G大阪・藤春の母、プレーに口出さず息子の応援楽しんだ

トップアスリートを育てた親や指導者が育成の極意を明かす「デキる選手の育て方2016」。第5回はサッカー界からDF藤春広輝(28)=G大阪=を取り上げる。アマ時代無名だった青年は、リオデジャネイロ五輪サッカー男子日本代表にオーバーエージ(OA)で選ばれるほどの選手へと成長。そこに至るまでの過程には、スポーツ歴がほぼゼロの母・洋美さん(55)ならではの思いがあった。

藤春がサッカーに触れたきっかけは、6年前に病死した父・末広さん(享年53)だった。アウトドアが好きだった父は、息子が幼稚園に入る前から毎週日曜日に家族を連れて公園やキャンプに出かけた。家族5人分のお弁当を作るのは母の役目で、メニューはおにぎり、から揚げ、卵焼き、ウインナーなど。洋美さんは当時をこう振り返る。

「サッカーだと、ボール一つで済むじゃないですか。父と息子2人がサッカー、私と一番上のお姉ちゃんがテニスで、よく遊んでいましたね」

夕方になっておなかがすいてくるとマクドナルドでセットメニューを食べて、また公園で少し遊んでから夕食の買い物をして帰るという生活スタイルだった。

父は高校の部活動でハンドボールをしていたものの、サッカー経験はなし。母に至ってはスポーツ自体の経験がほぼゼロだった。だからこそ子供にはスポーツをと考え、生後半年からベビースイミングに通わせた。そして「よく遊ぶならやってもいいかな」と幼稚園の年少でYMCAのサッカーに切り替え、小1からはくさかSSで週2、3回練習するようになった。

【(1)プレーの話はしない】子供たちとよく遊んでいた藤春夫妻は、息子がサッカーを始めると法事などの用事以外は試合を観戦した。息子が小3、4で1つ上の学年の子供たちに混ざって試合に出場し、遠慮がちにプレーしていた様子を見て洋美さんは一度「もっとがんがん自分がいけばよかったんちゃうん」と声をかけたことがある。しかし返事は「何でそんなん言うん」。そこから一切プレーの話はしなくなった。オフサイドなどサッカー用語に詳しくなかった母は、高校に進学した息子からサイドバックと聞いてもピンとこなかったという。

【(2)勉強は最低限】教育熱心というわけではなかったものの、やはり最低限の学力は必要。親が教えるより行かせる方が楽だと考えた洋美さんは、家の近くにあった公文式に幼稚園から中3まで通わせた。高校受験を控えた中3の6月には、藤春自ら「塾に行かせて」と志願。母は「あまり世話をかけるようなことは言ってこないけれど、必要なものは自分から行かせてと頼む子」と証言する。息子は中学での授業のことを考え、小6の3月に「スイミングの短期教室に通わせて」と頼んだこともある。夫婦ともに子供のやりたいことをやらせたいという方針で、もちろん塾もスイミングも快諾した。

【(3)親も楽しんだ】洋美さんは自分の子供の送迎はもちろん、車出しや冬に他のお母さんたちと一緒にポットにお湯を入れて、温かいココアを作るといったことも喜んで行っていた。藤春が一人暮らしをするようになった大体大時代は息子の頼みで毎月、1万8000円もする中村俊輔モデルのスパイクを買ったあとに親子でご飯を食べて解散するという流れが定着。

「広輝は『スパイクが壊れた』って言うんですけど、そんな毎月壊れるか?!って話で。このためにパートで働いているのかと思いました。でも主人には『文句を言いながらも、うれしそうに行ってるよ』って言われて」

サッカーは習い事の一つ。プロになれるとは到底思っていなかった母は、中高大でも部活動でサッカーを楽しむ息子に自分も楽しませてもらったと語った。

【(4)くよくよしない】実は3人の子供は皆、お父さん子だったと母は明かす。真面目で仕事が大好き、夏休みの子供の工作やキャンプで張り切って子供を楽しませる父だった。

家族思いの父に病気が発覚したのは、藤春が高3に上がる前。「拡張型心筋症で、このままだと1年持たない」と診断されたが、くよくよしない性格の末広さんは涙を見せなかった。この結果を受けて洋美さんは息子に「大学は家から通えるところで」とお願いし、大体大に進学。ところが父は奇跡を起こし、高3の秋には仕事に復帰できるようになった。

医者からは節制を求められたが、家族の方針で父の好きなように外食させることを決めるなど、できるだけ普段通りの生活を送った。そして大学4年の夏、眠るようにして他界。父が亡くなったあと、母は子供たちに「お母さんも頑張るから、それぞれ頑張っていこう」と話した。

洋美さんは高校時代のチームメートの母親たちといまだに交流があり、「ハルくん頑張ってるね」と声をかけられるという。リオ五輪にOA枠で出場が決まった6月14日は母の誕生日。息子から電話で報告を受け「まさかでした。オリンピックとは無縁だと思っていたので」と驚いた。

大学時代まで無名の存在だった男は今、その名の通り輝きを放っている。

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