“ケンカ番長”井手口陽介の成長記。遠藤のパス、今野の動きを盗んで。
「あいつ、すげぇな」
オーストラリア戦の帰り、ファンやサポーターが井手口陽介のことをそう口々に語っていた。鋭い出足で相手のボールを噛みつくように奪い、攻撃では勝利を決定づける得意のミドルシュートを披露した。まさにヒーロー的な活躍で、日本をロシアW杯へと導いたわけだが、彼はいきなりポンとその試合に出て、輝いたわけではない。
初めて井手口を見た3年前から、彼はただ者ではない雰囲気をプンプンと発していた。
井手口から初めて“違い”を感じたのは、AFC U-19選手権ミャンマー2014に出場した時だった。エース南野拓実を擁するU-19日本代表に井手口は18歳で招集され、川辺駿や坂井大将とボランチのポジションを争っていた。初戦の中国戦は後半から出場すると、続くベトナム戦ではスタメン出場を果たした。
その試合、井手口は高温多湿の中でほとんど止まることなく走り回り、ロスタイムにゴールを決めた。決勝トーナメント進出をかけた韓国戦でもスタメン出場して活躍。短期間でチームにとって欠かせない選手になったのである。
当時はプロ1年目ということもあってかプレーに荒さはあったが、その頃から今に通じる凄みを見せていた。センターバックでプレーしていた中谷進之介(現柏)は「あいつがあんなに走る選手とは知らなかった。暑さの中、すごい運動量だった」と、この頃から周囲の選手を驚かせるリミットレスの体力を誇っていたのだ。
また、味方に出すパスも丁寧だった。
“どこかで見たことあるようなパスだな”と思って、井手口に聞いてみたことがある。すると、こんな答えが返ってきた。
「ヤットさん(遠藤保仁)と今さん(今野泰幸)がいるのはすごく大きいですね。練習中から細かく、1本1本のパスを相手が受けやすいように考えて出しているんで、それを間近で見て、自分も意識しています。運動量は、みんなが疲れている時に自分が走ったら負担を減らせると思っているし、セカンドボールを拾ったり、球際を厳しくいくのと同じように、そこは誰にも負けたくない気持ちでやっています」
井手口の持ち味の素地は、この頃からすでに築かれており、彼自身もそれを意識していたのだ。
それと同時に、井手口はプロの高い壁にぶち当たってもいた。
ガンバでポジション争いを繰り広げるボランチの相手は遠藤、今野という日本代表クラス。ガムシャラにプレーするだけでは試合出場がかなうはずもない。2014年はリーグ戦出場なし、2015年はリーグ戦わずか8試合の出場に終わった。
それでも2015年シーズン、手応えを掴む試合がひとつだけあった。
2016年元日の天皇杯決勝、米倉恒貴の負傷交代により前半12分から出番が回ってきた時のことだ。ガンバが1点リードした中で、浦和の猛攻撃に対して井手口は中盤で見事なまでにボール回収を遂行し、チームを優勝に導いた。
「走って、守備してただけでしたけど、相手の攻撃を封じたのは自信になりました」
井手口は、そう言って優勝の喜びをかみしめた。
その井手口のプレーを高く評価したのは、今野である。この試合ではサイドバックのポジションから井手口の動きを見ていたが、「貴史(宇佐美)とともに陽介が将来のガンバの中心選手になるのは間違いない」と能力を高く評価し、将来性に太鼓判を押していたのだ。
その勢いに乗って、井手口はリオ五輪日本代表にもこの世代最年少の19歳ながら選出された。
井手口が出場しなかった初戦ナイジェリア戦はチーム全体が球際や攻守の切り替えの脆さが出たが、井手口は2戦目のコロンビア戦でスタメン出場すると“らしさ”を発揮し、チームも2-2の引き分けに持ち込んだ。
手倉森誠監督は「井手口はこういう苦しい時にこそ力を発揮できる選手。非常に気持ちが強いからね。走って奪って仲間を助けてくれるので、一番若いけど頼りにされている選手だと思う」と、井手口を高く評価していた。
井手口に「ケンカ番長」というニックネームをつけたのは誰あろう手倉森監督だが、武闘派は世界の舞台でこそ力を発揮するということを見抜いていたのかもしれない。
しかし井手口自身はグループリーグ敗退が決まった後、悔しさを噛みしめていた。
「メダルを目指していたんで、それができなかった。自分のプレーも周囲をうまく使えるようになれれば、もっと違う展開ができたと思う。もっとできたかなと思うけど、これが今の自分の実力だと思います」
この時、井手口が反省として挙げていたのが、攻守のつなぎでのプレーだった。
ボールホルダーにアプローチをかけて、奪うことはできている。しかし奪った後、次の攻撃につながる展開のパスを出せずスローダウンしてしまい、チャンスにつなげることができないケースがあった。
展開力とつなぎのパスの精度―――。
これはガンバ大阪の長谷川監督から指摘されていた部分でもあったのだ。
リオ五輪後、こつこつと課題克服に取り組みつつも、思い悩むこともあった。だが、頭の中であれこれ考えていたことが吹っ切れた出来事があった。
今年3月のロシアW杯最終予選、アウェイでのUAE戦である。
ガンバからは今野が選ばれ、4-3-3のインサイドハーフとして出場。秀逸なプレーを見せ、ダメ押しのゴールを奪った。井手口は当時招集外だったが、その時の今野のプレーを目に焼きつけた。
「めっちゃ参考になりました。奪って、前につけて、さらに前に出て行く。ガンバでもやっていたし、分かっていたけど、それを代表で、しかも結果として見せてもらった時、自分も自分らしくもっとやらなって思った」
井手口に追い風が吹いたのは、その後だった。
UAE戦で今野が負傷したことで、ガンバで試合出場のチャンスをつかんだのだ。縦パスに磨きをかけ、攻撃のテンポを上げ、自らも前に飛び出していくなど、長谷川監督が目指す素早く縦に攻撃するサッカーを体現した。そうして、自分なりの攻守のリズムをつかんでいったのである。今やガンバでは遠藤や今野以上の存在感を見せ、中盤を組むパートナーを選ばない柔軟性をも持ち合わせるようになった。
ハリルホジッチ監督はそんな井手口の成長を見逃さず、6月のイラク戦で先発起用。そして積み重ねた、ありったけの力を見せてくれたのがオーストラリア戦だった。
「若いけど徐々にすごくなっている。怖い存在になってきている感があります」
岡崎慎司は井手口と違うポジションながら、井手口をこう評している。
かつて日本代表のボランチを支えた遠藤と今野の薫陶を受けつつ、井手口は独自のスタイルを確立しつつある。18歳の時から見せていた才能の原石は国際レベルに進化し、さらにプレーの幅が広がっている。
成長曲線のまっただ中にいると同時に、今後も大きな試練を経験するだろう。むしろ井手口のキャリアを振り返ると、そうした困難こそが栄養になる。
「そこんとこよろしく」
そう言わんばかりに「ケンカ番長」が中盤での狩り、攻撃を楽しむ。そうすれば、現在噂に挙がっている海外でクラブでも十二分にやっていけるはずである。