G大阪、清水で育った筑波大の知将。長谷川健太と小井土正亮、師弟の絆。

 昨季インカレ優勝を果たし、今季の関東大学サッカーリーグでも開幕2連勝と好スタートを切った筑波大学。このチームを率いる監督・小井土正亮には、大きな夢がある。

「いつか長谷川健太さんが率いるチームと試合がしたいんです」

大学リーグ開幕前に話を聞いた折、彼はそんなことをサラリと口にした。どうやら、彼のサッカー人生にと長谷川健太という男は、切っても切れない存在なのであるらしかった。

1978年に岐阜県で生まれた小井土は、地元の各務原高校でエースとして活躍。東海地区では名の知れた選手で、チームを高校選手権とインターハイ初出場にまで導き、そのインターハイではベスト8にまでチームを進ませた立役者となっていた。

視野が広く、冷静沈着なプレーが特徴的だった小井土は、筑波大学に進学。大学卒業と同時に、水戸ホーリーホック入団と筑波大大学院に進学。プロ生活こそ1年で終わったが、大学院3年目で運命の出会いをする。

長谷川と小井土、出会いはS級ライセンスの講座。

 長谷川がサッカー指導者のS級ライセンスを取得するために筑波大学で研修を受けたとき、その補助スタッフを小井土が務めたのだ。20人あまりのS級ライセンス取得希望者全体をフォローするそのスタッフに、長谷川は大きな興味を示したという。

「健太さんが『いつか一緒に仕事をしような』と言ってくれたのは、本当に嬉しかったですね。でも、最初は内心『いつになるのかなぁ』と思っていたのですが、その翌々年にいきなり『エスパルスの監督に就任するからコーチとして来い』と言われたんです(笑)。『早っ』と思いましたね」

2005年、長谷川は清水の監督に就任した。当時、小井土は大学院修了後、柏レイソルでテクニカルスタッフを務めていた。契約も残っていたが、長谷川からのラブコールを断る理由は無かった。

こうして長谷川監督就任と同時に、27歳の小井土は清水のアシスタントコーチに就任することとなった。

「大学サッカーの指導者をやってみたい」という夢。

 結局、長谷川が監督の職を辞するまでの6年間、ともに清水で全力を尽くした。

「この6年間は、自分にとって凄くいろんなものを学ばせていただいた期間。指導者としてどう選手達にアプローチをすれば良いか、自分の特長を活かしていけるか、を毎日考えていました。

相手のプレーだけでなく、言動をしっかりと見て、かつ自分自身の言動、立ち振る舞いにも気をつけて、よく考えて行動に移す。

澤登正朗さんや齊藤俊秀さん、伊東輝悦さんといった大ベテランの選手から、岡崎慎司、枝村匠馬、岩下敬輔といった才能あふれる若手選手と、多くの選手達に接することができたのも、僕にとって大きな財産でした」

2010年シーズンに長谷川の監督辞任をもってアシスタントコーチの座を退くと、「大学の職員になって、出来れば大学でサッカーの指導者をやりたい」と、新たな目標に向けて筑波大大学院に再入学した。

そして、大学院3年目の時。再び長谷川からの電話が届いた。

「今度、G大阪で監督をすることになった。来てくれないか」

健太さんに必要とされた、という喜び。

 Jリーグ・クラブの仕事から離れ、大学教員への道を歩き始めていた小井土。しかし、師である長谷川の要望に応えないという選択肢は無かった。

「健太さんはクラブから『1人なら(自分の好きなコーチを)連れて来ても構わない』と言われていたようで、その1人に自分を指名してくれたんです。しかもちょうどG大阪がJ2に落ちて、1年でJ1復帰をしなければいけない大変な状況での監督就任。

重大な局面で健太さんは僕を必要としてくれた。これは行かなければいけないと思ったんです」

だが、彼がG大阪で過ごす時間は結局1年で終わることとなる。

G大阪のコーチに就任したばかりの2013年春、筑波大学の教員としての採用試験に合格したとの通知が届く。

「来年度(2014年)の筑波大の教員採用に通りました」

小井土がこのことを長谷川に素直に伝えると、「小井土が大学の先生になりたいことは知っていたし、ましてや(長谷川監督自身の)母校でもある筑波大に決まったのなら行ってこい」とすぐに背中を押してくれた。

快く大学に送り出してくれた長谷川監督。

 「健太さんの心遣いには……本当に感謝しかありません。だからこそ、G大阪の1年でのJ1復帰は僕にとって絶対的な責務でした」

2013年シーズン、小井土は長谷川を全力でサポートし続け、最終的には1年後にJ1昇格を見届けた。そして、大学1年目となる2014年にヘッドコーチとして筑波大蹴球部に参加すると、翌年には監督就任を果たした。

筑波大の教員となり、蹴球部のヘッドコーチ、監督として活動してきた過去4年間は、紆余曲折の時代だった。

コーチだった1年目にチームは大きく低迷し、戦後初となる2部降格という屈辱を味わった。

「歴史を変えてしまった。もう取り返しのつかないことをしてしまったという感じでした。でも、落ちた瞬間にそれはもう歴史に刻まれているわけですから、これからは自分の人生を懸けてこの組織をもう一度強くするため、前に進んで行くしかないと考えました」

J2時代のガンバで学んだ、2部落ちしての戦い方。

 2部落ちしてすぐに監督へ就任し、関東大学リーグ2部で戦った。そして、接戦を着実にモノにしていった結果、わずか1年で1部復帰を成し遂げた。

屈辱から這い上がっていったその1年間は、まさにガンバJ2時代の長谷川監督の後ろ姿を追うような気持ちだったという。

「力のあるチームが2部に落ちて戦うことをG大阪で経験していたので、それが参考になりました。

G大阪と戦うときの相手の戦い方、G大阪がアウェーに行った時、相手の観客の雰囲気。『G大阪に一泡吹かせてやる』とか、そういう気迫に対しても、気後れせず勝ち切らないといけない。

健太さんはこうした重圧にも屈すること無く、堂々と立ち振る舞い、選手達を鼓舞しつつ、細かい部分にまで気を配ってチームを前進させていった。その姿を思い出すことができたので、筑波大を前進させることに集中することが出来ました」

Jリーグと大学リーグ。違う場所で戦う2人の監督。

 1部復帰を果たした翌年の2016年シーズンは、リーグ戦で着実に勝ち点を積み上げ、2位でフィニッシュ。大学サッカーの1年を締めくくるインカレでは快進撃を続け、決勝では日本体育大学を相手に8-0と大勝。13年ぶり9回目の優勝を果たした。

失意の縁からの劇的な巻き返しに成功した小井土は、今季も大学サッカー界を牽引するような勢いで開幕から連勝、好スタートを切った。

そして、自分が考える指導者のあり方に大きな影響を与えた長谷川は、今もG大阪の指揮官として先頭に立ち続けている。

カテゴリーは違えど、同じ監督としてサッカーと向き合い続けている2人。

その関係を聞いているうちに、ふと「彼は長谷川健太になりたくて、監督としての道を歩んでいるのだろうか」という疑問を持った。

「長谷川健太監督という存在は、小井土監督にとって、どういう存在なんですか?」

この単刀直入の問いかけに、小井土は少し考えてから、こう口を開いた。

「僕が健太さんから最初に学んだことは、『僕は絶対に長谷川健太にはなれない』ということでした。Jリーグ草創期のスター選手の1人で、日本代表、『ドーハの悲劇』を選手として経験している健太さんが、選手達に向かって『やるぞ』と言うことと、水戸で1年間だけしかプレーしたことが無いサッカー指導者が言うことでは重みが全く違う。出会ったときから『同じことは絶対に出来ない』と思っていました」

「カウンター」ではなく「ファストブレイク」。

 全く次元が違う長谷川の存在。

では、小井土は「長谷川健太にはなれない」という前提で、どのような監督像を目指しているのだろうか。

「僕が得た一番の財産は、自分には無い圧倒的なオーラを持った人物の間近で、仕事が出来たことなんです。健太さんは発言の内容や方針を絶対に後で変えたりしない。遠藤保仁選手など偉大な選手に対しても外国人選手に対しても、他の選手と同じ要求・指示出しをしている。全体にアグレッシブな姿勢を打ち出す一方で、非常に緻密な一面も持っている。

例えば、エスパルスでは『カウンター』という言葉を使わずに、バスケットの用語である『ファストブレイク』(速攻)という言葉を使っていた。意図はカウンターと言う言葉は受け身に当たるので、『こっちから行くぞ』という意味を付けた上で取り入れていたんですね。

守備の指導のときには、クロス対応の際の細かいステップワークにまでこだわってトレーニングをしていました」

いつか恩師に「小井土の色」のサッカーを見せたい。

 「どんなミスでも必ずその原因に選手自身が思い当たれるように指導するスタイル。そこには一切の妥協が無い。その姿勢にも強く影響を受けました。

でも僕は指導者として、健太さんの立ち振る舞いを真似してはいけないし、サッカーのスタイルそのものも真似てはいけないと思っています。

でもディティールにはこだわります。自分なりの哲学を持って、自分なりの立ち振る舞いをする。そしてその姿勢を絶対に崩さない。細かい技術的な要素を参考にしつつも、自分に合った監督像を築いていく。この生き方、自分の強い信念になった沢山の経験そのものが、健太さんから学んだ自分の財産なんです。それは健太さんと仕事をしたからこそ、よりはっきりと見出すことが出来たものなんです」

最後に改めて、自身の目標について聞いてみた。

「僕が健太さんと試合がしたいと思うのは、自分の中で『健太さんの下でしか評価されない訳では無い』というプライドがあるんです。なので、自分が1つのチームを任されたときに、健太さんから学んだことを活かし、かつ『小井土の色』を付けて、『こんなチームを作りましたよ』と健太さんに披露したいんです。それこそが健太さんへの最大の恩返しになると思っています」

名将への階段を着実に歩んでいる長谷川監督を納得させるには、まだまだ時間がかかることは小井土監督も理解している。

筑波大蹴球部の監督としてさらに経験を積み、「大学サッカー界の名将」に近づいてこそ、最終的な目標にたどり着くことができるのだ。

“長谷川健太にはなれない”男の挑戦は、まだ始まったばかりだ――。

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