【G大阪】昌子源、五輪OA枠に意欲「国のため、ガンバのためにやりたい」

フランス1部・トゥールーズからG大阪に加入した日本代表DF昌子源(27)が5日、大阪・パナソニックスタジアム吹田で加入会見を行い、オーバーエージ(OA)候補に挙がる東京五輪出場へ意欲を示した。日本復帰を決断した理由や、中学時代に過ごしたG大阪への思い、古巣・鹿島への感謝などを約40分にわたって告白し、新天地での活躍を誓った。

1年でのJ復帰は、決して世界と戦う可能性を閉ざす選択ではない。5か月後に迫った東京五輪への意欲を問われた昌子は「生きている時に東京で五輪はないと思う。出られたら、しっかり国のため、G大阪のためにやりたい。もちろん目標ですけど、チームあっての代表。チームで結果を残す。それが一番」と話した。かつてはOAの有力候補に挙げられていた日本屈指のセンターバック。G大阪でトップフォームを取り戻した先に、大舞台を見据えていた。

18年ロシアW杯での活躍を経て、昨冬にトゥールーズへ移籍。加入から半年間はレギュラーとしてプレーしたが、その後は右足首痛に苦しんだ。リハビリではトゥールーズの医療スタッフも全力でサポートをしてくれた、と前置きした上で「合わなかった。このけがを治すため、日本に帰る決断をしました。1年が早いか遅いか、決めるのも僕ですし、成功か失敗かを決めるのも僕」。今後のサッカー人生も考え、自身が希望する治療等が可能な日本復帰を望んだ。

育ててくれた鹿島への思いは強かったが、編成等のタイミングが合わず、獲得を熱望したG大阪入りを決断。「鹿島に恩義がある、というのは正直なところ持っていますけど、もうガンバの昌子源になった。これからはガンバのために、体を投げ出すだけ」。15年以来タイトルから遠ざかっているG大阪に、全てをささげる覚悟だ。

かつてFWだったG大阪ジュニアユース時代には、同期のFW宇佐美のプレーに「正直、逆立ちしても勝てない」と挫折を味わった。今回は「あの時とは違う俺だぞ、というところを見せたい」。背番号は鹿島や日本代表でも背負った3番。欧州での挑戦に一区切りはつけたが、選手としてのピークを迎えるのはこれからだ。

◆昌子 源(しょうじ・げん)1992年12月11日、神戸市生まれ。27歳。フレスカ神戸でサッカーを始め、G大阪ジュニアユースを経て米子北高へ進学。11年に鹿島入り。対人守備、スピード、フィード力を備えたセンターバック。18年ロシアW杯では日本代表の主力として16強進出に貢献。19年1月にフランス1部トゥールーズに移籍。フランス1部19試合0得点、J1通算157試合8得点、国際Aマッチ18試合1得点。180センチ、73キロ。

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