サッカー界に息づく教え 鹿実の名将・松沢隆司さん悼む G大阪・遠藤「あの時代があったから今の自分がいる」

高校サッカーの鹿児島実業高を40年以上にわたって率いた名将の松沢隆司(たかし)さんが、8月11日に76歳で亡くなった。「鹿実(かじつ)」を全国高校選手権で2度の優勝、3度の準優勝に導き、多くの名選手を育てた。日本代表としてワールドカップ(W杯)3大会を経験した遠藤保仁(37)=G大阪=と、同校が全国高校選手権で初めて決勝に進んだ時の主力で、現在は宮崎産業経営大監督の笛真人氏(44)が産経新聞の取材に応じ、恩師をしのんだ。(大宮健司)

献身的プレーの原点

「先生が築きあげてきたものは計り知れない。あの時代があったから今の自分がある」と遠藤は振り返る。2010年南アフリカと14年ブラジルの両W杯では、冷静なパスと豊富な運動量を武器に守備的MFとして活躍した。「先生には『自分が犠牲になることで周りがいいプレーを選択できる』と、ずっと言われていた」と遠藤。持ち味である献身的なプレーの基礎は高校時代につくられた。

遠藤は3人兄弟の末っ子。兄2人も鹿実の選手で、子供のころから松沢さんと面識があった。高校時代の3年間は厳しい指導を受けたが、卒業後は遠藤が古里の鹿児島で展開するサッカー教室に顔を出したり、日本代表の試合を観戦に訪れたり…と交流。会えば「体は大丈夫か」と温和な笑顔でベテランの域に入った遠藤の体調を気に掛けていたという。

気軽に声をかけてくれる恩師の人柄を、遠藤は「先生という感じではなく、普通のおっちゃん」と評する。

一方で「プロや日本代表に輩出した選手の数は全国で数本の指に入る。日本サッカーの土台になる選手をたくさん育ててきたのはすごい」と敬意を表した。

名門育成「心を鍛錬」

松沢さんは1966年に当時は全国的に無名だった鹿実の監督に就任。78年度に全国高校選手権初出場、95年度に初優勝。笛氏は同校が決勝に初めて進んだ90年度の主力だった。一期先輩にJ2大分監督の片野坂知宏氏(46)、後輩に元日本代表の前園真聖(まさきよ)氏(43)らがいる。

笛氏は監督就任16年目の宮崎産業経営大での指導に、松沢さんの教えを生かしている。「伝統は崩さず、面白いものを柔軟に取り入れる能力があった」と笛氏。当時は練習中に水を飲まないなど非科学的な練習がまかり通っていた時代。鹿実にもその名残はあったが、松沢さんは新しいものを取り入れようと常に勉強していた。笛氏の卒業後にブラジル人コーチを招いたのもその一環だ。

笛氏によると、松沢さんは「心をつくる」ことを大事にしていたという。滝に打たれたり、般若心経を唱えたり…。そういった「修行」はサッカーと無関係に思えるが、「心の鍛錬」として行っていた。

普段の生活や練習では、チームのために行動することを徹底してたたき込まれた。笛氏は「社会に出てからも通用する『人間力』が鍛えられた」と述懐する。

名刺代わりに焼酎

全国的に無名な時代は松沢さん自らがサッカー部のバスを運転して全国に遠征した。笛氏も新潟や静岡を訪問。松沢さんは名刺代わりに鹿児島名産の焼酎を携え、名門校へも飛び込んでいったという。

Jリーグの広島でプレーした笛氏は引退後、松沢さんと同じ指導者の道を進み、大学の監督としてJリーガーも輩出した。「時代が違うから全部はまねできないが、今に通じる学ぶべき点は多い」と笛氏。松沢さんの指導は教え子を介して生き続けている。

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