遠藤保仁、公式戦1000試合出場。定位置を失っても新たな輝き方。

世代を超えて知られる童謡『大きな古時計』。移りゆく時の流れに抗えない悲しい定めをテーマにしたこの曲にこんな一節がある。

100年休まずに、チクタクチクタク……

日本を代表するプレーメーカー、遠藤保仁もまた、22年間休まずに、その時を様々なピッチ上で刻み込んできた。

8月2日のヴィッセル神戸戦で到達したのは、日本人選手としては前人未到となる公式戦1000試合という大記録である。

日本代表では歴代最多の国際Aマッチ152試合を記録し、昨年はフィールドプレーヤーとして初のJ1通算600試合に出場。数々の金字塔を打ち立ててきた遠藤が、一貫して公言してきたのは「数字には興味がない」という遠藤らしい言葉だった。

そんな“記録男”が、1000試合到達を目前にした7月下旬、率直な胸の内を明かすのだ。

「色々な監督とのめぐり合わせも大きかったし、周りの選手に助けられた部分もいっぱいある。ただ、ここまで積み上げられたのは嬉しくも思いますし、凄い記録だなと思う」

かつての盟友・明神もお手上げ気味。
凄い記録――。図らずも、かつてガンバ大阪で遠藤とボランチでコンビを組んだ明神智和も、遠藤の大記録達成を前に、同じ言葉を口にしていた。

7月28日のJ3でガンバ大阪U-23と対戦した長野パルセイロ。パナソニックスタジアム吹田での試合終了間際にピッチへ送り出された明神は、J1からJ3までの全カテゴリーと日本代表などを合わせれば公式戦700試合以上に出場してきたツワモノだ。

そんな41歳の鉄人でさえ「1000試合と言われても想像できないというか、ピンと来ない。比べる相手が日本にいないのが、凄い記録ですね」とお手上げ気味の笑顔を見せていた。

レギュラーを失った状況の中で。
しかし、過去に積み上げてきた記録と違うのは、現在の背番号7の立ち位置だ。常にチームの中心としてピッチ上でキックオフの笛を聞き、ほとんどの試合でタイムアップの瞬間を迎えていた遠藤だが、今シーズンは、世代交代の荒波の中で懸命にもがき続けている。

潮目がガラリと変わったのは5月18日に行われたセレッソ大阪との大阪ダービーだった。リーグ戦で7試合勝利から遠ざかっていたチームは3バックをベースとする新布陣に、福田湧矢や高尾瑠ら若手を抜擢。遠藤は後半36分からピッチに送り出されたものの、その後のリーグ戦で先発したのはわずかに2回。レギュラーの座を失った格好である。

遠藤はこう言う。

「実力の世界なので、監督がそう思えば、そういうこと。恒さんが監督である限りは、毎試合出ているメンバーがその時のベストということ。僕もそこに食い込んで行けるようにしたい」

宮本監督は「切り札」として起用。
かつては1秒の狂いも見せない精密な時計さながらに、正確なパスを繰り出してきた遠藤ではあるが、やはり時の流れは残酷だ。

途中出場した7月13日の清水エスパルス戦では投入直後のこと。全盛時の遠藤ならば、まず目にすることがなかったショートパスのミス。自らのミスで招いたピンチに「ヤベッ」と言わんばかりに泥臭く体を張る場面も少なくなくなった。

走力と強度を重視した現在のガンバ大阪のスタイルは、遠藤のストロングポイントと合致しなくなり始めているのは事実だが、それでも宮本恒靖監督は、「切り札」としての遠藤をこう位置付けている。

「ガラッとゲームを変えるとか、今ここまでボールを運べているから、最後の一刺しがしたいという時のオプションを持っているのは大きい。存在は大きいですよ」

松本山雅戦で「一刺し」のパス。
その象徴が6月29日の松本山雅戦だった。先発でピッチに立った遠藤は1対1で拮抗していた展開で、倉田秋の決勝点をお膳立て。まさに「一刺し」するパスで、チームを勝利に導いた。

一方で、大記録を達成したヴィッセル神戸戦は対照的な試合展開だった。2点をリードして迎えた後半19分、遠藤は、1000試合目のピッチに立った。

理想的な展開での投入に指揮官は「ボールを握りながら、また試合をしっかりと時計の針を進めるという狙いがありましたし、そんな中で、相手陣内まで押し込んだ中で、決定的なパスを期待して起用した」(宮本監督)

昨季、今野が口にしていたこと。
しかし、明らかな采配ミスが試合の流れを一変させてしまう。

互いに攻撃を持ち味とする矢島慎也との2ボランチも悪手だったが、前線で「ロストマシーン」と化していたアデミウソンと、バテ気味だった宇佐美貴史の2トップが守備面ではチームの足かせになってしまった。

ボールを握るどころか、ヴィッセル神戸の勢いに飲まれた展開で、遠藤は低い位置でのプレーを余儀なくされ、守備で苦しい対応を強いられていた。

昨年終盤、破竹の9連勝を見せていた当時、遠藤と絶妙なコンビを見せ、中盤を制圧した今野泰幸は、実に示唆的な言葉を口にしていた。

「ヤットさんは、周囲さえよければまだまだ輝くんですよ」

遠藤の戦術眼と依然健在な「一刺し」を生かすならば、周囲にハードワーカーを揃えることは不可欠。ヴィッセル神戸戦で露呈した教訓である。

「18歳の頃と何も変わらない」
1000試合の節目を勝利で飾れず、悔しさを隠さなかった背番号7だが、こだわりを見せるのは、記録ではなく、レギュラー奪取だ。

「スタメンで出たいというのは18歳の頃と何も変わらないですし、ただ単に数字を重ねていっても、という感じはする。もちろん先発から出たい」

マイペースで淡々と、好パスを繰り出してきた全盛時の姿はもはや過去のものかもしれない。ただ、39歳を迎えてもなお、試合に飢える遠藤が時に泥臭く、時に不恰好にピッチを駆ける姿もまた、観るものを惹きつける。

いまはもう動かないその時計……。

悲しい結末に終わる名曲とは異なり、日本屈指のプレーメーカーは、これからもその時を刻み続けていく。

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