【元ガンバ主将の挑戦】木場昌雄|東南アジアと日本の架け橋になるために――。 SOCCER DIGEST Web 6月26日(金)12時9分配信
関西国際空港に降り立った3人の少年たちは、見るからに緊張していた。笑顔もなければ、会話らしい会話もない。
「着いた瞬間は、ほとんど一言もしゃべらない(笑)。これはどうなるかな、と」
空港で3人を出迎えた木場昌雄は心配になったが、8日間の日本滞在を終えて帰国の途に着く頃には、彼らの表情は生き生きとしていた――。
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現役時代はG大阪で12年間プレーし、キャプテンを任されたこともあった木場は、J2の福岡、地域リーグのヴァリエンテ富山とFC Mi-Oびわこ(現・MIOびわこ滋賀)を経て、最後はタイのカスタムズでスパイクを脱いだ。その後2011年9月に、一般社団法人『Japan Dream Football Association(以下、JDFA)』を設立。主な目的は、サッカーを通じて東南アジアと日本の架け橋になることだった。
これまでの約4年間は、タイを中心に現地でのサッカークリニックやスカウティングなどを手掛けてきた。東南アジアサッカーの発展と、東南アジア出身のJリーガー誕生に向けて地道な活動を続けてきた。
そんな木場に声がかかる。
一昨年の12月頃、タイでアンダー世代の国際大会を開きたいと、ある旅行会社から相談があった。最終的には、その旅行会社と、広告代理店と、JDFAの 3社が大会実行委員会となり、第1回目となる「U-14 ASEAN Dream Football Tournament」が開催される運びとなったが、木場にはひとつのアイデアがあった。
「大会で優秀選手を3人選んで、彼らを日本に短期留学させたいと思ったんです」
JDFAとして大会に協力するにあたって、木場は自身の活動にいかにリンクさせるかを考えて、その希望を伝え、実現することができた。
「それができれば、僕が関係する意味もありますし、Jクラブとのつながりもさらにできる」
ある程度、方向性が見えると、木場はスポンサー獲得、会場の手配、出場クラブへの声掛けなど、精力的に動き回って大会の開催にこぎつけた。
大会はタイのバンコクで昨年12月に開催され、タイから7チーム、カンボジアから1チーム、日本からは名古屋、神戸、山形ほか、U-14愛知を含め、計12チームが参加した。
優勝したのはタイのBECテロ・サーサナで、またベスト4に残ったのはすべてタイのチームだった。
「アンダー14の大会を継続して見る経験はほとんどなかったのですが、タイの子たちのレベルは高く、技術的にもポテンシャルを感じました。日本のチームは アジアでの戦いにあまり慣れていない印象で、ポリバレントな選手は多いけど、スペシャリストとなると、タイの子たちのほうが多かったと思います」
そう大会を振り返った木場は、日本に留学させる優秀選手を3人選んだ。すべてタイの選手で、「大会で得点王になったCFのポン、ボランチのティー、サイドアタッカーのジェイです」。
そして留学先には、「可能性があるのでチャンスを与えてください」と、古巣であるG大阪に協力を仰いだ。8日間の日程では、ジュニアユースやユースでの 練習や練習試合への出場のほか、クラブハウス見学、タイ領事館への挨拶、Jリーグ観戦、大阪観光など、充実したスケジュールをこなした。
来日当初は緊張していた3人だったが、グラウンドに立つと徐々にいつもの姿を取り戻し、木場も「短期間でこれだけ馴染めるのか」と胸を撫で下ろした。実 際のプレー評価については、ポンが神戸との練習試合で2得点を決めるなど、G大阪のアカデミースタッフから3人ともそれなりに高い評価を受けたという。
今回の留学を無事に終えると、木場は「可能性はさらに広がった」と手応えを掴んだ。「ガンバのスタッフに力を示してくれた」と、改めてタイの若い才能を評価した。
「ひとつのステップを踏めた」
トップレベルでの選手の行き来ではないが、少なくとも木場が手掛ける活動――東南アジアと日本の架け橋に――という意味では、新たな一歩を踏み出したのは間違いない。
東南アジアからJリーガーを誕生させるのはひとつの目標だが、それが最終ミッションではないと言う。
「日本人選手の欧州リーグへの移籍が進むなか、欧州はJリーグを見ている。つまり、Jリーグは世界への窓口としても機能している。それなら、東南アジアの選手にもチャンスはあるはずです」
東南アジアからJ経由で欧州へ――。木場はそれほどまでに東南アジアの可能性を信じている。
そうした流れが確立されれば、必然的に東南アジアのレベルも上がってくるはずで、「そうなれば日本のためにもなる。アジアで今以上に厳しい戦いができれば、日本もそれだけ逞しくなる」。つまるところ木場は、日本サッカーのさらなる強化を見据えているのだ。
時間のかかる作業である。前例のない取り組みだけに、手探り状態で道なき道を進んでいる。
それでも木場は充実した表情を見せる。
「やりたいことができていますし、地道に続けていることが、少しずつ形になってきている。自分たちで動いて、現地に足を運び、コミュニケーションをしっかり取ることで、信頼関係も築けている」
JDFA設立から5年目、現在の活動にやりがいをさらに強く感じているし、「スピード感はないですけど、ジワジワきていると思う」と自信を深めている。常に前へ前へと進んでいるから、不安になる暇もない。
そんな木場について、JDFAの広報PRを務める渡辺富士子は次のように語る。
「なにかを始めるにも、“自分がいる意味があるのか”をちゃんと考えてから行動しますね。確かに手探りではありますけど、人任せにしないで、自分たちでしっかり進めていこうとするタイプだと思います」
スタンスは現役時代と変わらない。「選手の時も、試合に出るためになにをするかを考えれば、いろんなことをやらなければならない。それは今も同じ。この 仕事で生活していかなければならないから、そのためにはなにをすべきかを考えて、行動する。選手時代と変わらないですね」
好きなサッカーを通じて、やりたいことができている。そんな自分の境遇に感謝を忘れずに、木場は今も走り続けている。