【G大阪】佐野泉元社長の葬儀に宮本ら参列…強豪クラブの礎築く

G大阪が05年に初めてJ1優勝したときの社長で、10日にがんのため71歳で死去した佐野泉氏の葬儀・告別式が13日、奈良市の「セレミューズ秋篠」で 営まれた。最後の別れには、主力としてプレーした宮本恒靖ユース監督(39)や橋本英郎(37)、中沢聡太(33)=ともにC大阪=が参列した。MF遠藤 保仁(36)らイレブンは、この日の夜に敵地での大宮戦が控えているため出席できなかった。また初優勝時の監督で現日本サッカー協会技術委員長の西野朗氏 (61)は欧州視察のため参列できず、供花と弔電を寄せた。チームは大宮戦で喪章をつけてプレーする予定。

祭壇はチームカラーの青色の花で彩られ、優しくほほえむ佐野氏の遺影が飾られた。宮本ユース監督は佐野氏との思い出について「デーンと構えてくれてい て、クラブが成長できた」と回想。橋本は主力としてシーズンを終えたあとに「(強化部に年俸を)上げてもらえ」と“バックアップ”を受けたことを懐かしそ うに振り返った。佐野氏のことを「泉ちゃん」と呼んでいた中沢は涙で目を赤くし、最後は棺に手を添えて故人を見送った。

佐野氏は02年6月にG大阪社長に就任。西野氏に全幅の信頼を置き、05年にはクラブ史上初のタイトルをもたらした。Jリーグ発足時から活動する「オリ ジナル10」で最後まで無冠だったG大阪が、その後、鹿島に次ぐタイトル数の国内8冠、ACL優勝1度と日本を代表する強豪チームに変ぼうできたのは、 チーム強化と下部組織の充実、そして練習環境整備につとめた佐野氏の熱意があったからだった。

在任中、当時のホーム・万博競技場での試合中は、ほぼ90分立ちっぱなしで観戦していた佐野さん。チームが失点すると悔しさで壁を蹴るため革靴はボロボ ロに。あまりにも靴を傷めるため「カミさんに怒られるから」と、万博での試合は安価なゴム底、アウェー遠征時は大人しく観戦するので皮底の高い靴と使い分 けていた。

08年4月の社長退任後は自ら年間席を購入し、毎試合足を運びチームに声援を送った。昨年秋にがんが見つかって以降は抗がん剤で治療を行いながら、生き がいのG大阪戦観戦に駆けつけた。最後のスタジアム観戦となった6月25日の名古屋戦(吹田S)では、車いすで来場し、二人三脚でチームを強化した西野氏 と会話したという。

リンク元

Share Button