フランス1部リーグのトゥールーズFCから、ガンバへ完全移籍することが発表されたのが3日。一夜明けた4日に新天地へ合流し、5日には本拠地のパナソニックスタジアム吹田内で記者会見に臨んだ昌子は、再び日本へ戻ってきた最大の理由を回復が長引いている右足首の捻挫に帰結させた。

「トゥールーズのことを悪く言うつもりはありませんけど、メディカルの方となかなか上手くいかず、リハビリなどをしてもちょっと長く時間がかかってしまった。サッカー選手である以上は一日でも早くけがを治して、サッカーをしたいという思いがあって日本へ帰る決断を下しました」

8年間在籍した鹿島アントラーズから2018年の年末にトゥールーズへ移籍した昌子は、シーズン途中の加入にもかかわらず、年明けの2019年1月から公式戦で20試合続けて起用された。さらなる飛躍が期待された今シーズンは、開幕前に左太ももを負傷していきなり出遅れてしまう。

初出場を果たした昨年9月25日のアンジェSCO戦で、今度は右足首を捻挫。復帰が間近だった同11月にも再び同じ箇所を痛めてしまい、今シーズンはわずか1試合、45分間だけのプレーにとどまっていた。トゥールーズからは慰留されたが、昌子の決意が覆ることはなかった。

「けがをしていた状況でそう言われたことは本当に嬉しかったですし、本当にかなり迷いましたけど、そういったことをこのけがは超えていた。いろいろな意見がありますけど、早いのかどうかを決めるのは僕ですし、成功だったのか失敗だったのかを決めるのも僕なので」

もっとも、ギリギリまで逡巡した分だけ、Jクラブ勢の陣容もほぼ固まっていた。昌子をして「恩義を感じている」と言わしめるアントラーズは、新たなセンターバックとしてリオ五輪代表候補の奈良竜樹を川崎フロンターレから獲得。昌子の移籍後は空き番だった「3番」を託している。

昌子自身も「タイミングとかもいろいろあって」と会見で明かしたように、古巣アントラーズへの復帰も模索していたのだろう。そうした状況でお互いのニーズが合致し、トントン拍子で交渉が成立したのが、昌子がジュニアユース時代を過ごしたもうひとつの古巣ガンバだった。

昨シーズンの後半に機能した3バックを継続しているガンバだが、右ストッパーが固定されない状況を解決できていない。森保ジャパンに招集されたキャプテンの三浦弦太、韓国代表のキム・ヨングォンに実績豊富な昌子が加われば、強さと高さ、巧さの三拍子がそろった最終ラインが完成する。

「ガンバも僕のなかでは大切なクラブですし、この恩を大事にしたいと思って受けさせていただきました。8年もいれば鹿島の血が多くなりますけど、ガンバにも少なからずお世話になっているので、自分のなかでガンバの血も蘇らせたい。ジュニアユースのときから青黒のユニフォームに憧れて、米子北高校へ行ってもそれを着て自慢していたぐらいですから。トップチームでもう一度そのユニフォームで試合に出て、いただいた背番号『3』をいろいろな方に自慢できるようにしていきたい」

いい思い出ばかりではない。いま現在もエースストライカーとして君臨する宇佐美貴史と同期だった昌子は、ジュニアユース時代はフォワードだった。しかし、当時から「怪童」と呼ばれ、将来を嘱望された宇佐美に才能の差を何度も見せつけられ、中学3年の途中でガンバを退団している。

家族を含めた周囲の配慮もあって米子北高へ進み、サッカーを続けた昌子は在学中にセンターバックに転向。秘められていた潜在能力の高さがアントラーズに見そめられ、入団4年目の2014シーズンから主力に定着。日本代表にも選出され、ロシアワールドカップでも大きな存在感を放った。

「正直に言いますと、悔しい思いしかしていない。でも、それがよかったのかな、と」

多感だったジュニアユース時代をこう振り返る昌子は、米子北高で、アントラーズで、そしてトゥールーズで、心の片隅にガンバへの思いを抱き続けていたと明かしている。

「負けをあっさりと認めたという点で、言うたら挫折ですよね。反骨心じゃないですけど、あのときとは違うぞ、というのは見せたいと思っています」

アントラーズ時代は秋田豊さんや岩政大樹さんといった、常勝軍団の歴史を担ったセンターバックの先輩たちから「顔と名前とオーラで守れ」と、いま現在も大切にする哲学を叩き込まれた。

「顔と名前とオーラで守れということは、言うたら実力を認めさせているわけじゃないですか。それをもう一度ガンバでも、敵やったらやりづらいと思わせて、味方やったら心強いと思わせて初めてできることだと思うので、早く復帰してそれらをすべてそろえられるようにしたい」

トータルで21試合しか経験していないものの、トゥールーズでは未知の身体能力をもつ相手フォワードたちと対峙しながら、新たな感覚を身長182cm体重76kgの身体に刻み込んだ。
「根本的に技術じゃないところがあるじゃないですか。単純なパワーとか跳躍力とか。そういう相手に勝つための方法をすごく考えたし、実際にプレーで示せたこともあれば、失敗したこともある。そうしたトライをそのまま日本でやるかと言えばまた別の話になりますけど、日本には日本のよさがあるなかでハイブリッドというか、融合していければより強力なセンターバックになれるんじゃないかと」

ガンバへの移籍にあたっては、アントラーズ時代に背中を追い続けたレジェンドで、2018シーズン限りで引退した小笠原満男さんをはじめとする先輩たちに相談している。会話の詳細は明かせないとしながらも、昌子は「背中を押していただきました」と小笠原さんたちに感謝する。

「鹿島、鹿島と言ったらガンバにも、逆に鹿島にも失礼だと思うので。もうガンバ大阪の昌子源になったので、これからはガンバのために身体を投げ出すだけですし、プレーはもちろんのこと、優勝する雰囲気みたいなものを僕からも発信していきたい。チームの目標でもあるタイトル獲得の手助けになるよりも、自分が引っ張っていく覚悟で来たので。年齢的にもそうですし、そうすることは1年目だろうが1日目だろうが、まったく関係のないことだと思っているので」

7位に終わった昨シーズンからの捲土重来を期す宮本恒靖監督からは、笑顔で「待っていたよ」と歓迎された。全幅の信頼を寄せるガンバのメディカルスタッフたちと相談を重ね、新天地で高ぶる気持ちとのバランスを上手く取りながら、まずは右足首を完治させることに全力を注いでいく。

リンク元

Share Button