川崎相手にシュート1本だけの現実。ガンバのDNA、未来は見えているか。

こうも立場が変わるものだろうか。

11月18日に等々力陸上競技場で行われた第32節・川崎フロンターレ戦でのことだ。ガンバ大阪はシュート25本を浴び、0-1で敗れた。スコアだけ見れば僅差だが、この試合のガンバのポゼッション率は38%。相手に60%以上ボールを握られて、ほぼハーフコートマッチの展開に。ガンバのシュートはわずか1本だけだった。

川崎が披露したパスサッカーは、かつてガンバが追求したスタイルでもある。

ボールを回すことで相手の体力を奪いつつ、緩急をつけたパスで打開していく。相手を翻弄して、もてあそぶような戦い方はガンバの真骨頂だった。しかし、この日のガンバは川崎の鋭い出足にもたついてボールを奪われる。相手をかわしたり、いなす余裕すらなかった。

試合後、長谷川健太監督は「今日は勝つ可能性がほとんどなかった」とぼやいたが、長らくガンバの試合を取材してきて、これほど一方的な展開となった試合は観たことがない。早くに監督交代が発表され、優勝争いもなく、ACLにも届かない順位。モチベーションを上げようにも難しいことは容易に理解できるが、それにしても屈辱的な内容である。

リーグ初優勝、ACL制覇を成し遂げた超攻撃スタイル。

 今からさかのぼること12年前、2005年のリーグ戦最終節。ガンバは同じ等々力で川崎に打ち勝ってリーグ初優勝を果たしたのだが、あの時から立場は完全に逆転し、チーム力は当時と比べて大きく開いてしまった。

ガンバらしい攻撃的サッカーは、どこにいってしまったのか。

ガンバは、リーグ初優勝後も、2008年にはACL制覇を達成。2000年代中盤から後半にかけて黄金期を迎えた。“3点取られても4点もぎ取って勝つ”を地で行くような戦いぶりはファンから喝采を浴びたが、その一方で冷ややかな視線も向けられていた。

攻撃的で面白いけど勝てないサッカーだ、と。

西野監督の方針と戦略的強化がマッチした。

 それでもガンバの選手たちはそのスタイルをクラブのDNAとして残すため、タイトルを本気で狙いに行った。優勝すれば周囲の揶揄も封じることができる。そもそも守備を固めるだけのサッカーはファンの心をつかむことができないし、日本サッカー界にとってプラスに働かない。何よりもやっている自分たちが面白くない。その意識が根底となって、ガンバの攻撃スタイルは育まれていった。

攻撃的サッカーが開花したのは、西野朗監督(当時)の方針と戦略的強化がマッチしたのも大きい。西野監督は一定の方向性を示しながらも選手の個性を尊重。彼らが伸び伸びプレーできる環境を与えた。

また選手補強もブレることなく、終始一貫していた。外国籍ストライカーについては日本サッカーを経験し、かつ移籍金が掛からない選手をメインにスカウティングした。アラウージョ、マグノ・アウベス、バレー、ルーカスらは、いずれも大きな仕事をやり遂げた好例である。

その一方で日本人選手は泥臭い仕事ができる選手、例えば渡辺光輝、明神智和、加地亮らを獲得してバランスを整えた。強力な外国人FWと中盤の質の高い日本人選手の融合によって、攻撃的サッカーを完成させていったのだ。

セホーン体制でJ2降格、長谷川体制での立て直し。

 しかし、西野体制が10年の節目を迎え、ひとつの時代を終えるとチームビルディングの指針を失い、迷走した。

西野監督退陣後、2012年に招聘したセホーン監督はカウンターサッカーにかじを切ろうとしたものの、チームからの反発やライセンスの問題で、改革案自体が頓挫。彼らが3月に退陣するとクラブは従来のパスサッカーに戻そうとしたが、沈滞した流れを取り戻すことができず、その年にJ2降格した。

翌年から就任した長谷川監督は、失点が多かった守備を組織立たせるように守備練習を重ねた。守備ブロックを作り、サイドアタックで攻めるサッカーを徹底したのだ。J2では個々の選手の力が際立ったこともあり、優勝して1年でJ1復帰を果たす。

堅守速攻にシフトしたクラブにDNAは残っているか。

 そしてJ1の舞台でもガンバはそのサッカーを継続した。

堅守速攻をベースとしたスタイルでガンバは勝星を重ね、2014年J1優勝、ナビスコ杯、天皇杯も獲り、3冠を達成した。59得点と以前ほどの爆発力こそひそめたものの、31失点と2005年以降の1シーズン制になってからはチーム最少失点となり、長谷川監督のサッカーこそが新たなスタイルと称賛された。

しかし今思えば、この時から徐々に攻撃的サッカーのDNAが失われた気がする。

橋本英郎、山口智、加地亮、二川孝広、明神智和らが移籍してチームを去った。今、西野時代のスタイルを知る選手は遠藤保仁と藤ヶ谷陽介しかいない。

現主力の年齢を見ても、時代は移り変わっている。2005年当時、現在日本代表に名を連ねる井手口陽介は9歳、三浦弦太は10歳、倉田秋は17歳、東口順昭は19歳だった。倉田は2008年のACL優勝を経験しているとはいえ、彼らのほとんどが当時のスタイルを肌で知らないのだ。

この状況下で「ガンバの攻撃スタイルの復活を」と選手は口ぐちに言うが、果たして来年以降、そのスタイルを復活できるのだろうか。新監督の求めるスタイルにもよるが、もしクラブが方針を示さず、遠藤がクラブを去る時が来た際、おそらくそのスタイルはもう“歴史”として語られるだけになる。

厳しいかもしれないが、中途半端なサッカーのままシーズンを戦ったツケはいずれ回ってくる。チームスタイルを再びどう構築するのか――。その定義から模索するのは、J2から這い上がる時以上に厳しい道になるかもしれない。

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